衝突
――エイダンの指先が、わずかに動いた。
瞬間、空間に薄い魔力の膜が展開される。
「捕縛」
それは黒でも白でもない、純粋な「制御」に特化したダークエルフ特有の術式。紐状に編まれた魔力の束が、まるで意思を持つ蛇のように床を這い、静かに少女たちへ向かって伸びる。
速度そのものは、決して速くはない。
だが、それは網の目を狭めるような、確実に獲物を“逃がさない設計”の術式だった。
「……」
ミシュリーヌは一瞬だけ床へ視線を落とし、小首を傾げる。
「なにこれ、拘束?」
その瞬間。
エリザが反応するより先に、ジュリアの指先が動く。
〈対術式障壁展開〉
完全な無詠唱。空間が“折れる”。
床から伸びてきた紐状の術式がその歪みに触れた瞬間、力場が綺麗に反転し、拘束の構造そのものがバラバラに崩壊する。
エイダンの黄金の瞳が、鋭く細められた。
(……即応)
(しかも無詠唱で、術式反転だと……)
目の前で国家級の技術が披露されたというのに、ミシュリーヌはその横で、純粋に興味深そうに観察している。
「へえ、これ防御に使うんだ」
「どういうつもりですか、エイダン先生?」
ジュリアの声は、どこまでも静かだった。
怒ってはいない。
ただ、意図を“確認”しているだけの冷徹さ。
エイダンは一歩も動かず、その威圧感をさらに高める。
「君たちの行動は危険だ。学園にいてはならない存在だ」
実験室の空気が、より重苦しいものへ変わる。
ミシュリーヌが再び首を傾げる。
「え、私たち追放されちゃう?」
ジュリアは一瞬だけ沈黙し、目の前の教師を冷たく見据えて淡々と返す。
「合理性が不明確です」
エイダンの指が再び動く。
今度は個人の拘束ではない。
空間の封鎖。
第拾八実験室という区画ごと、"隔離・固定する術式”。
逃走を許さないための、絶対的な拒絶。
その魔力のうねりに反応し、ミシュリーヌの掌に、先ほどまで弄んでいたあの不気味な黒い術式が浮かび上がった。
エイダンの視線が、そこに縫い留められる。
(……やはり、黒属性)
「これは戦闘ではない。保護措置だ」
エイダンは言い放つが、その言葉は二人にはまるで響かない。
「これ、壊していい?」
軽い調子だった。
ジュリアは即座に首を振る。
「効率的ではありません」
視線はすでに術式の構造へ向いている。
「構造解析が未完了です。破壊は戦術的情報の損失になります」
エリザが一拍遅れて続ける。
「解析が先です」
眼鏡を押し上げ、術式を睨む。
「この構造、既存理論に存在しない“逆転項”が含まれています」
「やめなさい」
エイダンの声は低いままだった。
(異常だ)
(彼女たちは“戦闘行為”に慣れすぎている)
(しかも防御ではなく“対処”の速度で動いている)
(もう一段、手段を上げるべきか)
指先に再び術式を呼び出しかけて——
(いや)
止める。
ここで攻撃段階へ移行するのは危険だ。
この相手は“止められる存在”ではない。
むしろ問題はそこではない。
「……一つ。確認します」
エイダンの声が変わる。
「なんですか?」
ジュリアが静かに応じる。
エイダンは一瞬だけ周囲を見渡し、それから問いを落とす。
「そこの自律駆動魔術具。現在、何基配備されています?」
隔離結界のビリビリとした音。表面を走る術式が、うねるように明滅する。
「地下水路に七基。旧水路に三基。予備が二基です」
淡々とした答え。
(……合計十二基)
エイダンの目が細くなる。
(分散配置。だが、防衛としては不完全)
(レテ・スウォームのみへの対応)
エイダンは静かに息を吐く。
「……誰の許可を得て設置しましたか」
ジュリアは一切迷わない。
「既に被害が起きており、二次被害を防ぐ必要があったためです」
(答えになっていない。つまり無許可ということだ)
「誤作動時の停止権限は?」
「私、エリザ、ミリーの三名です」
(複数権限保持)
(しかも同列)
エイダンの眉がわずかに動く。
「遠隔停止は?」
「可能です」
「魔力識別は?」
「人間を除外済みです」
「……」
エイダンはそこで初めて、言葉を失う。
(軍規でもない)
(研究倫理でもない)
(学園規定でもない)
これは。
“現場判断で構築された独立防衛系”
しかも恐ろしいのはそこではない。
“誰もそれを異常だと思っていない”ことだ。
エイダンは短く息を吐き、隔離結界を消した。
研究室に静寂が戻る。
「取り扱い説明と仕様をまとめて提出しなさい」
一拍置いて、視線を三人に順に落とす。
声の温度が少しだけ変わる。
「……それと、管理権限を私にも付与しなさい」
室内の空気が、わずかに静止する。
ジュリアは瞬きひとつせずに答える。
「用途は?」
エイダンは即答する。
「管理です」
ミシュリーヌが首を傾げる。
「管理ってなにするの?」
その問いに、エイダンは一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……暴走しないようにすることです」
その瞬間、ジュリアが小さく頷く。
「合理的ですね。わかりました」




