肆
『 蠱毒注意』
捕まえた時、それはまだ生きていた。親指と人差し指で輪を作り、きゅっと締めてやれば動かなくなる。それを小刀で捌く。
初めは火を通そうと思ったのだが生がいいと言うのだ。彼女が。
小刀を文机と平行に沿わせ、皮を剥がす。刃を動かすのではなく、身を滑らせる。魚と同じだ。多少ささくれたが、口に入れば一緒だろう。そうだ、薄造りにしよう。なんとなく、その方が美味しいかと思ったのだ。
切り分けた肉は文机の上、皿が無いので代わりに紙を敷いた。艶のある赤い切り身が並ぶ。薄く等間隔に並べられたそれは肉というより、水晶のような、そんな透明感のある見た目だ。
そっと一つ摘む。柔らかく押し返してくる弾力。ぷにぷにとした触感が面白い。そのまま鼻に近づけると、最初に感じたのは臭みだ。冷く湿った土の様な香り。
ひとくち。舌の上に乗せると体温で脂がほどけ、肉の味が口内に広がった。鉄の味と、あとから淡白で柔らかな食感を感じる。鶏肉の様で、思っていたより食べやすかった。醤油があれば魚の刺身の様に食べられたかもしれない。
「まどろっこしいな」
いちいち捌くのは面倒くさい。
結局もう一匹残っていた鼠はそのまま鷲掴みでかぶりつく事にした。
籠から取り出す。ばたばたと抵抗されるが、構わずかぶりついた。
ぶちりと皮を噛みちぎる感覚。毛が鼻先を擦りもぞりとする。歯が肉に到達し骨を噛み砕く。ぐずりと、生き物の潰れる音がした。先程と同じものを食べているはずなのに、不快感が強い。
びくり
鼠が一度跳ね、それきり動かなくなる。
そのまま血液も啜る。ありきたりな鉄の味だ。うまくも不味くもない。
ついでに先程捌いた鼠の残りも食らう。皮と骨。それにこびりついて取りきれなかった肉片。
すっかり飲み下した肉片が、体内に張り巡らされた糸に絡みつく。
あの日迎え入れた彼女は、トノカワの体内に巣を作った。食道、胃。そこからさらに奥へと進み、神経や筋繊維。果ては脳まで糸で侵されているのがわかる。
気持ちがいい。彼女と一つになる。彼女の考えがわかる。彼女の望みを叶えれば、幸福感で満たされる。これが愛なのだろうと、トノカワは理解した。彼女の為なら何だって出来る。
望みは何だ?
そう、もっと。もっとか。
もっと鼠を取りに行かねば。
◇ ◇ ◇
翌日。朝一でトノカワは再び裏庭に来ていた。焼却炉に積まれた生ごみに群がる鼠が目的だ。一限をサボタアジュして来たのは、あのバンカラ野郎に会いたくないからである。
だのに、奴は今日も長椅子に寝転がり安々と寝息を立てている。むかつく野郎だ。
トノカワの舌打ちする音に反応してサネノリが目を覚ました。
「お前か、井戸の穴を直したのは」
サネノリがむくりと顔を上げる。
「あ? あー知らねぇよ」
「嘘だな。お前以外に誰がいるって言うんだ」
とんだ言いがかりである。
「はぁ、変な奴。気持ち悪りぃ」
悪態をつきながらサネノリは中庭を去っていった。昼寝、いや二度寝を邪魔されたので、かなり機嫌が悪い。
裏庭に一人残ったトノカワは考える。あいつが嘘をついている様子はなかった。態度は最悪だし、咄嗟に口から出まかせを並べられる程知能がある様には見えない。
はたして、本当にそうだろうか。体の中から騒々と不快感が吹き上がる。
そう、そうだ。あいつは嘘をついている。おれにはわかる。憎いだろう? 我々の住処を奪った奴が。どうする。どうすればいい。考えろ、何か手があるはずだ。
そう、そうだ。何だ簡単じゃないか。
◇ ◇ ◇
「バカノリ、お前ふざけるなよ」
エン、怒髪衝天である。
「ノリくん、朝っぱらから授業抜けてどこ行ってたの? 試験前にそれはまずいよ」
「ちょっと、なんか、眠くて」
「眠い? 馬鹿にしているのか? 俺がわざわざ勉強を見てやってるというのに何だその態度は。いっそ学校なぞやめて出家して山伏にでもなった方がいい生き方が出来るのではないか? 延々と滝行でもしていればその空っぽの頭も冴え渡るだろうよ。貴様の頭に松笠でも詰め込んでやろうか」
エンの早口な罵声が響き渡る。サネノリは瀕死だ!
「ご、ごめん……」
「貴様如きが、山伏としてやっていけるわけないだろうたわけが。結局お前は机に齧り付いて数式を覚えるしか道はないんだよ。百回やって覚えられなければ一万回やれ。簡単だろう、愚か者め」
理不尽である。
「なんだかんだで面倒見てあげるんだから、エンくん優しいよね。容赦ないけど」
「いいか、次はない。次授業を抜けたら丸坊主にしてやる」
これはエンなりの照れ隠しである。そう信じたい。
「わかった、もう授業抜けたりしない。だから見捨てないでくれよ……」
うるうるサネノリ。可愛くない。が、自らの過ちを素直に認められるのは彼の美徳である。これに懲りて真面目に授業を受けてくれる事を願う。
結局それからサネノリは真面目に授業を受けた。かなり精神的にきてはいるようだが、何よりエンが恐い。少しでも欠伸しようものなら鋭い視線が飛んでくる。脂汗をかきつつも、彼は席を離れなかった。
そんな緊張状態が崩壊したのは、それから二日後のこと。
「もう無理だぁーー!!」
授業も真面目に受け、放課後はホタル家で勉強会。ついでにエンが用意した宿題付き。詰め込みに詰め込まれたサネノリの頭が破綻するのは必然だった。
午後の授業を終えた途端駆け出すサネノリ。 しっかりとした体格と整った姿勢は、さながら陸上競技者のようである。
「あーあ、逃げちゃったよ」
「追い詰めすぎたか? 授業後というのがまた癪に触るな」
約束は授業を抜けたら、だ。これでは坊主頭はない、小癪なと悪態をつく。
ちょうど他の学生達も帰路のため辺りを彷徨いてる時間だ。「長身の学生が全力疾走してなかったか?」とでも聞いて辿れば、サネノリへと当たるだろう。しかし。
「しかしなぁ……。俺としては、奴が落第しようとどうでもいいんだがなぁ」
エンは面倒くさい。二つの意味で。サネノリを追いかけるのも面倒だし。エンの性格も大変面倒な作りをしているようだ。
「そんなこと言っちゃって、どうせ最後までちゃんと面倒見るんでしょ。ほら、行こっ」
そんな二人の間を取り持つのがホタルの役目だ。この三人はこんな感じで成り立っている。ホタルは人をよく見ているので、こういう仲介役をよくする。いい子。
この三人がつるむ様になったのも、ホタルの声掛けが発端なのだが、それについてはまたいつか何処かで。
結局ホタルに背中を押され、二人はサネノリを追いかけるのであった。




