参
『 蠱 注意』
誰もいない放課後を狙い、トノカワは裏庭へ訪れた。
結局、あのバンカラ野郎をどうにかする方法が思いつかず、仕方なくこちらの時間をずらすことにしたのだ。不服であるが、トノカワにはどうする事もできない。
違和感を感じたのはすぐの事だった。地面に適当に放り投げられている布片。青海波 の図柄が描かれたその手拭いは、トノカワの所持品だ。
「まさか」
慌てて駆け寄り竹筒を覗き込む。底の方は暗く何も見えない。
「おい。おい!」
かさり
呼び掛けに応えるかのように這い出てきたのは、三糎ほどの大きさの蜘蛛。それはそのまま手のひらに収まった。
トノカワはほっと息を吐く。彼の愛しい子は共にある事を望んでくれたようだ。であるなら出来る限り愛しい子の願いを叶えてやるべきであろう。
「おいで」
甘ったるい声で呼びかけ、そのまま口へと運ぶ。蜘蛛は素直にトノカワの口の中へ。こうすればずっと一緒にいられるし、何より安全だ。
しかし、一体全体誰の犯行だろうか。明らかにこの子を狙っている。このまま放っておけば、また狙われることは目に見えている。何か対策を講じなければならない。
悶々と悩むトノカワの足元にどこからかヤスデが現れる。
「そうか。その手があったか」
トノカワは徐にヤスデを掴み上げ頭上へと持ち上げる。躊躇せず、そのまま頭から飲み込んだ。
ごくり、と静かな音がした。
これでいい。守るばかりでは駄目なのだ。
廃井戸でやっていた事と同じ、それをそのまま自分の体で行えばいいだけ。やる事は変わらない。この子を強く育てる。ただそれだけだ。
◇ ◇ ◇
「本当に大丈夫か? 急に押しかけちまって。親御さんとか」
「大丈夫大丈夫。そんなんあってないよなものだよ」
意外とそういうところきっちりしているサネノリに対して、ホタルの返事は何とも言えない。
ホタルの案内に従って帝都を歩く。辿り着いたのは、延々と石造りの塀が続く道。向こう側には立派な洋館が建っているのが見える。金持ちかな。
「ほえー」
「口を閉じろサネノリ。伴田利家の屋敷だな。石炭から魔導車まで何でも《以降、意味のないうんちくが早口で続くので読みと」
「ただの成金だよ」
「そうか……」
得意の蘊蓄を強制中断されたエン。ちょっとしょんもり。
正門を通り過ぎる三人。通用門だろうか、ホタルは小さな鉄製の柵扉を開き中へと誘導する。
「ホタル、お前ここに下宿してんの?」
「うーん、まぁ似たようなもんかな」
ごまかしホタルに連れられて来たのは、木造の庵のような平屋建てだ。洋館の裏側、少し距離が空いた場所に位置しているようだ。離れってやつ。
「ただいまー」
「あぇ、おかえりなさいませ! わわっお客様? ぐぅイケメン!」
「……。うん、お茶お願い」
出迎えたのは女中の格好をした鴇色の髪の少女だった。何だかとっても仕事できなさそうな雰囲気がするが、指摘するのは野暮だろう。優しい二人は黙る事を選ぶ。
「僕は着替えてくるから、ゆっくりしてて」
そう言って、ホタルは奥へ引っ込んでいった。
「どうぞ、客間へご案内します!」
女中は元気いっぱいだ。
案内された客間はよく整えられた居心地の良さそうな和室。勉強が捗りそうだと思うのはエンだけだろう。
「で、なにが苦手なんだ?」
「国語と、それから漢文。他の外国語もダメだな。それから魔法学、魔道基礎。あとは地理、理科もだめだ」
「つまり、ほぼ全部じゃないか。馬鹿ノリ」
ぐうの音も出ない。
「おまたせー。僕は数学と理科がちょっと不安」
着替えを済ませたホタル。立ち襟の洋シャツに袴を合わせた、書生姿だ。
「し、失礼します!」
ちょうどお茶も来たようだ。
大変危うげな調子でお茶を運んできた女中。お盆は溢れた緑茶でびちゃびちゃだ。
「おじゃましまし……いえ、ごゆっくりどうぞ!」
危なっかしい上に喧しい。勢い余って閉じられた障子がすぱーん! と音を立てた。
「「……」」
「なんか、ごめんね。いつもお世話してくれる棗さんが、初孫が産まれたとかで休暇取っちゃって。代わりに新人押し付けられたっぽいんだよね」
「女中の仕事って、大変なんだな」
女性に優しいサネノリ。いい子である。
そんな不手際はさておいて、三人はようやく教科書を広げる。
「なぁこれ、なんて読むんだ?」
「あまねし、だな。行き渡るという意味だ」
「ほえー、これは?」
「いんぎん。お前の態度のことだ」
「……これは?」
「もうろう。お前の理解度だな」
「おい。適当言ってるだろ」
「これは難しいぞ。たいだと読む。意味は」
「わかるわ! なんだよ、俺なんかした?」
「何もしてないからこうなってるんだろう」
「むぅ……」
むくれサネノリ。反論の余地がない。
そうやって時間を過ごす三人。廊下の奥に見える庭から、柔らかい空気が流れ込んでくる。大変に心地良い空間である。
そんな穏やかな夕暮れに影差すように、がしゃんという音が響いた。硝子か陶器が壊れたような音が、少し離れた位置から聞こえて来たようだ。おそらく同じ建物内。くらいの距離感だ。
だがしかし、当のホタルはしらんぷりで通したい様なので、触れないでいた方が無難だろう。結局、先程と時間の流れは変わらない。かに思われた。
「お、奥様〜」
先程の女中の声だ。奥様が陶器の器でも割ったのだろうか。わたわたと騒がしい雰囲気が伝わってくる。
「奥様じゃねぇって」
悪態をつくホタル。彼が言葉を崩すのは、あまりない事だ。
「ごめんね、ちょっと様子見てくるよ」
そう言って、ホタルは廊下の奥へ消えていった。
残された二人の間には、気まずい沈黙が流れる。サネノリはそわそわと、勉強が手につかない様子だ。ホタルが気になるのだろう。いや、勉強が手につかないのはいつもの事だったわ。
「こういうのは、自分から言い出すのを待つものだ」
「そっか。わかった」
サネノリは素直なのだ。いい子。
「おまたせ。ごめんね、騒がしくって」
少ししてホタルは戻ってきた。ちょいと肩をすくめてこなれた様子だ。いつもの事なのだろう。
「家族か?」
「えーーー!?」
「サネノリ、喧しい」
「いやいやいやいや、えぇ!?」
先程の会話など無かったかのようにエンが訊ねる。サネノリは大混乱だよ。何てこった。
「母だよ。トモダリ家の長女なんだ」
「へー。父親は? 婿入り?」
追撃するサネノリ。衝撃からの立ち直りが早い。
「いんや。父親が誰だか、僕も知らないんだよねぇ」
「そうか、それは難しい事だな」
遠くで豆腐売りのラッパの音が聞こえる。夏の日差しが傾いてきた。
「そうでもないよ。叔父家族が跡取りだから、うちはお気楽。衣食住の世話してもらって、学費まで出してもらってるんだから、文句はないよ」
「お豆腐屋さーーん!」
女中が勢いよく駆け出していく。夏の冷奴は最高だろう。
「……まぁ、女中は変えて欲しいかな」
「いいんじゃあないか? 少しくらい賑やかな方が。ここは静かすぎる」
「そうかな」
「そうさ」
「ぎゃ! 買ったばかりのお豆腐が!」
夕食は無事だろうか。
「……食事は本邸に頼んで運んでもらうってのはどうだ?」
「うん。そうしようかな」
遠ざかるラッパの音と夕暮れ。本日の雑談多め勉強会はこうして幕を閉じた。果たして、サネノリの試験は大丈夫なのか、それは本人さえもわからない。




