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旅の始まり

 アークライト侯爵邸・騎士訓練場。


 鉄靴が土を踏む音と、金属がぶつかる乾いた響きが続いていた。


「次!」


 ジェラルドの一言で、騎士が前に出る。


 その瞬間。


 ――ガキンッ!


 一撃で剣が弾かれ、地面に突き刺さる。


「はい終わり。次」


 あまりにも容赦がない。

 だが不思議と、騎士たちの顔に絶望はない。


(……死なないだけマシだ)

(あの人、加減してるだけマジ優しい)


 そんな諦観と敬意の入り混じった空気。


 そこへ。


「やあ、ジェラルド・ランカスター君」

「あ?」


 振り向けば、軽い足取りで近づく男。

 エルソン商会のレオナード・エルソンが、いつものように人懐っこい笑みを浮かべていた。


「おう。久しぶりだな」


 ジェラルドが剣を下ろすと、

 その瞬間に騎士たちが一斉に息を吐く。


(終わった……)

(休憩だ……)

(助かった……)


 露骨だった。


「……? お邪魔でしたか?」


 レオナードの問いに、騎士たちが一斉にぶんぶんと首を振る。


「別に、暇だったから、あいつら鍛えてただけだ」


 あまりにも雑に答える龍殺しの少年。


「そうでしたか」


 レオナードは気にした様子もなく頷いた。


「それで、少しお願いがありまして」

「なんだ?」


「セシリア嬢のことはご存知ですか?」

「ああ」


 ジェラルドは即答する。


「あの青髪の聖女だろ。ジュリアが拾ったやつ」

「はい」


「彼女をこれから地方へ巡礼させようと思いまして」


 レオナードはさらりと言った。


「その護衛として、貴方に同行をお願いしたい」


 ジェラルドは一瞬考えた。


「……暇だし、いいぞ」


 即答だった。


「おお……」


 レオナードが目を瞬かせる。


「話が早くて助かります」

「危ないのか?」


「まあ、多少は」

「なら余計いいな」


 にやりと笑う。


 騎士たちの顔が引きつった。


(“多少”の基準が違う……)

(いや、もうこの人いる時点で戦場だろ)


 レオナードは満足げに頷く。


(これで“安全保障”は確保できる)


 そして同時に、内心で確信していた。


(セシリア嬢の巡礼事業は、これで一段階上がる)


 ジェラルドが剣を肩に担ぐ。


「で、いつ行くんだ?」

「準備ができ次第です」


「じゃあ今度の飯は現地だな」

「そうなりますね」


 軽い会話。


 だがその裏で、王都の外側に、またひとつ巨大な歯車が噛み合った音がした。


----------------------------


 地方へと続く街道。


 冬空の下。一台の幌馬車が、静かに土道を進んでいた。

 幌へ描かれているのは、黒の天秤と分度器。

 エルソン商会の紋章。


 馬車の車輪は、不思議なほど滑らかに進む。


「なんか田舎道なのに、妙に整ってるな」


 荷台から身を乗り出したジェラルド・ランカスターが、周囲を見回しながら呟いた。


 御者台では、レオナード・エルソンが手綱を握っている。


「うちの商会の先発隊が、現在、各地方の街道整備をしているんです」

「商人ってそんなことまでやるのか?」

「物流が止まると死活問題ですから」


 ジェラルドは感心したように唸る。


「へえ」


 荷台の奥では、セシリアが膝の上へ聖書を開いていた。

 冬の日差しが、青髪へ柔らかく落ちている。


「でも、平和で良いではありませんか」


 穏やかな声。


「この国はきっと、ルクス様に愛されているんですよ」


 レオナードが小さく苦笑する。


「セシリアさんはすぐそう言いますね」

「違うんですか?」

「……まあ、否定はしませんけど」


 ルカだけは、無言で周囲を警戒していた。


 白銀の鎧。

 膝の上に置かれた長剣。

 視線だけが、常に森の奥を見ている。


 ◇


 そして。

 街道沿いの森の中。


 木々の陰。


 そこに、複数の魔物の影があった。

 オーク。コボルト。

 痩せた下級魔族たち。


「ギギ。うまそうな匂い」

「グギギ。餌の匂い」

「あれ襲う。おれ行く」


 牙を鳴らしながら、若いコボルトが身を乗り出す。

 だが。


「……マテ」


 低い声。

 ひときわ大柄なオークが、前へ腕を出して制した。


「アレハ、ダメダ」

「ググ? なぜだ。人族など弱い」


 若いコボルトが不満げに唸る。


 オークは、じっと幌馬車を見ていた。

 黒の商会紋章。

 白銀の騎士。

 そして。

 荷台で退屈そうに欠伸をしている、赤髪の少年。


 その瞬間。

 オークの背筋を、嫌な記憶が走った。


「……オレハ、シッテイル」


 肩が、わずかに震える。


「アノニオイ」


 低く。


「ザグナード様ヲ、コロシタヤツダ」


 空気が止まった。


 若いコボルトたちが、一斉に馬車を見た。


「……グ?」

「ウソダ」

「龍殺シ?」


 ジェラルドは、何も気づいていない。

 荷台で干し肉を齧っている。


 だが。

 大柄なオークは、本能で理解していた。

 あれはダメだ。襲えば死ぬ。群れごと消える。


「ニゲルゾ」

「グ、ググ……」

「ハヤクシロ!!」


 森の奥へ、魔物たちの気配が消えていく。


 その直後。

 ルカの視線だけが、静かに森を追った。


「……どうしました?」とセシリア。


「いや」


 ルカは短く答える。


「静かだなと思っただけだ」


 幌馬車は、冬の街道をゆっくり進んでいく。

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