揺れる軍事均衡、大人たちの矛盾
夜。ヴァランタン邸。
ランベール・ヴァランタンは執務室で、ジュリア達が提出した報告書へ静かに目を通していた。
東方で勢力を拡大するグンダラージャ帝国。
捕虜とされた少年カルナ。
そして報告会議で決まった、魔導帝国ゼノビアによる救出作戦。
読み終えた報告書を閉じると、今度は部下から届けられた別の資料を手に取る。
「……ゼノビアからのオリハルコン発注量が増えている、か」
視線が一行ずつ資料を追う。
要求されているのは、従来のようなクズ原石ではない。
純度。
結晶の大きさ。
加工前の品質。
細かな指定が並んでいた。
(魔導演算回路ではないな)
ランベールは椅子へ深く腰掛ける。
(兵器だ)
魔導回路に使うなら、純度は重要でも形状までは問われない。
だが今回は違う。
鍛造を前提とした要求だった。
(ヒヒイロカネへの対抗策か)
ジュリアの報告にあった、赤い鎧。
ミスリルでは歯が立たない超硬金属。
そして、それに対抗できる唯一の鉱石が、ヴァランタン家の管理するオリハルコンだった。
(ゼノビアは既に動いている)
それはつまり。
(我が国だけが従来の装備に頼れば、軍事均衡は崩れる)
救出作戦はきっかけに過ぎない。
時代が変わろうとしている。
東方勢力が本格的に西へ進出してくるなら、新連邦も装備体系そのものを見直さなければならない。
ランベールは冷め切った紅茶を一口飲み、苦笑した。
「……冷めているな」
考え事をしていると、いつもこうだ。
――コンコンコン。
そこへ、家令が明日の来客を告げる手紙を持ってきたのだった。
◇
翌日。ヴァランタン邸。応接間。
エウラーリア・アストライア・ヴァランタンは、静かに来訪者たちを見渡した。
エドワード・アークライト。
フィリベール・アークライト侯爵。
アルトゥール・ランカスター辺境伯。
そして、ジェラルドとミシュリーヌ。
「……随分と、賑やかな顔ぶれね」
扇を開く。
「話を聞きましょう」
◇
エドワードが口火を切った。
「今回の東方遠征の報告は、既にご覧いただいていると思います」
「ええ」
「ゼノビア帝国が救出作戦を引き受けてくださいました。ですが、現地での戦闘を考えると、戦力の補強が必要です」
「ヒヒイロカネへの対抗策として、オリハルコンの武器が必要だと」
「はい」
エウラーリアは扇の陰で少し考える素振りを見せた。
「それはランベールが判断することですが」
隣のランベールへ視線を向ける。
「構わんよ」
ランベールは静かに頷いた。
「ゼノビアからの発注量の変化を見れば、状況は明らかだ。我が国だけが旧来の装備に頼り続ければ、軍事均衡は崩れる」
「では、オリハルコンの件は解決ですね」
エドワードは続ける。
「ですが、もう一つ問題があります」
「何かしら」
「ジェラルドとミシュリーヌを、この作戦に参加させていただきたい」
応接間の空気が変わった。
エウラーリアの視線が、ゆっくり二人へ向く。
「……理由を聞かせてくれるかしら」
最初に口を開いたのはジェラルドだった。
「俺は勝算もなしに行くつもりはありません」
真っ直ぐな声だった。
「だからオリハルコンの武器が必要です。ちゃんと勝てる準備をして行きたい」
エウラーリアは僅かに眉を上げる。
ミシュリーヌが続けた。
「私は今回、力を乱発しません。ゼノビアと共闘しますが、私の役目は、もしもの時の切り札です。使うべき時に、使うべき力を使う。それだけです」
沈黙。
エウラーリアは扇をゆっくりと動かした。
「では聞くわ」
静かな声だった。
「もしもあなた達が死んだら、どうするの?」
誰も、すぐには答えなかった。
最初に口を開いたのはミシュリーヌだった。
「私がいなくても、ジュリアがいれば新連邦は回るわ」
落ち着いた声だった。かつての彼女なら、感情的に言い返していたかもしれない。
「それに」
続ける。
「危険だから閉じ込めるというなら、私は一生外へ出られないじゃない」
ジェラルドが腕を組んだ。
「危険だから戦うなって言うなら、騎士なんて最初から要らねぇだろ」
真顔で言い切る。
「新連邦は、俺達がいないくらいで潰れる国なのか?」
エウラーリアは静かに答えた。
「国は潰れないでしょう。……ですが、私はあなた達を失いたくありません」
応接間が静まり返った。
エウラーリアは二人を見つめていた。
その時、エドワードが一歩前へ出た。
「エウラーリア様のおっしゃることは、理解できます」
穏やかな声だった。しかし、迷いはなかった。
「ですが、一つ矛盾があります」
「それは何かしら?」
「国家元首であるジュリアは、まだ十六歳です。しかし皆様は、国家元首だからという理由で、彼女には国家の責任を負わせている」
一拍置く。
「一方で、十七歳のジェラルドとミシュリーヌには『まだ子供だから』と責任を負わせない」
エドワードはエウラーリアを静かに見据えた。
「その基準は、どこにあるのでしょうか」
応接間が、完全に静まり返った。
エウラーリアは答えなかった。
答えられなかった。
沈黙を破ったのは、アルトゥール・ランカスターだった。
「一本取られましたな、エウラーリア様」
武骨な辺境伯が、珍しく楽しそうに言う。
フィリベール・アークライトが苦笑しながら続けた。
「それに、お前たちはうちの娘を働かせすぎではないか?」
父親の顔だった。
「おかげでうちの娘は人一倍大人びてしまって、親としては少々寂しいぞ」
ランベールが静かに頷く。
「その通りだ」
紅茶を一口飲む。
「我々大人は、賢いジュリア嬢を散々利用してきた。だが恩を返せてはいない」
応接間に、柔らかな沈黙が流れた。
エウラーリアはゆっくりと扇を閉じた。
パチリ。
そして、初めて口元を僅かに緩めた。
「……分かったわ」
ミシュリーヌを見る。
「行ってらっしゃい」
ただそれだけだった。
条件もなかった。
釘を刺すこともなかった。
ミシュリーヌは一瞬、目を瞬かせた。
「……お母様」
「何?」
「ありがとう」
エウラーリアは答えなかった。
ただ、扇で口元を隠した。
その奥が、僅かに緩んでいたことには、誰も触れなかった。
一方で、アルトゥールとフィリベールは互いに顔を見合わせ、小さく笑った。
本来なら二人は、ジュリアの恩義を持ち出して援護する役目だった。
だが、その必要はなかった。
エドワードだけで十分だったからだ。
「子の成長とは早いものだな」
フィリベールが呟く。
「いや、我々が案じ過ぎていただけかもしれん」
アルトゥールは苦笑した。




