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戦乱の足音

「ジュリア。あなた、そろそろ婚約について真面目に考えなさい」


 アークライト邸の私室。


 優雅に紅茶を口へ運びながら、セレスティーヌ・アークライトが静かに言った。


「嫁いで子を成すのも、女の務めですよ」

「んなっ……!!」


 ジュリアが珍しく露骨に動揺した。


「お、お母様、それは平時の理であって、今はまだ戦乱前夜の均衡期というか……! 通信網も各国同盟も完成していませんし、魔族側の動向も不透明で――」


「だからこそです!」

 ぱたん、と扇子が閉じられる。


 セレスティーヌの声音が、母のものへ変わった。


「あなた、平気で戦場へ突っ走るでしょう」

「うっ」


「魔導事故が起きれば現地へ行く。国境で問題が起きれば最前線へ行く。遺跡が見つかれば危険地帯へ入る」

「必要な確認です」


「必要でも死んでは意味がありません!」


 ぴしゃりと言い切られ、

 ジュリアが小さく肩をすくめる。


「母上。ジュリアにその手の話はまだ早いかと」

「エドワード。あなたもです」


「……え?」

「アークライト家の直系が二人揃って婚約話から逃げるのをやめなさい」


「あなた、もう十八なのよ?普通ならば婚約者を連れて来てもおかしくない年頃です」


「そうですよ、お兄様」

「お前が言うな!!」


「母上。ジュリアの場合、婚約以前にまず本人へ“そういう感情”の教育から必要かと」

「お兄様???」


「実際必要だろ」


 アークライト侯爵は、静かに紅茶を飲んでいた。


 妻の婚約談義。

 娘の抵抗。

 巻き添えを食らう息子。


 いつもの光景である。


「あなたも何か言ってくださいませ」

 セレスティーヌが微笑みながら振る。


 侯爵は一瞬だけ視線を逸らした。


「……ジュリア」

「はい、お父様」


「ほどほどにな」

「何をです?」

「全部だ」


 ――その時だった。


 家令が慌ただしく駆け込んできた。


「フィリベール様。急報です」

「何ごとだ?」


「王陛下、ヨーゼフ五世が崩御あらせられました」

「……なんだと!?」


 空気が、止まった。


 先ほどまで家族の軽口が飛び交っていた私室から、音が消える。


 セレスティーヌの手の中で、紅茶のカップがかすかに揺れた。


「……容体は持ち直したと聞いていたはずだが」

 侯爵の声が低くなる。


「つい先ほど、本城より正式な早馬が。死因は急性の心不全と――」


 そこで家令が言葉を切った。


 全員、理解したからだ。


 “急性の心不全”。

 貴族社会において、それは便利すぎる言葉だった。


 侯爵が静かに立ち上がる。


「中央はどう動いている」

「すでにマントノン公爵家が、王都周辺の治安維持を名目に諸侯へ通達を開始しております」


 ジュリアの蒼い瞳が細まった。


(早い)


 早すぎる。

 まるで、最初から準備していたような速度だ。


「……地方貴族の招集ですね」

「おそらくな」


 侯爵が短く答える。


「王家の血を引くマントノン家が主導権を握れば、“王国再編”の名目は立つ」

「ですが、それで収まるほど各家も甘くはありません」


 エドワードが腕を組む。


「ベルンシュタイン家の家中は絶対に荒れるぞ。マクシミリアン、あいつは武力を軽視してた」

「でしょうね。家中のカルヴェインが動く」


 ジュリアが続けた。

「ベルンシュヴァイク家の家督争いも激化するはずです。グランヴァルド家が“正統派”を掲げれば、地方諸侯が流れます」


 淡々と並べられていく内乱予測。

 十五歳の少女の会話ではない。


 セレスティーヌが思わず顔を覆った。


「だから婚約しなさいと言っていたのです私は……!」

「今そこですか!?」

「今だからです!」


 ばんっ、と机を叩く。


「戦になれば、縁組は最大の盾になります! あなた達はもう少し、自分がどれだけ危うい立場か理解なさい!」


 ジュリアが言葉に詰まる。

 それは理解している。


 通信網。

 魔導技術。

 流通。

 帝国交易。


 今のアークライト家は、あまりにも多くを握りすぎていた。

 どちらへ付くかで、戦局そのものが変わる。


「……父上」


 エドワードが静かに侯爵を見る。


「我が家は、どう動きますか」


 短い沈黙。

 窓の外では、夕焼けがゆっくりと王都を赤く染め始めていた。


 侯爵は静かに目を閉じる。


「表向きは静観だ」


 やはり、とジュリアは思った。


「だが」


 侯爵の目が開く。


「物流は止めるな」


 その一言だけで、

 アークライト家の方針が決まった。


 食料。

 薬品。

 通信。

 魔導資材。


 国家が戦争で最初に失う“血流”。


 それを維持する。


 つまり――。


「帝国と貿易中のマクシミリアン、ベルンシュタイン家に加勢しますか」

「ああ」


 侯爵が低く頷く。


「内乱になれば、最後に物を言うのは兵ではない。補給だ」


 セレスティーヌが深くため息を吐いた。


「……あなた達、本当に親子ですね」


 その時。

 ジュリアの脳裏に、ふと嫌な感覚が走った。


 王国が割れる。

 地方が争う。

 兵が減る。

 通信が乱れる。


 そして。

 ――魔族側が、それを見逃すだろうか?


 ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。


「ジュリア?」

 セレスティーヌが不安げに娘を見る。


 ジュリアは、ゆっくり顔を上げた。


「……お母様」


「なに?」


「婚約の件ですが」


 セレスティーヌの表情が少し明るくなる。


「考えてくれるのですね?」

「はい」


 ジュリアは真顔で頷いた。


「少なくとも、“王国が滅びる前”には」

「ジュリア!!」


 母の悲鳴が私室に響き渡った。

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