休暇の始まり
ヴァランタン邸。
ジュリアは軍服にも似た外出用の礼装を整え、ミシュリーヌの元を訪れていた。
廊下で足を止める。
呼吸を一度整える。
手が少し、震えていた。
珍しい挙動だった。
扉を開く。
「ミリー」
「なに?ジュリア。珍しく緊張してるじゃない」
「いえ、その……」
ごくりと、喉が鳴る。
「少し……旅行にでも行きませんか?」
「は?」
ミシュリーヌが、露骨に眉をひそめる。
「どうしたの急に」
「実は先日、エイダンから“少し休暇を取れ”と言われまして」
「え、いつの間に学園行ったの?」
「先日です」
「……あの人、危険なんじゃなかったの?」
ジュリアは少し考え、「危険性は感じませんね」と、あっさり答えた。
「どちらかと言えば、長命種特有の知識量と推察力を、我々が過大評価しすぎていただけでしょう」
「そうかなぁ……」
ミシュリーヌは、なんとも言えない顔をした。
むしろ最近、“一番得体が知れない存在”ランキングを更新し続けている気がする。
「それで、旅行?」
「ええ。不都合がありますか?」
「別にいいけど。なんで私?」
「万が一……いえ、パートナーとして最適ですので」
「今さらっと危険な発言しかけなかった?」
「気のせいです」
「絶対違う」
◇
アストライア首都空港。
巨大な飛空艇が、重低音を響かせながら停泊している。
ジュリアとミシュリーヌが搭乗ゲートへ向かうと――そこには、見慣れた顔ぶれが並んでいた。
ジェラルド。
リィン。
セシリア。
ルカ。
そして、なぜかエリザまで居る。当然のようにリィンを抱きしめながら。
ジュリアが立ち止まる。
「……なぜジェドとリィンはともかく、セシリアやエリザまでいるんですか?」
「最近のお前、放っておくと危険だからな」
ジェラルドが即答した。
「こないだも『魔族が来ません』とか涙目で言ってただろ」
「涙目にはなっていません。事実を歪曲し誇張するのは止めて下さい」
「いや半泣きだったぞ?」
「違います」
ミシュリーヌがぼそりと呟く。
「最近のジュリア、なんかおかしくない?」
「元からだろ」
「それはそう」
「そうですね」
セシリアとリィンが同時に頷いた。
ジュリアは軽く眉をひそめる。
「……心外ですね」
「やはりジュリア様には、ブレーキ役が必要です」
リィンが真顔で言った。
(おかしい)
ジュリアは内心で頭を抱える。恋愛包囲網からの一時撤退と洒落込む予定だったはずが、なぜ、いつものメンバーになっているんですか……?
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旅客飛空艇が到着したのは、自由都市カナン――ポートモーナ国際空港。
ポートモーナは、自由都市カナン最大の港湾商業都市であり、同時に世界有数の観光都市でもあった。
海沿いには白亜の高層建築が並び、昼間だというのに色鮮やかな光が街を染めていた。
物流。金融。娯楽。情報。ありとあらゆる“欲望”が、この街には集まっている。
街路には異国語が飛び交い、人種も文化も混ざり合っていた。獣人、ドワーフ、砂漠民、北方系、南方系――誰もが忙しなく行き交う。
「なんか、観光地っていうには落ち着かないわね」
ミシュリーヌが、忙しなく行き交う人波を眺めながら呟いた。
「確かに。ちょっと騒がしいな」
ジェラルドも周囲を見回す。
上空を飛ぶ小型飛空艇。運河を走る水上艇。絶え間なく点灯する広告幻灯。街そのものが、休みなく稼働していた。
「そうですか?」
ジュリアだけは、むしろ感心したように街を見上げている。
「非常に効率的な都市構造に見えますが」
「お前の感想、時々国家運営側すぎるんだよ」
ジェラルドが呆れた。
ジュリアは気にした様子もない。物流。交通。人口密度。商業動線。確かに、この街は合理的だった。
(……ただ、この光明の裏で――)
脳裏に浮かぶのは、エンギュロイ森林国の巨大農地。強引なプランテーション。
ジュリアは、ほんの僅かに目を細めた。
◇
高層ビル群の一角。
陽光の届かない上層ラウンジで、一人の女が街を見下ろしていた。
褐色の肌。長い耳。黒い巻き髪。
妖艶な琥珀の瞳が、空港側へ細められる。
ニブ・ドーンクレイグ。
自由都市カナンの裏側で、百年以上、“欲望”を育て続けてきたダークエルフの女だった。
「あら……?」
視線の先。見覚えのある白銀の髪。
「……新連邦の白銀の小娘」
ニブの口元が、ゆっくりと歪む。
「どうしてこんな所へ?」
街の喧騒を見下ろしながら、彼女は静かに呟いた。
「嫌な予感がするわねぇ」
◇
ポートモーナ中心街。
運河沿いのカフェテラスを、ジュリア一行が半ば占拠していた。
潮風が吹き抜け、遠くでは水上艇の警笛が鳴っている。
「このジェラートという甘味、冷たくて美味しいですね」
リィンが目を輝かせながら言った。
「ええ。私も初めて食べました」
セシリアも小さく頷く。
「見た目も綺麗だし、食べるのちょっと勿体ないなあ」
ミシュリーヌは、色鮮やかな果実入りのジェラートを眺めながら笑った。
その横で。
「ジュリア。この街へは何をしに?」
エリザが紅茶を飲みながら尋ねる。
「特には。ただの逃避……いえ、観光です」
「今、逃避行って言いかけなかったか?」
ジェラルドが即座に突っ込む。
「気のせいです」
ジュリアは真顔で答えた。
「であれば」
エリザが、植物紙を一枚取り出す。
パラリ、と机の上へ広げられたのは、古い地図だった。
「この古代遺跡を探索してみませんか?」
ジュリアが視線を落とす。
そこには、ポートモーナ郊外――森林地帯の奥深くに記された、崩れかけた遺跡群の印。
「……いいですね」
ジュリアは静かに頷いた。
「無策で街をぶらつくより、楽しそうです」
「でしょう」
エリザが、満足そうに微笑む。




