交渉
ヴァランタン邸。
ヴァランタン家の侍女に先導され、ジュリアは静かに廊下を進んでいた。
「エウラーリア様。ジュリア・アークライト様がお見えになりました」
「通しなさい」
「失礼いたします」
ジュリアは扉の前で一度深呼吸する。
覚悟を決めるためだった。
ミシュリーヌの力。
シームルグ。
黒曜議会の混乱。
そして魔族の暴走。
今ここで話しておかなければ、本当に世界が壊れるかもしれない。
侍女が扉を開く。
「いらっしゃい。ジュリアさん」
エウラーリアがいる。それは予想通りだった。
だが。
ジュリアは一瞬固まった。
「……」
その隣。
優雅に紅茶を口へ運ぶ男がいた。
ランベール・ヴァランタン公爵。
「やあ、ジュリア嬢」
柔らかな笑み。だが目は笑っていない。
「面白い話があるそうじゃないか」
ジュリアの背中を冷や汗が伝った。
◇
「東方のゼオガンダル山脈に"シームルグ"という神鳥が出現しました」
「そうらしいわね」
「ダークエルフのモーリガン・ブラナッハによれば、魔族の議会が混乱しており、人類の領域を直接支配下へ置く方針になりそうだと」
「らしいわね」
「そこで、ミリーの力を借りたいという話になっていまして」
「ミシュリーヌの力、ですか?」
「はい」
「どんな力なの?」
「そ、それは」
「黒の魔力かしら」
「いえ」
「海を割った力?」
「え?」
「雲を貫いた力?」
「な、なぜ、それをご存知なのでしょうか」
エウラーリアはぱさり、と紙の束を机に置いた。
「帝国西方海域調査」
「アルシオンの航海日誌」
「ギルベルト・ノイエンブルク新連邦辺境伯の報告書」
「研究棟の警備記録」
「全部、私のところへ上がっているわ」
ランベールが口を挟む。
「ジュリア嬢」
「……はい」
「君は、自分が案外隠し事が下手だという自覚はあるかな?」
「そ、そんなことは」
エウラーリアがパチン、と扇子を閉じる。
「それで?ジュリアさん。私達が知らないと思っていたの?」
ジュリアは観念したように小さく息を吐いた。
「ですが、ここまで把握されているとは思っていませんでした」
「甘いわね」
「はい……」
逃げ道は無い。ならば本題へ進むしかなかった。
「その上で、お話があります」
エウラーリアが頷く。
「聞きましょう」
「ミリーの力を対アトネータイ交渉に使用したいと考えています」
エウラーリアが紅茶を置く。
「つまり、あの子を表舞台へ出すのね」
「はい。魔族は既に把握しています。帝国もおそらく確保を検討するでしょう。聖教国も神格視する可能性があります」
沈黙。
エウラーリアが静かに頷いた。
「では聞きます。あの子の責任は、誰が取るのかしら」
ジュリアは即答した。
「私が責任を持ちます」
ランベールが紅茶を置く。
「ジュリア嬢」
「はい」
「君は今、国家の代表として責任を取ろうと考えている?」
「そうです」
「そんな物で済むものか」
少し声が低い。
「……はい?」
ジュリア固まる。
エウラーリアは静かに頷く。
「そうね」
ジュリアさらに固まる。
「あの子、貴女以外の言うことを聞かないでしょう?」
「研究者に渡すと危険。黒曜議会に渡すのも危険。国家が管理できる存在でもない」
そこで言葉を切る。
ランベールが続けた。
「なら君が面倒を見るしかない」
「当然です」
「一生な」
「ええと?」
ジュリアは意味がわからないと首を傾げた。
そこへ。
――コンコンコン。
奥の扉が開いた。
「失礼する」
聞き慣れた声だった。
「……父上?」
ジュリアが固まる。
そこから現れたのは、フィリベール・アークライト侯爵。
実父だった。
「ジュリア。お前は明日からヴァランタン家に帰りなさい」
「何をおっしゃっているんでしょうか?」
◇
前日のアストライア新連邦議会。
「次の議題です」
議員が書類を読み上げる。
「家族法改正案」
「賛成」
「賛成」
「賛成」
「異議なし」
異常な速度で可決していた。
◇
次に部屋に入ってきたのはミシュリーヌだった。
ガチャリ。
侍女が扉を開ける。
「お母様、なにかご用でしょうか?」
ミシュリーヌが部屋へ入る。
そして。
「……え?」
一歩止まった。
視線が室内を巡る。
エウラーリア。ランベール。ジュリア。フィリベール。
「……お父様?」
「うむ」
「ジュリア?」
「……はい」
「フィリベールのおじさま?」
「こんにちは。ミシュリーヌ嬢」
困惑した。非常に困惑した。
「……何があったの?」
ミシュリーヌは恐る恐る尋ねた。
誰も答えない。
エウラーリアは紅茶を飲んでいる。
ランベールは微笑んでいる。
フィリベールは目を逸らした。
ジュリアは頭を抱えていた。
「えっと……」
ミシュリーヌはさらに困惑する。
ミシュリーヌは、黒の魔力を再現した、あの後悔を思い出した。
学園長室。初めて見た母の圧。ジュリアの無力感を覚えたような、悲しげな横顔。
そして、机の上には、なにかの報告書の束。
「もしかして私、またなにかやらかしたの?」
「自覚はあるみたいね」
「アルケイネの術式のこと、帝国にバレたとか?」
「違います」
即答だった。
他に思い浮かばなかった。自分は怒られないようにうまく立ち回っていたはずだった。
「もういいです。ミシュリーヌ。貴女はジュリアさんと結婚してもらうわ」
「「は?」」
声は見事にハモっていた。
「いや待ってください」
ジュリアが初めて政治家ではなく十六歳の少女のような顔になった。目がぐるぐると泳いでいる。
どうしてこうなった?
国家が危機に瀕している。魔族は暴走しかけている。神鳥シームルグは存在している。その交渉材料としてミシュリーヌの力を説明しに来た。それだけだったはずだ。
――なのに、結婚?
軍人だった前世を含めても、この状況は想定外だった。
記憶を掘り返してみる。
マクシミリアンの婚約。兄エドワードの婚約。母からの孫要求。そこからの逃避行。
旅行先の遺跡でアルケイネと戦った。そしたら何故かダークエルフ達との会談。
そして今、神鳥シームルグの出現。そしたらなぜか周囲に外堀を埋められている。
――予定調和?
……おかしい。どこで選択肢を間違えた?
記憶を辿っても、全部間違えている気がする。
ジュリアは真剣に考えた。
今ここで死ねば、また最初からやり直せないだろうか、と。




