カルナの失敗。ジュリアの失敗
その夜。
アディは胸騒ぎを覚え、ふと目を覚ました。
薄暗い天幕の中では、マドラ国から連れて来られた女たちが静かな寝息を立てている。
ここは捕虜を収容するための仮設の寝所だった。
入口では、篝火に照らされた兵士の影が、布越しにゆらゆらと揺れている。
「カルナ……生きてるよね」
幼馴染の顔が脳裏をよぎる。
こんな時間に目が覚めることなど滅多にない。
だからこそ、胸騒ぎが消えなかった。
その時だった。
何の前触れもなく。
目の前の空間に、紫色の光球が浮かび上がった。
「きゃっ……!」
思わず声を漏らし、慌てて口を押さえる。
しかし、もう遅かった。
周囲の女性たちが次々と身を起こす。
「アディさん……?」
「何、あれ……?」
全員の視線が光へ集まる。
光球はゆっくりと大きくなり、やがて眩い閃光を放った。
次の瞬間。
そこに、一人の青年が立っていた。
天幕の中に悲鳴が響く。
「カルナ……?」
転移酔いなのか、カルナは一瞬よろめいた。
声のした方を見る。
暗闇に目が慣れ、アディの姿を認めた途端、その顔がぱっと明るくなった。
「アディ!! 助けに来た!! 今すぐここを――」
「ばか!」
思わぬ一喝に、カルナは目を丸くする。
「な、なんで?」
アディは返事をせず、入口へ視線を向けた。
その騒ぎに気付いた見張りの兵士が、天幕の布を勢いよくめくり上げる。
「うるさいぞ! 何があった!?」
兵士の視線が、見慣れない青年を捉えた。
「……!」
カルナの顔から血の気が引く。
「侵入者だーっ!!」
外が一気に騒がしくなった。
鎧の音。怒号。駆け寄ってくる足音。
(しまった……)
夜でも、捕虜を無人で放置するはずがない。
焦りだけで飛び込んだ自分の浅はかさを、カルナはようやく理解した。
でも、ここで引くわけにはいかない。
「アディ! こっちに!」
それでも諦めず、アディの手を掴む。
今度こそ。
彼女だけでも連れて帰る。
「待って」
アディはその手を、そっと振り払った。
「私だけ、行けない」
「え……?」
アディは静かに周囲を見渡した。
身を寄せ合う女性たち。
子供を抱き締める母親。
怯えた目でこちらを見つめる少女。
名前も知らない人たち。
それでも何日も同じ天幕で寒さを耐え、同じ食事を分け合ってきた仲間だった。
「この子たちを置いていけない」
その瞳には、揺るがない決意が宿っていた。
「そんな……」
カルナは息を呑む。
そして、すぐに頷いた。
「分かった。じゃあ、みんなも……」
再び両手を掲げる。
一人ではない。
二人でもない。
この天幕にいる全員を転移させるため、術式を組み上げ始めた。
だが――。
転移術式は、つい昨日覚えたばかりの魔術だ。
しかも今は怒号が飛び交い、足音が迫る極限状態。
複雑な術式を組み上げるには、あまりにも集中を欠いていた。
掌に紫色の光球が生まれる。
だが、すぐに術式が乱れ、霧のように崩れた。
「違う……!」
もう一度。
光が集まりかける。
しかし完成する寸前で弾け、消える。
「くそっ……!」
焦るほど、魔力は乱れていく。
「……カルナ」
そっと、アディが腕に手を添えた。
「もう……いいよ」
カルナはゆっくりとそちらへ顔を向ける。
アディは笑っていた。
けれど、その笑顔は今にも涙がこぼれそうだった。
その笑顔を見た瞬間。
術式を維持する力が、ぷつりと途切れ。
掌に宿っていた紫色の光は、音もなく霧散した。
カルナは何も言えず、肩を落とした。
◇
ジュリアはジェラルドの言葉に真っ先に反応すると、階段を駆け上がった。
そして開け放たれた客間へ足を踏み入れる。
「この魔力残滓は……。〈転移〉の術式ですか」
すでに消えかかっている。何時間も前に使われたのが分かる。
ジュリアは静かに目を閉じた。
(私の判断ミスです)
カルナの境遇を聞いた時点で、勢いに任せて〈転移〉を使う可能性は予測できたはずだった。
「ジュリア。あなたは悪くないわ」
後ろからミシュリーヌが歩み寄る。
「私だって、あの状況なら教えてあげるもの」
そう言うと彼女は床へしゃがみ込み、魔力残滓へそっと指先を触れた。
「……強い感情が籠っている」
「感情、ですか。では対象は座標ではなく人物」
「ええ。……麓の方向ね」
ミシュリーヌの視線は日が昇る窓の先。
「……そこまで分かるのですか?」
「だいたいよ」
ジュリアは思わず感心する。
「普通はそんなことまでは分かるはずが……」
「人が励ましてるのに、化物みたいに言うのやめてくれるかな?」
「そんなつもりはなかったのですが」
「でもカルナ、大丈夫かしら?」
「今頃捕まっているでしょう。まだ彼が戻らないのが何よりの証拠です」
「……案外冷静なのね」
「私だって心配ですよ。ですが、このような時ほど感情で判断しても、碌な結果にはなりません」
「そういうところ、本当にジュリアらしいわ」




