逆位相
だが、ジュリアだけは、静かに黒龍を見ていた。
蒼い瞳が、鱗の揺らぎを観察している。
(やはり)
完全ではない。
魔導兵器群の攻撃で、外殻魔力の循環が乱れている。
鱗同士の接続。魔力流。防御偏向。
一点だけ。
ほんの一瞬だけ、“薄くなる場所”がある。
「ジェド」
「あ?」
「落とせます」
ジェラルドの口元が、獰猛に歪んだ。
「ハッ。言うと思った」
その瞬間、黒龍が、こちらを見た。黄金の竜眼。明確な敵意。
そして。巨口の奥で、黒い光が収束し始める。
ブレス。
砦の兵士たちが絶叫した。
「来るぞォォォ!!」
だが、ジュリアは逃げなかった。
むしろ、白銀の剣を、静かに構える。
その姿を見た瞬間。
ジェラルドが、笑った。
「合わせろ、だろ?」
「はい」
次の瞬間。
二人が同時に、黒龍へ向かって駆けた。
ジェラルドが、一歩前へ出た。
ギシリ。雪原が沈む。
そして。大剣を、真正面から振り抜いた。
――ズバァァァァン!!!
黒炎が、割れた。砦中の兵士が絶句する。
ブレスが。古龍の災厄が。人間一人の斬撃で、左右へ断ち割られていた。
裂けた黒炎が砦脇を通過し、山肌を蒸発させながら遥か後方で爆発する。
「な……」
「は……?」
魔族側すら理解できていない。
ジェラルドは剣を肩へ担ぎ直すと、鬱陶しそうに吐き捨てた。
「熱ついだけだろ。こんなん」
一方。
ジュリアは、もう居なかった。
白銀の軌跡が、龍の懐へ飛び込む。
「――っ!?」
伯爵級魔族が目を見開いた。必死に視線を彷徨わせるが、“見えない”。
ジュリアは黒龍の首筋を蹴り、まるで空中を走るように加速する。
身体強化。
魔力循環。
重力制御。
全てを最短経路で繋いだ、異常な機動。
そして。黒龍が次のブレスを吐こうと、口腔内部へ魔力を集めた瞬間。
ジュリアが、その口の中へ突っ込んだ。
黒龍の黄金瞳が見開かれる。
普通の生物なら入った瞬間に蒸発する。
静寂。
地上の誰かが、固唾を飲んだ。
口の中。ジュリアだけは、冷静だった。
瞬時に冷却魔術を展開。喉の奥へ奥へと走る。
(見えました)
龍の飛行。浮遊。魔力循環。それを成立させている超巨大術式。古代生物特有の、生体魔術回路。
ジュリアの指先が動く。
カチリ。
まるで鍵を捻るように。
龍の内部術式へ、“逆流”が流し込まれた。
――<術式反転>
瞬間。
黒龍の魔力循環が、内側から崩壊した。
ヴグァァァァァァァァッ!!?
絶叫。
黒龍の巨体が、空中で大きく傾く。
飛行術式が、重量軽減術式が、バラバラに分裂していく。
左翼側だけ推力暴走。
右翼側が停止。
全ての制御術式が逆位相。
結果。
黒龍自身の魔力が、自分の身体を引き裂き始めた。
巨大な鱗が、ボロ、ボロと、抜け落ちていく。
巨体が制御を失い、
墜落を始めた。
「おいおいおい!!」
ジェラルドが笑う。
「また無茶苦茶やってんなァ!!」
暴れ狂う黒龍の口腔内から、白銀の閃光が飛び出した。
空中でくるりと回転。
ジュリアが、何事もなかったように、ふわり、と着地する。
しかし、少し焦げていた。
「……口の中、臭いますね」
「そこかよ」
直後。
墜落した黒龍が雪原へ激突した。
ドゴォォォォォォォォォン!!!
山が揺れる。
衝撃波。
吹雪が吹き飛ぶ。
魔族も兵士も、全員がその光景を呆然と見ていた。
そして。
黒龍の巨体が、ゆっくりと、起き上がろうとした瞬間。
ジュリアが静かに剣を構える。
ジェラルドもまた、大剣を担いで並んだ。
「ジェド、もう鱗はありません。斬れます」
「へへっ。じゃあ、簡単だな」
その背後で。
誰かが、震える声で呟いた。
「……なんなんだ、あいつらは」
誰も、答えられなかった。
◇
吹雪の向こう。
一人のダークエルフの女が佇んでいた。
モーリガン・ブラナッハ。墜落した黒龍を静かに見下ろす。
雪原に刻まれた巨大なクレーター。
剥がれ落ちた黒鱗。
黒炎の残滓。
そして。
その前に立つ、二人の人間。
「……まさか」
背後の魔族が、震える声を漏らした。
「“議席”が落ちたのですか……?」
黒曜議会。魔族世界の頂点。その一角。
古代戦争を生き延び、都市国家を焼き払い、聖堂すらその住処を迂回した災厄。
黒龍バル=ザグナード。
それが今。鱗を剥がされ、ズタズタの状態で雪原に墜ちている。
モーリガンは答えなかった。
ただ、白銀の少女を見ていた。
「……なるほど」
雪が、長い銀髪へ積もる。
「そういう形で来るのね」
琥珀色の瞳が、僅かに細まる。
「あれは"勇者"ではない」
ぽつり、と。
「もっと古い側のものよ」
配下が理解できず、息を呑む。
モーリガンは続けた。
「歴史は時々、“帳尻”を合わせに来るの」
その視線が、今度は空を覆う飛空艇群へ向いた。
「知識を削り」
「種を減らし」
「祈りを歪めた」
静かな声。
「……我らは、少しやり過ぎたかもしれないわね」




