海運の危機
帝国との共同研究合意から、およそ一ヶ月後。
新連邦政府は、新たな中央省庁として“魔導技術省”を設立した。
初代長官へ任命されたのは、ギルベルト・ノイエンブルク新連邦辺境伯。
そして。
共同研究の中心人物として、エリザ・クロネッカーへ正式に博士号が授与された。
各国の技術者。
帝国の工学顧問団。
ドワーフ技術者。
新連邦の研究者。
彼らを収容するための国際共同研究所が、現在、王都郊外で急ピッチ建設されている。
石材。
魔導配線。
通信塔。
実験棟。
予算は既に危険域だった。
◇
新連邦中央庁舎・代表執務室。
書類の山。
積み上がる報告書。
机の向こうで、ジュリアは珍しく疲れた顔をしていた。
コンコンコン。
「失礼します」
「開いています。どうぞ」
入ってきたのは、マクシミリアン・ベルンシュタインだった。
いつもの穏やかな笑み。
だが、その目は少しだけ険しい。
「何かありましたか?」
「帝国西方海域について、なのですが」
ジュリアの視線が上がる。
「海難事故が多発しています」
「海賊ですか?」
「いいえ」
マクシミリアンは静かに首を横へ振った。
「帝国商船団は、海賊程度へ屈するほど脆弱ではありません」
机へ数枚の報告書が置かれる。
『濃霧による通信断絶』
『商船団一部消失』
『漂流船発見』
『乗組員失踪』
ジュリアが、一枚ずつ目を通す。
その途中で。
ぴたりと手が止まった。
『生存者証言:歌声』
沈黙。
ギシリ。
椅子へ深くもたれかかる。
「……まずいですね」
小さな呟き。
「帝国との交易は、まだ止めたくないのですが」
マクシミリアンが目を細める。
「何か心当たりが?」
ジュリアはすぐには答えなかった。
窓の外。
雪の消え始めた春の王都を、静かに見つめる。
「……まだ、断定はできません」
だが。
その横顔には、明らかな警戒が浮かんでいた。
「……ですが、なんとかして解決しなければ、詰みます」
マクシミリアンは、静かにジュリアを見つめた。
「……深刻ですね」
「ええ」
「海運は、この世界の血流です」
ジュリアは、報告書へ視線を落としたまま続ける。
「港が止まれば、穀物が止まる」
「穀物が止まれば、人が飢える」
「飢えれば、国家は壊れます」
淡々。
感情ではなく、事実を並べるみたいに。
「しかも今回は、“原因不明”です」
沈黙。
「人は、正体の分からないものを最も恐れる」
窓の外。春の陽光が、白い机へ差し込んでいた。
なのに。部屋の空気だけが、妙に冷えている気がした。
◇
一方。
アークライト侯爵邸・仮設共同研究所。
机の上へ広げられた、黒龍の内部構造図。
解体された鱗。
魔導計測器。
無数の術式図面。
帝国側研究主任、ゲルダ・ストーンホルム。
そして、新連邦側主任研究者、エリザ・クロネッカー。
若き二人の狂研究者は、完全に徹夜の目をしていた。
「これは興味深いですね」
ゲルダが、黒龍神経束の術式断面を見つめながら呟く。
「慣性制御術式でしょうか」
「いえ、ここは姿勢制御です」
エリザが即座に否定する。
「慣性制御はこっち。ほら、術式流路が三重化されてます」
「ああ……なるほど」
ゲルダの眼鏡が怪しく光る。
「生体側で自律補正しているのですね」
「龍種、思った以上にインチキですよね」
「同感です」
机には、既に大量の仮説メモが並んでいる。
『飛行術式』
『重量軽減術式』
『慣性制御術式』
『姿勢安定補正』
龍種。
その巨大な肉体を維持し、空を支配するため。
長い年月をかけて進化した、生態術式体系。
それはもはや、“生物”というより、自然発生した超高性能魔導機関だった。
「これが実用化できれば」
ゲルダが静かに呟く。
「現行飛空艇最大の欠点だった、莫大な飛行経費を解決できます」
「帝国、結構ポンポン飛ばしてましたよね」
エリザが顔を上げる。
「あれ、そんな掛かるんですか?」
「当たり前です。民生化できないまま軍用にだけ使われている理由がそれです」
ゲルダが真顔で返した。
「魔石燃料。大型魔導エンジン。重量維持。浮遊安定化。どれもこれも全部、空を飛ぶには重すぎるんです」
「なるほど」
エリザが頷く。
「つまり今までの飛空艇、無理矢理飛んでたんですね」
「はい」
即答。
沈黙。
そして二人同時にニッコリと笑う。
「「改良しましょう」」
完全に同じ顔だった。




