表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
57/159

求婚

 アークライト家の執務室。

 壁一面の地図には、各地の街道、港湾、通信中継塔、そして貴族家同士の勢力線がびっしりと書き込まれていた。


 その中心で、ジュリアは、マントノン公爵家から届いた書状を静かに読み終える。


 紫の封蝋。

 王族縁者のみが使う、古い公爵紋。


「……ヴァレリアン・マントノンは、お前にご執心らしい」

 フィリベール・アークライトが淡々と言った。


「正式な求婚ですか?」

「半分はな」

「半分?」

「残り半分は、“取り込み”だ」


 ジュリアは少し黙った。

 そして便箋を机へ置く。


「……しかし、悪くはない、かもしれませんね」


「ジュリア」

「はい」

「お前は今、“婿”を選んでいるつもりか?」


 蒼い瞳が、静かに父を見る。


「いいえ」

「では?」

「勢力図を選んでいます」


 部屋が静まり返る。

 リィンが「やっぱりそう来た……」みたいな顔で耳を伏せた。

 フィリベールは額を押さえる。


「……お前は本当に、そういうところだぞ」

「事実です」


 ジュリアは地図へ視線を向けた。


「マントノン家は現在、地方貴族をまとめ始めています」

「王都の混乱に対し、“次の秩序”を提示している」


「北部諸侯もかなり流れてるな」とエドワード。

「うむ。特に旧王党派の中小貴族は、“強い旗”を求め始めている」

 フィリベールが頷く。


「放置すれば、マントノン公爵家を中心とした新王権が形成される可能性が高い」

「だから、です」


 ジュリアは静かに言う。


「もし私が嫁げば、アークライト家はその中心へ食い込める。……通信網、物流、技術供与、地方再編。……戦後国家の設計に、直接関与できます」


 淡々と並べられる言葉。

 もはや十五歳の令嬢の会話ではない。


 だが、フィリベールは、そこで静かに言った。

「問題があるぞ」

「はい?」


「お前がマントノン公爵家へ嫁げば――将来的に、ヴァランタン公爵家と対立する」

「……あ」


 ジュリアの動きが止まる。


「それはまずいですね」

「そうだ」


 ヴァランタン家。


 現在の王国最大勢力。実質的な国家運営者。

 そして。

 幼少期から、ジュリアを可愛がってきたアウラーリア・ヴァランタンがいる家でもある。


 しばし沈黙。


 やがて。


「アウラーリア様が怒りますね……」

「確実にな」


 エドワードが遠い目をした。


「しかも、静かに怒るタイプだぞあの人」

「怖いやつですね」

「お前も大概怖い」


 リィンが小さく手を挙げる。


「あの……」

「なんでしょう」

「たぶんヴァランタン家、“対抗婚約”を出してきます」

「対抗婚約?」

「はい。マントノンに取られるくらいなら、先に囲うやつです」


 ジュリアが少し考える。


「……カミル様ですか」


 今年九歳になる、ヴァランタン家嫡男。

 まだ剣より木馬の方が似合う年齢である。


 エドワードが吹き出した。

「年齢差すごいな」

「政治ですから」とジュリア。


「お前、そこ即受け入れるんだな……」

「合理性はあります」


------------


 アークライト邸。応接間。


 ジュリアが入室した瞬間。


「遅いわよ、ジュリアさん」


「……アウラーリア様」


 しかも。

 隣にはヴァランタン公爵本人までいる。


「…………」


 家令が静かに扉を閉める。


「なぜヴァランタン家の当主夫妻が、我が家の応接室でくつろいでいるのでしょうか」


「迎えに来たのよ」

「何をです?」


 アウラーリアが嫣然と微笑む。


「あなたが変な気を起こす前に、止めに来たの」


 フィリベールが頭を押さえていた。


「……来ると思っていた」

「当然でしょう?」


 アウラーリアが扇子を開く。


「マントノン家から求婚状が届いた翌日に、アークライト家へ来ない理由がないわ」

「情報が早すぎませんか?」

「ヴァランタン家を何だと思っているの?」


 怖い。

 ジュリアは少しだけ引いた。


 ヴァランタン公爵が静かに口を開く。

「ジュリア嬢」

「はい」


「君はたぶん、“この婚姻で王国の勢力均衡をどう調整するか”を考えているな?」

「……はい」


「まずそこをやめろ」

 即答だった。


 ジュリアがわずかに目を瞬かせる。


「現在、マントノン家は地方貴族を束ね、新王権を構築し始めている」

「はい」


「そこへアークライト家が姻戚として入れば、どう見える?」


 ジュリアは数秒考える。


「……技術・物流・通信を抱え込んだ新政権、でしょうか」

「そうだ」


 ヴァランタン公爵の声が低くなる。

「そして地方貴族達はこう考える。“次は自分たちが呑まれる”とな」


 ジュリアの表情が変わった。

「内乱が加速しますか」

「する」


 アウラーリアが紅茶を置いた。

「しかも最悪なのが、マントノン家は“正統性”を掲げてることなのよ」

「正統性……」


「王家の血。地方統制。旧来秩序の再建」

 ぱちん、と扇子が閉じる。

「そこへあなたが入ると、“時代の勝者”が完成してしまうの」


「…………」

「そうなると、ヴァルロアも、ファルケンリートも、グランヴァルドも、全部警戒に回るわ」


「ベルンシュタイン家は確実にヴァランタン側へ寄りますな」

 とフィリベール。


「ええ。帝国との交易路を守るためにも、そうなるでしょうね」


 ジュリアは黙り込んだ。


 つまり、この婚姻は単なる縁談ではない。“次の王国体制への参加表明”そのものだ。


「……ですが」

 ジュリアがゆっくり口を開く。

「ヴァレリアン・マントノン個人は、かなり優秀です」


「でしょうね」

 アウラーリアが即答する。


「だから困っているのよ」

「はい?」


「あの男、政治も軍も理解している上に、顔まで良いの」

「顔?」


「そこ反応するところじゃありません」

 アウラーリアが頭を抱える。


「ジュリアさん。あなた本当に、“求婚”を“共同事業提携”くらいにしか認識してないでしょう」

「……違うのですか?」


 応接間が静まり返った。


 ヴァランタン公爵がそっと視線を逸らす。

 フィリベールが深くため息を吐く。

 アウラーリアは数秒天を仰いでから、静かに言った。


「フィリベール卿」

「なんでしょう」


「この子、本当に早めに婚約者をつけた方がいいわ」

「同感です」


「お父様???」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ