説教
誰もが空を見上げていた。
静寂。
風が、草原を撫でる音。
篝火の火の粉が弾ける音。
そして。
月が、翼を広げた。
夜空を震わせる神鳥の声。
次の瞬間。
アトネータイの陣地が動いた。
ザッ。
一斉に地に伏せる。
迷いはない。恐怖もない。何度も繰り返してきた所作のように。
数十の燃える鳥達が飛び立つ。
ガルーダ。紅蓮の翼が夜空へ軌跡を描く。
螺旋を描きながら。
ゆっくりと。
優雅に。
まるで神へ祈りを捧げるように。
舞っていた。
魔族達は誰一人として声を出せなかった。
それは軍事行動ではなかった。
儀式だった。
(俺達は一体、何を見せられているんだ?)
ジェラルドはシンプルに思った。
だが口にはしなかった。
この場にいる誰も、その答えを持っていない気がしたからだ。
しかし、静かに立ち上がった者が居た。
風が吹き抜ける。
フードがめくれる。
露わになる、緩いウェーブの金髪。
エメラルドの瞳が、淡く光を放つ。
手には焼き芋。
ミシュリーヌだった。
「ミリー?」
ジュリアが呼ぶ。
だがミシュリーヌは答えない。
ただ空を見ていた。
巨大な神鳥。
夜空そのものを覆うような翼。
世界の理から外れた存在。
その姿を見上げながら。
「大きな鳥さん。話し合い。しましょう」
右手をシームルグに翳した。
刹那。
月が、ゆっくりと、落ちた。
(話し合ってねえ)
ジェラルドが頭を抱える。
アトネータイの陣地が騒ぎ始めた。
ざわめき。
悲鳴。
怒号。
さながら営巣地を外敵に襲われた鳥たちのようだった。
「そこの人族の娘」
老白竜ゴルズ=ヴィムが、ゆっくりと振り返る。
「今、何をした?」
全員の視線がミシュリーヌへ集まった。
「え?」
ミシュリーヌはきょとんとする。
「だから、何をしたのだ」
「何って……」
少し考える。
「降りてもらっただけ?」
「は?」
「だって空だと話しづらいでしょう?」
平然と言った。まるでなんでもないことのように。
「それと、私はミシュリーヌ・ヴァランタンよ。大きな白い龍さん」
老白竜ゴルズ=ヴィムが、空を見上げる。
月が落ちる。
否。
神鳥シームルグが降下してくる。
巨大な翼。
羽ばたく。
その瞬間だった。
轟音。暴風。
大気そのものが押し潰される。
「伏せろ!!」
老白竜ゴルズ=ヴィムが叫ぶ。
地面が抉れた。
篝火が消し飛ぶ。
天幕が宙を舞う。
鍋が転がる。
積み上げられた物資が吹き飛ぶ。
魔族達が必死に地面へしがみ付く。
遠くではアトネータイの陣地も同じだった。
「きゃあ!!」
セシリアが強風に飛ばされそうになった。
「……っ!」
ルカが抱きとめる。
羽ばたき一つ。
それだけで戦場そのものが崩壊した。
しかしミシュリーヌは憮然とした顔で立っていた。
「だめ」
そしてすたすたと歩き出した。
「ミリー。一体どうするつもり?」
ジュリアも予想していなかった事に困惑していた。
ミシュリーヌは首をこてんと倒して、
「お仕置きしないと」
そして不思議そうに言った。
「だって。私たちが安心して寝れないでしょう?」
嫣然と微笑んだ口元。目は笑っていない。
ジュリアの背筋を冷たいものが走る。
その表情は、エウラーリアにそっくりだった。
彼女は今、怒っていた。
沈黙。
魔族達は意味を理解できなかった。
ただ一人を除いて。
モーリガンの顔色が変わる。
「行くぞ!!」
立ち上がった。
「皆の者!! あの娘には逆らうな!!」
モーリガンが怒鳴った。
「人族の娘に跪けと?」
バザラードの声が低く響く。
漆黒の瘴気が揺らめく。
「バザラード!!」
モーリガンも怒鳴り返した。
「今はそのようなくだらない議論をしている場合ではない!!」
「くだらないだと?!」
バザラードの瘴気が揺れる。
「深淵種たる我らに、人族へ頭を垂れろと言うか!!」
「だから違う!!」
モーリガンは頭を抱えた。
「見なかったのかあの力を!!」
指差す。
夜空。
そこには。
ゆっくりと降下を続ける神鳥シームルグ。
「見たとも」
バザラードが吐き捨てる。
「だからこそ危険だと言っている」
「違う!!」
モーリガンは叫んだ。
「危険なのはあちらではない!!」
沈黙。
全員が固まる。
そして。
モーリガンの指が、すたすた歩いていく少女を指した。
焼き芋を片手に持ったまま。
「そっちだ。今あの月を落したのは、"あの娘"だ」
再び沈黙。
「行くぞ!!」
怒鳴りつける。
数百年生きたダークエルフの直感が叫んでいた。
きっと今から始まるのは交渉ではない。
説教だ。




