後悔と成長と
深夜。月の光すら届かない、学園の最果てに佇む古い温室。
生い茂る熱帯植物の影から、しめやかな夜露の匂いが立ち上る。
「……珍しいな。お前がこちらへ来るとは。モーリガン」
エイダンは振り返らずに言った。
硝子窓に、月光を浴びた細長いシルエットが浮かび上がる。
鋭く尖った長い耳。
夜の闇に溶け込むような、深い褐色の肌。
そして、冷ややかにきらめく白銀の髪。
「帝国が動いたと聞いた」
重く、冷徹な女の声が、温室の静寂を揺らした。
「“黒”を見つけたのか?」
「正確には、見つけかけた」
エイダンは短く答える。
沈黙。
「我々が二百年以上かけて人族側の歴史から消した知識だ。均衡が崩れるぞ、エイダン」
温室に夜風が吹き込む。
エイダンはしばらく黙ったまま、窓の外の学園の灯を眺めていた。
「……崩れるだろうな」
否定はしなかった。
「ならば、何故止めん」
「……もう、止まる段階を過ぎた」
静かに、確信が込められた返答。
「あの子たちは、もう“発見してしまった”」
「だからこそ消すべきだ!」
一片の容赦もない、冷徹な言葉。
だがエイダンは静かに首を振る。
「帝国が気付き、王国が動き、学園が知った。……もう、一人を消して終わる段階ではない」
モーリガンの金色の瞳が細められる。
「二百年前を忘れたのかエイダン。また、歴史を繰り返させるつもりか」
だが、エイダンの声が一層低くなる。
「レテ・スウォーム。あれをここへ持ち込んだのは誰だ?」
「何……?」
モーリガンの瞳が、驚愕に見開かれる。
エイダンはゆっくりと振り返り、モーリガンと全く同じ、鋭い黄金の瞳で彼女を射抜いた。
「均衡を崩し始めているのは、何も人族だけではない」
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ヴァランタン公爵邸。その一角にある、静まり返ったミシュリーヌの私室。
ミシュリーヌが部屋で頬杖を突いていた。
目元は赤く泣きはらした跡。
「……もう、泣いている場合じゃない、よね」
机の上に積まれているのは、エドワードたちが必死で馬車に運び込んだ研究室の植物紙の束。
床には予備の自律駆動魔道具が二台。
ミシュリーヌは小さく鼻をすすり、視線をずらした。
紙には、エリザやジュリアが書き残した演算式と術式図形。
一つを手に取る。
几帳面で無駄のないジュリアの筆跡。
途中式すら美しい。
今まで気にも留めなかったそれを、ミシュリーヌはじっと見つめる。
「……わからない。でも、分からなきゃ」
ジュリアに言われた、最後の言葉が脳裏に浮かぶ。
『ミリー……。すまない』
「私、何も分かってなかったんだ」
「面白い、だけじゃ駄目なんだね。ジュリア」
そう呟きながら、ミシュリーヌは、ジュリアの演算式を、そっと指でなぞった。
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夕方。人気のなくなった中庭。
「……その、ジュリア嬢」
呼び止められ、ジュリアが振り返る。
そこにいたのは、制服姿のカイル・エル・バルツァーだった。
今日はもう、“皇子”の顔ではない。
カイルの背後では、側近のラルスが気まずげに視線を伏せていた。
その様子を、リィンとリナが無言のまま細く目を眇めて見ている。
「今回の件は、本当に申し訳なかった」
深々と頭を下げる。
「私の監督不行届きだ。側近の暴走を止めきれなかった」
ジュリアはしばらく彼を見つめ、
やがて小さく息を吐いた。
「……別に、貴方の責任ではありません」
「だが――」
「帝国が動くのは当然です」
淡々とした声。
「むしろ、黒色波長を検知して何も動かない国家の方が危険でしょう」
風が、中庭の芝生に波を作る。
「……君は怒らないのだな」
「怒ってほしかったですか?」
「いや……普通は、そうだろう」
カイルは視線を落とした。
「学園を軍艦で包囲され、研究を奪われ、貴女は友人を連れ去られた」
カイルはゆっくりと手を握る。
「私ならば、一生帝国を恨む」
ジュリアは少しだけ視線を落とす。
「恨んで済むなら、そうしていました」
「……え?」
「今回の件で、最も傷ついたのはミシュリーヌです」
視線は、遠く空の彼方へと向く。
「ですから私は、貴方方を責めている暇がありません」
冷静で静かな口調。
その小さな身体に、あまりにも大人びた言葉。
「……ヴァランタン家の令嬢、だったか」
「はい」
「退学、なのだな」
「はい。現状では、それが最善です」
即答だった。
だが、その声音には、僅かな掠れが混じっていた。
カイルは小さく目を伏せた。
「……我が国が、追い詰めた」
「違います」
ジュリアは即座に否定した。
「あの子が“発見してしまった”のです」
「世界の側が、それを放置できなかった。それだけです」
夕風が、中庭の木々を静かに揺らした。




