表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
62/159

蠢き

 クラウディアだけは違った。冷静。異様なほど冷静だった。


(魔族同士が割れている……。なら利用できる)


 ベアトリクスはもう助からない。魔族ニ体も危険。

 だが、今、この場で最優先すべきはただ一つ。

 ――器の確保。

 セシリア。クラウディアの瞳から、完全に情が消える。


 袖口。するり、と。聖針が滑り落ちた。無音。無殺気。視線すら向けない。

 ただ、“結果だけを置く”ような刺突。


 セシリアの背後、一直線。


 だが、

 ――ガギィィン!!

 白銀が割り込んだ。


 リィンだった。

 短刃が針を弾く。火花が、二人の顔を、一瞬照らす。

 そのままリィンが床へ着地する。

 低い姿勢。耳が逆立っていた。


「……セシリア様には、触らせません」


 小さな声。なのに、獣の唸りのような殺気が、廊下一帯へ満ちていた。


 クラウディアの針が、二本、三本。飛ぶ。

 音もなく消える。


 リィンが動く。

 だが、間に合わない。


 ――だが、その瞬間。


 針が、途中で“落ちた”。


 チリンチリン。

 乾いた音。


「……は?」


 クラウディアの瞳が、初めて揺れる。

 空中で、聖別されたはずの針が、ただの鉄釘みたいに落ちていた。


 廊下の奥。


 ミシュリーヌが、ぼんやり立っている。


「その術式」


 淡い金髪が揺れる。エメラルドの瞳が淡く光っている。


「もう、この家では繋がらないよ」


 ぞわり。

 その瞬間、誰もが理解した。

 ――術式そのものを、世界側から切断された。


「貴様。その力は……」


 ウーデが、じりっと後ずさる。


 ルカは、それを見逃さなかった。振り向きざまの一閃。


 ヒュン!

 ウーデの頭が、体と離れ離れになった。


 クラウディアも、ガクンと膝を落とした。

 そのまま、床に倒れ込む。


 短剣を両手に構えたまま。リィンだった。


「はれれれ?」


 ヴェルミースは一瞬だけ白い目を見開き、

 そして、縫い留められた唇から舌をシュルリと出すと、不気味に笑う。


「ひひひひ……これは、分が悪くなりましたね」


 そう呟くと、ザラッ。


 一瞬にして大量のウネウネとした蟲に変化した。


 蟲。

 蟲。蟲。蠢く。


 壁の裂け目。

 床板の隙間。

 燭台の影。


 あらゆる“暗がり”へ、黒い群れが染み込んでいく。


 ぞわぞわぞわぞわ。


 耳障りな羽音。細い脚が石床を擦る音。

 リィンの毛が、ぶわりと逆立った。


「きもちわるいぃぃぃ!!」


 天井へ張り付きながら叫ぶ。


 ルカは大剣を構えたまま、低く舌打ちした。


「斬っても意味がないタイプか……!」


 実際、さきほど切り裂いた蟲は、すぐまた蠢いて動き出している。


 物理的破壊では止まらない。


 ヴェルミースの笑い声だけが、廊下中から響いた。


『ひひひひ……』

『怖いですねぇ』

『嫌ですねぇ』

『だから私は正面戦闘が嫌いなんですよぉ』


 声の位置が定まらない。


 壁から。

 床から。

 天井から。


 屋敷そのものが喋っているようだった。


 セシリアが小さく息を呑む。


「これ……まずい、です……」


 蟲達が、ゆっくりと円を描くように広がっていた。

 逃げ道を塞ぐ動き。


 しかも、黒い蟲が通った場所から、じわり、と魔力が腐っていく。

 術式が乱れる。灯りが落ちる。空気そのものが濁っていく。


「毒か」

 ルカが低く言う。


『ええ。“世界”への毒です』


 くつくつ。


 笑う声。


『術式』

『結界』

『加護』

『祈り』


『そういう綺麗なものを、腐らせるのが得意でしてねぇ』


 黒泥が、なおも床を侵食していく。

 じゅう、と。

 石材そのものが腐っていた。


 ルカが眉を顰める。


「触れるな」


 だが。


 セシリアが、震える足で一歩前へ出た。


「……セシリア様!」


 リィンが止めようとする。


 それでも、セシリアは、ゆっくり膝をついた。

 祈るように、両手を重ねる。


「還ってください」

 小さな声。

 ただそれだけ。


 瞬間。


 淡い光が、

 黒泥へ静かに触れた。


 穏やかだった。


 腐っていた魔力が、ゆっくり解けていく。

 濁った空気が澄む。

 軋んでいた屋敷が、静かに呼吸を取り戻していく。


 ヴェルミースの残滓が、初めて苦痛の声を漏らした。


『や、め――』


「もう、大丈夫です」


 セシリアの声は、泣きそうなくらい優しかった。


「ここは、あなたの居場所ではありません」


 その瞬間。

 黒泥が、さらさらと灰になって消えた。


 静寂。


 窓の外。

 遠く地平線の向こう。

 空が、白み始めていた。


 夜が終わる。


 けれど。


 一匹の羽虫だけが、

 誰にも気づかれぬまま、

 静かに屋敷を飛び去っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ