求婚
アークライト家の執務室。
壁一面の地図には、各地の街道、港湾、通信中継塔、そして貴族家同士の勢力線がびっしりと書き込まれていた。
その中心で、ジュリアは、マントノン公爵家から届いた書状を静かに読み終える。
紫の封蝋。
王族縁者のみが使う、古い公爵紋。
「……ヴァレリアン・マントノンは、お前にご執心らしい」
フィリベール・アークライトが淡々と言った。
「正式な求婚ですか?」
「半分はな」
「半分?」
「残り半分は、“取り込み”だ」
ジュリアは少し黙った。
そして便箋を机へ置く。
「……しかし、悪くはない、かもしれませんね」
「ジュリア」
「はい」
「お前は今、“婿”を選んでいるつもりか?」
蒼い瞳が、静かに父を見る。
「いいえ」
「では?」
「勢力図を選んでいます」
部屋が静まり返る。
リィンが「やっぱりそう来た……」みたいな顔で耳を伏せた。
フィリベールは額を押さえる。
「……お前は本当に、そういうところだぞ」
「事実です」
ジュリアは地図へ視線を向けた。
「マントノン家は現在、地方貴族をまとめ始めています」
「王都の混乱に対し、“次の秩序”を提示している」
「北部諸侯もかなり流れてるな」とエドワード。
「うむ。特に旧王党派の中小貴族は、“強い旗”を求め始めている」
フィリベールが頷く。
「放置すれば、マントノン公爵家を中心とした新王権が形成される可能性が高い」
「だから、です」
ジュリアは静かに言う。
「もし私が嫁げば、アークライト家はその中心へ食い込める。……通信網、物流、技術供与、地方再編。……戦後国家の設計に、直接関与できます」
淡々と並べられる言葉。
もはや十五歳の令嬢の会話ではない。
だが、フィリベールは、そこで静かに言った。
「問題があるぞ」
「はい?」
「お前がマントノン公爵家へ嫁げば――将来的に、ヴァランタン公爵家と対立する」
「……あ」
ジュリアの動きが止まる。
「それはまずいですね」
「そうだ」
ヴァランタン家。
現在の王国最大勢力。実質的な国家運営者。
そして。
幼少期から、ジュリアを可愛がってきたアウラーリア・ヴァランタンがいる家でもある。
しばし沈黙。
やがて。
「アウラーリア様が怒りますね……」
「確実にな」
エドワードが遠い目をした。
「しかも、静かに怒るタイプだぞあの人」
「怖いやつですね」
「お前も大概怖い」
リィンが小さく手を挙げる。
「あの……」
「なんでしょう」
「たぶんヴァランタン家、“対抗婚約”を出してきます」
「対抗婚約?」
「はい。マントノンに取られるくらいなら、先に囲うやつです」
ジュリアが少し考える。
「……カミル様ですか」
今年九歳になる、ヴァランタン家嫡男。
まだ剣より木馬の方が似合う年齢である。
エドワードが吹き出した。
「年齢差すごいな」
「政治ですから」とジュリア。
「お前、そこ即受け入れるんだな……」
「合理性はあります」
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アークライト邸。応接間。
ジュリアが入室した瞬間。
「遅いわよ、ジュリアさん」
「……アウラーリア様」
しかも。
隣にはヴァランタン公爵本人までいる。
「…………」
家令が静かに扉を閉める。
「なぜヴァランタン家の当主夫妻が、我が家の応接室でくつろいでいるのでしょうか」
「迎えに来たのよ」
「何をです?」
アウラーリアが嫣然と微笑む。
「あなたが変な気を起こす前に、止めに来たの」
フィリベールが頭を押さえていた。
「……来ると思っていた」
「当然でしょう?」
アウラーリアが扇子を開く。
「マントノン家から求婚状が届いた翌日に、アークライト家へ来ない理由がないわ」
「情報が早すぎませんか?」
「ヴァランタン家を何だと思っているの?」
怖い。
ジュリアは少しだけ引いた。
ヴァランタン公爵が静かに口を開く。
「ジュリア嬢」
「はい」
「君はたぶん、“この婚姻で王国の勢力均衡をどう調整するか”を考えているな?」
「……はい」
「まずそこをやめろ」
即答だった。
ジュリアがわずかに目を瞬かせる。
「現在、マントノン家は地方貴族を束ね、新王権を構築し始めている」
「はい」
「そこへアークライト家が姻戚として入れば、どう見える?」
ジュリアは数秒考える。
「……技術・物流・通信を抱え込んだ新政権、でしょうか」
「そうだ」
ヴァランタン公爵の声が低くなる。
「そして地方貴族達はこう考える。“次は自分たちが呑まれる”とな」
ジュリアの表情が変わった。
「内乱が加速しますか」
「する」
アウラーリアが紅茶を置いた。
「しかも最悪なのが、マントノン家は“正統性”を掲げてることなのよ」
「正統性……」
「王家の血。地方統制。旧来秩序の再建」
ぱちん、と扇子が閉じる。
「そこへあなたが入ると、“時代の勝者”が完成してしまうの」
「…………」
「そうなると、ヴァルロアも、ファルケンリートも、グランヴァルドも、全部警戒に回るわ」
「ベルンシュタイン家は確実にヴァランタン側へ寄りますな」
とフィリベール。
「ええ。帝国との交易路を守るためにも、そうなるでしょうね」
ジュリアは黙り込んだ。
つまり、この婚姻は単なる縁談ではない。“次の王国体制への参加表明”そのものだ。
「……ですが」
ジュリアがゆっくり口を開く。
「ヴァレリアン・マントノン個人は、かなり優秀です」
「でしょうね」
アウラーリアが即答する。
「だから困っているのよ」
「はい?」
「あの男、政治も軍も理解している上に、顔まで良いの」
「顔?」
「そこ反応するところじゃありません」
アウラーリアが頭を抱える。
「ジュリアさん。あなた本当に、“求婚”を“共同事業提携”くらいにしか認識してないでしょう」
「……違うのですか?」
応接間が静まり返った。
ヴァランタン公爵がそっと視線を逸らす。
フィリベールが深くため息を吐く。
アウラーリアは数秒天を仰いでから、静かに言った。
「フィリベール卿」
「なんでしょう」
「この子、本当に早めに婚約者をつけた方がいいわ」
「同感です」
「お父様???」




