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廃聖堂

 王都下層区。

 石造りの小聖堂。


 屋根には穴が空き、古いステンドグラスはひび割れ、長椅子には埃が積もっていた。

 壁の聖印も崩れ、祭壇の燭台には、もう何年も火が灯っていない。

 誰も居ない。忘れ去られた、廃墟だった。


 そこへ、三つの影が入ってくる。


「……寒いですね」


 セシリアが、白い息を吐きながら、フードを目深に被って呟いた。

 後ろでは、白銀の鎧を纏ったルカが、静かに周囲へ視線を巡らせている。

 さらにその後ろ。猫耳侍女服姿のリィンが、きょろきょろと内部を見回していた。


「ここ、本当に使えるんですか?」


「使われてないから、使うんです」


 意味不明理論だった。


 リィンが、うーん、と首を傾げる。


「それ、ジュリア様系の理屈?」

「違いますよ?」


 たぶん似たようなものだった。


 セシリアは、ゆっくりと祭壇へ歩み寄る。

 崩れた石。冷たい空気。薄暗い堂内。誰にも祈られなくなった場所。


 セシリアは、その前でそっと膝を折り、胸の前で、静かに両手を重ねる。


「世界神ルクス様」


 小さな声。


「ここを、少しだけ、お借りします」


 淡い光。

 それは魔術の光ではなかった。もっと柔らかく、雪解け水みたいな、静かな光。


 瞬間。


 冷え切っていた小聖堂の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 凍えていた空気が、ゆっくり呼吸を始めたみたいだった。


 リィンが、目を丸くする。


「……あったかい」


 ルカは何も言わなかった。だが、わずかに目を細める。


 その時だった。入口の陰。誰かが居た。

 ぼろ布を被った、小さな子供。


 痩せている。

 頬はこけ、裸足は赤く腫れていた。

 逃げるべきか迷うように、怯えた目でこちらを見ている。


 セシリアは、ぱちぱちと瞬きをすると、やわらかく笑った。


「ご飯、食べます?」


 子供の肩が、ぴくりと揺れた。


 忘れ去られた王都下層区の片隅の廃墟で、後に“白の聖堂”と呼ばれる場所が、静かに始まった。


 ◇


 最初は、雨漏りしていた廃聖堂。

 壁も割れ、長椅子も壊れ、冬風が吹き込む。


 でも。

 炊き出しを始めた。

 怪我人を受け入れた。

 孤児を泊めた。


 すると、翌朝、誰かが勝手に窓を直していた。


「……あれ?」

 リィンが首を傾げる。


 割れていたはずの窓へ、真新しい板が打ち付けられている。

 入口前では、知らない老人が黙々と石畳を掃除していた。


「ど、どうしたんですか?」

「いやなに」


 老人は照れ臭そうに笑う。


「飯、食わせてもらったからな」


 次の日、今度は、壊れていた屋根へ、職人が登っている。


「お代は……」

「いらねぇよ」


 釘を打ちながら、職人が鼻を鳴らす。


「ウチの娘はァ、ここで熱下げてもらったんだ」


 さらに数日後。

 市場の商人が、余ったパンを置いていく。薬師が薬草を寄付する。古着屋が毛布を運ぶ。

 すると今度は、孤児たちが掃除を始める。


「ここ、あったかいから好き」


 気づけば、誰も命令していないのに、共同体が回り始める。


----------------------


 新連邦代表執務室。

 書類の山。通信記録。各地の報告。

 その中心で、ジュリアは無表情にペンを走らせていた。


 コンコン。


「失礼しますよ」


 ジュリアが書類から視線を上げる。


「珍しいですね。ヴァルロア侯爵」


 入ってきたホドフリート・ヴァルロアは、いつものように重厚な外套を揺らしながら、どっかりとソファへ腰を下ろした。

 疲れている顔だった。


「……また何かですか」

「また何かです」


 ホドフリートは深く息を吐く。


「聖堂貴族から陳情書が届いていましてな」

「聖堂?」


「王都内で、聖堂本山に無許可の宗教活動が確認された。ついては新連邦政府として即時取り締まれ、とのことです」

「なんですかそれ」


 ジュリアは露骨に嫌そうな顔をした。


「そもそも新政府は、聖堂関係を放置していたはずですが」

「だから向こうも困っておるのですよ」


 ホドフリートが書類を差し出す。

 ジュリアは受け取る。


 視線が文章を追った。


「……王都下層区」


 ぱらり。


「廃墟化していた旧聖堂施設の占拠」


 ぱらり。


「炊き出し」

「孤児保護」

「傷病者治療」


 ジュリアの眉が、わずかに動く。


「……随分まともですね?」

「そこが問題なのです」

「はい?」


 ホドフリートは、妙に遠い目をした。


「本来なら、適当に異端認定して終わる程度の案件なのですがな」

「ですが?」


「人が集まりすぎている」


 沈黙。


 ジュリアが顔を上げる。


「どれくらいです?」

「下層区の貧民街で、“あそこへ行けば食べられる”“治る”という噂が広がっております」


「治る?」

「原因不明の快癒報告が複数」


 ジュリアの表情が、ぴたりと止まった。


 嫌な予感。

 ものすごく嫌な予感。


「……名前は?」


 ホドフリートが、咳払いを一つした。


「現在、“青髪の聖女”と呼ばれておりますな」


 数秒。


 静寂。


 そして。


 ジュリアが、ゆっくりと机へ突っ伏した。


「ああ……」

「心当たりが?」

「ありすぎます」


 ホドフリートは察したように目を細める。


「知り合いでしたか」

「ええ」


 死んだ声だった。


「非常に善良で、非常に押しに弱く、放っておくと困ってる人を拾い続けるタイプです」

「なるほど」


 ホドフリートが頷く。


「では本人に悪意はない」

「断言します。ありません」

「ふむ」


 老侯爵は、少し考えるように顎へ手を当てた。


「……なら、なお厄介ですな」


 沈黙。


「放置で」


 ジュリアは思考を放り投げた。


「それではなりません。理由を」

「……治安改善です」


「短期的には、ですな」

「長期的にもです」


 ジュリアが溜息を吐きながら、書類をめくる。


「下層区犯罪率低下、流行病減少、孤児窃盗減少、商会流通回復。良いことずくめじゃないですか」


「だが、宗教勢力化する」

「既存聖堂よりよほど健全です」


「……断言しますか」

「責任者が私欲ゼロですからね」


「それが最も危険なのです」

「……否定できませんね」

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