予兆
北方砦。
白銀の地平線の向こうで、雪煙がゆっくりと立ち上がり始めていた。
「魔族だ!! 例年より早いぞ!!」
警鐘が鳴る。
狼煙が次々と上がり、雪原を巡回していた騎兵たちが一斉に砦へ駆け戻っていく。
だが。
「……おかしい」
砦の兵士が、思わず呟いた。
整いすぎていた。
吹雪の中を進む人型魔族たちの隊列は、まるで訓練された軍隊のように乱れがない。
いつもの獣の群れではない。
統率された“軍”だった。
そして。
遥か後方。
吹雪の夜空に、巨大な影が現れた。
黒龍。
神話でしか語られなかった、古代戦争級の災厄。
その巨体だけが、夜空そのもののように黒かった。
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同時刻。
王国内では、不可解な誘拐と暗殺が続発していた。
狙われるのは決まって、
青い髪。
赤い瞳。
十代半ばの少女。
特徴は、失踪した準聖女セシリアと酷似している。
そして。
アークライト邸。
ジュリアは、ランカスター辺境伯から届いた報告書を静かに読んでいた。
『北方砦にて龍種確認』
『人型魔族による統率行動あり』
『現在、接触を維持』
紙を持つ指先が、わずかに止まる。
(違う)
胸の奥で、嫌な感覚が広がっていく。
(これはまだ“大侵攻”じゃない)
前世で見た、国境が崩れ、通信が途絶え、都市が孤立し、人々が互いを疑い始めた。
あの滅びの前兆。
世界が壊れる時は、いつも静かに始まる。
そして今。
内乱。暗殺。北方異変。
滅びの“空気”だけが、先に揃い始めていた。
(なのに、近い……!)
ジュリアが勢いよく立ち上がる。
「馬車を出してください!!」
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夜。
アークライト邸。
屋敷全体を流れる空気が、妙に静かだった。
それに最初に違和感を抱いたのは、
リィンだった。
「……おかしい」
獣耳がぴくりと震える。
空気が静かすぎる。
違う。
これは、“均されている”。
ジュリアから命じられていた。
『何かあれば、セシリアを守ってください』
リィンは即座に走った。
客室。
そこには既に、ルカが鎧を纏い終えて立っていた。
「嫌な気配だ」
「ええ」
短い返答。
セシリアもまた、怯えるように窓の外を見つめている。
屋敷全体の魔力流が、静かすぎた。
まるで、“敵意だけを切り取って、隠している”ような。
◇
研究棟。
魔導観測器を覗き込んでいたエリザが、眉を寄せた。
「……おかしいですね」
「何がです?」
助手の問いに、エリザは観測盤を指差す。
「周辺魔力流が均一化しています」
「均一化?」
「はい。乱流が消えてる」
普通なら意味不明だった。
だが。隣にいたミシュリーヌだけが、ふと顔を上げる。
「……静かすぎる」
エリザが瞬きをする。
「え?」
「音がない」
「音?」
ミシュリーヌのエメラルドの瞳が、ゆっくりと夜の闇を見つめる。
そして。ぽつりと呟いた。
「……世界の音が、消えてる」
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北方砦。
吹雪が視界を塗り潰していく。
だが。
正面から押し寄せる威圧感だけは、雪すら貫いていた。
ジュリアは砦に到着すると、親友の背中を探す。
「ジェド!! 状況は!?」
「あいつら、全く動かねえ!!」
「動かない!?」
「ああ……」
ジェラルドが、乾いた唇を舐める。
「まるで――」
その瞬間。
吹雪の向こう。
黒龍の黄金の瞳が、ゆっくりと砦の奥を見た。
「誰かを待ってるみてーに」
ジュリアが窓越しに、その黒い龍を見つめる。
――その刹那。
ぞわり、と。
背筋を、
氷の指でなぞられたような悪寒。
黒龍の瞳が、細く細く、笑った気がした。




