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拾遺奇譚『よらばけ』  作者: 編纂天使モブリエル
息抜き編

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10/12

『人 蠱毒注意』



 最初に気がついたのはいつだったか。トノカワは一人考える。


 いつまでも子供のような遊びに夢中になってと、馬鹿にされるのが不快であったので、人から隠れて行う様になった趣味。それは、高等中学に上がってからも細々と続いていた。


 寄宿舎の同室は友人の多いことを鼻にかけた嫌な奴だ。要領が良く剽軽(ひょうきん)。此奴に趣味を知られたら、人々に噂を流されどんな誹謗中傷を受けるか判ったものではない。

 よって、行李(竹編みの箱)の中、端っこに住処(マッチ箱)を置いた。同室が不在の時を狙って外に出す。気が滅入る環境であっても彼女は大人しく、よく懐いてくれた。可愛いやつだ。


 彼女の特異点を発見したのは、そんな細やかな散歩の時間だった。小さな畳敷きの部屋、同居人は未だ帰宅せず二人きりの特別な時間だ。縦横無尽に駆け回る彼女。可愛い事この上ない。


 寄宿舎というのはあまりいい作りをしていない。大きな風が吹けばガラスは揺れ音を出すし、冬になれば隙間風が吹く。大きな蝿が入り込むのはよくある事だ。

 

 一匹の蝿。いつもの光景のそれに、彼女が興味を示す。元々獰猛な性質だが、ここの所そういった活動は控えさせていた。鬱屈していたのだろう。行動原理にしたがって、彼女は蠅に飛びかかった。

 ばちりと、糸を弾く。そのまま蝿に巻きつける姿はまるで踊っているようで、あまりに美しく、トノカワは魅入ってしまった。

 彼女は捕らえたそれに齧り付き、引き裂き、実に美味そうに咀嚼した。本来食事など必要もないのに、だ。


 その日から、彼女は度々虫を捕食するようになった。蠅から蛾。蛾から蛙へと、段々と捕食対象が大きくなっていく。いつのまにか、トノカワが彼女に食事を運ぶのが日常となっていった。


 トノカワと彼女が一つとなってからも、それは変わらない。彼女が望むがままに食事を与え続けるだけだ。


 さて、次の食事はどうやって誘き出そうか。

 あまり複雑な生態はしていなさそうだったから、簡単に誘い出されるだろう。手紙でも出してみるか……。

 そのように思案していると、騒がしい足音が近づいてきた。


「なんだ、来たのか。手間が省けたな」



  ◇  ◇  ◇



 サネノリは走る。どこまでも。いや、どこまでもは無理だ。

 教室を飛び出し、廊下を駆け抜ける。この時、脳内には般若の顔をしたエンがこちらを睨んでいた。刺々とした鉄の棒を構えている。これは恐い。先程まで混乱の最中にあったサネノリの頭が、一気に覚醒した。


 気がついたのは誰もいない廊下。サネノリがいつも授業を抜け出して昼寝にくる裏庭へと続く場所だ。直ぐそこの出口を出れば裏庭。

 すぐさま引き返し、エンに謝罪をしなければ大変な事になるのはわかりきっている。しかし般若はこの世のものとは思えぬ恐ろしさだ。

 どうするべきか、考えねばならぬ。とりあえずいつもの長椅子に腰掛け落ち着くべきだろう。そうだろう。


 サネノリは裏庭へと続く扉をくぐる。


「なんだ、来たのか。手間が省けたな」


 そんな声をかけてきたのは、前に一度突っかかって来た男だ。何が気に食わないのか、不機嫌そうな顔を向けてくる。今はそれどころではないというのに。


「大方試験勉強が嫌で逃げ出して来たんだろう。馬鹿そうだものな、お前」


 合っている。鼻で笑われ、くやしノリ。


「なんなんだよ、急に突っかかってきて」

「何言ってる、お前が視界に入って来たのだろう。勉強から逃げ出して、苛立ってこんな所で八つ当たりか。哀れだな」


 明らかな挑発。意外と忍耐強いサネノリは、普段ならこんな安いやつ買ったりしないのだが、今日はちょっと精神的に追い詰められすぎていた。


「んだお前、俺に喧嘩売るってことは覚悟できてるんだろうな」

「喧嘩? 事実を言っただけだが、怒るってことは自分が阿呆だと自覚があるのか」

「てめぇ!」

「大声だせばいいと思ってるんだろ。お前、ずっとそうやって生きてきたんだろうな。駄目な事から逃げて、暴れれば誤魔化せると思っている。都合のいい頭だな」

「っ、この野郎!」


 サネノリが胸ぐらをに掴みかかろうとしたその時——。


「おい! ドクソリュウジ バカノリ!! 貴様覚悟は出来ているんだろうな」


 魔 王 降 臨。


 怒髪閻天(エンブチギレ)である。


 校舎の出入口から現れたエン。後ろから困り顔のホタルが追いかけてきているのが見える。


「っぎゃぁぁーー!! ごめんなさいごめんなさい!」


 先程までは殴り掛からんばかりの勢いであったが、自分よりも激昂しているものを見ると冷静になるものだ。

 いや、冷静を通り越して萎縮してしまうサネノリ。だって怖いんだもの。恐慌状態。


「何が違うというんだ、俺の指導から逃げ出して気まぐれに喧嘩とはな。その空っぽの頭を今すぐ差し出せ。お前の長ったらしい毛を全てむしり取ってくれる」

「ここここれは駄目だ!うちは厳しいんだ!」


 自らの襟足を必死に掴むサネノリ。指の間からぴょこりと三つ編みがはみ出している。サネノリの髪が長いのは、家の方針のようだ。


「ちょちょちょ、エンくん落ち着いて。ノリくんは褒められて伸びる性分だよ。たぶん」


 ホタルに背後から組み付かれるエン。多少落ち着きを取り戻したようだ。


 サネノリだって高等中学に合格した身だ。本来なら出来るはずなのに、何故こんな感じなのだろう。今だって、おさげを掴んだまましょんぼりしている。足の間に尻尾を挟んだ犬のような風貌だ。とてもじゃないが、エリイトには見えない。


「……ッチ。群れれば勝てるとでも思ってるのか」


 結局いつも通りの騒がしさになってしまう三人に毒を含んだ声が飛ぶ。振り向けば、トノカワが忌々しげにこちらを睨んでいた。


「ノリくん、友達?」

「いや、名前も知らない」


 三対一。分が悪いと思ったのか、一歩ずつ後退るトノカワ。


「確か一つ上の先輩じゃない? 見たことあるよ」


 ホタルはこういうところをよく見ている。他の二人が思い当たらないあたり、余り目立つ人ではないようだ。


「卑怯者だな、全く。一人では勝てないと踏んだか」

「いや別に、応援を呼んだとかではなく……そもそも吹っかけてきたのはそっちだ」


 一歩、また一歩と後退る。悔しい事この上ない。しかし、今日のところは撤退するしかないのだろう。こんな卑劣な手に出られるとは、存外に頭が切れる。計画を練り直さなければならないようだ。

 そう考え後退したそこは、かつて彼が蜘蛛を飼っていた井戸がある場所だった。


 ホタルと比べると上背があるトノカワ。

 井戸を塞いでいた蓋を踏み抜き、ばきりと音がした。本来ならしっかりと埋め立ててあるはずのそこは、ぽっかりと穴が空いている。



 そのまま姿勢を崩し、背中側から井戸の底へと落ちていった——。

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