弍
『 蟲 注意』
かりっ……ほぐ……かり。
佃煮はうまい。
外側の香ばしい硬さを噛み砕くと、内部の柔らかな部分がくにゅりと溶け出す。噛めば噛むほど醤油と砂糖の甘辛いタレが感じられ、最後に鼻へと抜ける生姜と炒り胡麻の風味が心地いい。
鳳 閻は佃煮が好きだ。海産から農産まで、何でも美味しくなる魔法の調理法である。甘辛の佃煮を口に含み、ほくほくの白米を重ねるように口に運ぶ。あぁ、これぞ完璧なマリヤアジュ……。
「エンくん、それ何食べてるの?」
昼食のサンドイッチを齧りながら、蛍 三宇は眉間に皺を寄せた。友人が口を付けているそれはどう見ても……。
「イナゴの佃煮だ」
「いなご……」
「食べるか?」
「えぇ……」
距離を取るホタル。
イナゴを差し出すエン。
「ちょちょちょ、聞いてくれよ!」
微妙な沈黙を破ったのは、四限から授業に現れなくなっていたサネノリだ。教室に駆け込むように現れたサネノリは、昼食中の二人に声をかけた。
「なにそれ、虫?」
「イナゴだ」
「うまいの?」
無言でイナゴを差し出すエン。
右手にお行儀よく乗っかったそれを、躊躇いなく口にするサネノリ。
「ひぇ……」
「ん……結構いけるな」
「だろう? ホタルは食わず嫌いなんだ」
「これって、僕がおかしいの? そうなの?」
混乱するホタル。世間一般の感覚は置いておくとして、ミツノキ家でイナゴが料理として出て来た事はないのだろう。
「して、サネノリ。さきの話。何の用だ」
イナゴに気を取られていたサネノリ。はっと思い出し話を続ける。
「裏庭で、昼寝してたんだけどよ! なんか変な音がするんだよ」
「ノリくん……」
「お前、授業出ないでそんな事していたのか」
二人に呆れた顔で見つめられるサネノリ。嫌な汗がびっちょり。
「とにかくだな! その音があっちゃあ裏庭を使う奴らも困ると思うんだ」
「「なんで?」」
揃って首を傾げる二人。仲良しか。仲良しだったわ。
「いいから、原因究明手伝ってくれよ!!」
サネノリ魂の叫びが、教室内にこだました。喧しい。
◇ ◇ ◇
放課後、ちゃんと授業を終えた三人は、裏庭に顔を出す。なんだかんだ付き合ってやるんだからいい友人である。
「この辺なんだけどよ……聞こえるか?」
剥き出しの地面に焼却炉。妖しいものは何もない。サネノリに胡乱な目が向けられるのも仕方ない。
「本当に鳴ってたんだって!」
「えぇー、本当にぃ?」
おちょくられノリ、必死である。
楽しそうな二人をよそにエンは一人、裏庭を散策する事にした。別に誰かが困ろうがどうでもいい事だが、不審な音は気になるものだ。好奇心である。
「おい」
エンはとある一角で足を止めた。そのまま地面を見下ろし二人を呼ぶ。
「なにこれ」
「竹、か?」
地面から、十五糎程の長さの竹筒が突き出ている。
「あまり近づくな。危ない」
「え、なに」
竹筒を覗き込もうとしていた二人は、慌てて距離をとる。
ぽこん
「ほらこれ、これだよ!」
「サネノリ、うるさい」
ぽこん
ぽこん
その音は、 確実に竹筒から聞こえてきた。
「息抜きだな」
「息抜き? なんだそれ」
「息抜きというのはな、要するに井戸を封じた跡だ。井戸というのは、ただ埋め立てただけでは駄目なんだ。深い穴の中に土の成分や落下した有機物の影響で瓦斯が発生する。これをそのまま埋め立て、瓦斯の逃げ道を塞いでしまうと、地盤沈下や逆に盛り上がってしまったり。最悪の場合、瓦斯が地表に噴き出すなんてこともありうる。その対策の為、井戸の底のあたりから地表に向けて管を伸ばすのだよ。わかるかね」
「あ、うん」
「つまりどういうことだ」
サネノリは三行以上の言葉はわからない。
「つまり、この音は古井戸の息抜きが失敗している事が原因なんだ」
「息抜き?」
「息抜き、失敗、音がする。わかる? ノリくん」
「なるほど」
多分理解できた。たぶん。
「ホタル、これで竹筒の詰まりを取ってくれ」
エンが差し出したのは、焼却炉に備えられた火バサミだ。これを筒に突っ込んで中身を掻き出せという事なのだろう。
「え、何で僕? 危なくないの?」
「一番体重が軽いからだ。問題ない」
体重が軽いからなんだというのだ。怖くて先は聞きたくない。
「この中で一番適任だ」
「ホタル、頑張れ!」
「嘘でしょ!? くそ、なんかあったら恨むからね!」
真剣な顔で言ってのけるエン。こいつは完全に楽しんでいる。あとサネノリは言い出しっぺのくせになに何でこんな他人事なんだ。ふざけるなとホタルは思う。
おそるおそる竹筒を覗き込めば、何かが詰まっているのが見えた。
「なにこれ、手拭い?」
火バサミを突っ込み摘み上げる。竹筒から顔を出したそれは、よくある藍模様の注染の手拭いだ。
すっぽりとはまったそれを引き抜けば、中から長く節だらけの多足の虫が這い出てきた。
「ひぇ! ムカデ!」
情けない声を上げた蛍は、こちらも虫のような素早い動きで距離を取る。
「エンくん! ムカデ! 噛まれたかも!?」
「よく見ろヤスデだ。毒はない」
「そんなん見てもわかんないよぉ!」
ホタルは気が動転している。
一方ヤスデはのっそりと竹筒を抜け出し、そのまま近くの茂みへと姿を消した。
「そうさな、ムカデというのは一つの体節につき足は一対。一方ヤスデは」
「いやいいよ。それより、解決したって事でいいんだよな? 昼寝再開出来る?」
蘊蓄の出鼻をくじかれたエン。なのでおそらくこの科白もサネノリへの嫌味を込めているのであろう。
「昼寝に時間を使うくらいだ、期末試験はさぞ余裕なんだろうなぁ」
そう、今は七月。気温も上がり、本格的な夏の到来である。夏期休暇だ。
まぁ夏期休暇の過ごし方は人それぞれ、学習に当てる者もいれば、実家の手伝いに消えてしまう者もいる。全員が全員楽しい夏休みとはいかないが、その前にまず 期末試験である。
高等中学はエリイト養成を目的とした学舎である。試験に落ちるなど言語道断。再試験もあるにはあるが、基本は原級留置。来年ももう一度、である。
つまりサネノリ、絶体絶命。
冷や汗が止まらない。ついでに泳ぐ目も止まらない。ぐーるぐる。
「エンくん……実は僕もちょっと。いくつか」
ホタルのお目々もきょーろきょろ。
「はぁ……。はぁーー」
エン、特大ため息。ちょっと歪んだ眼鏡のブリッジを押し上げ、顎をちょいと上げて二人を見下ろす。完全に相手を見下す姿勢だ。もっとも、彼の態度が尊大なのは今に始まった事ではない。
「いいね、勉強会。僕も賛成だよ!」
誰もそんな事は言っていない。
「だよなぁ! よし、放課後俺ん家……は無理だな。事前に許可がないと」
「はぁ、俺も無理だな。親が帰ってきてるから狭い」
なんだかんだ付き合ってあげるエンは優しいのかもしれない。成績がいいから勉強も見てあげるのだろう。
「えぇ、うーん。家かぁ。まぁ多分大丈夫……かな」
別に図書館でも何でも行けばいいと思うかもしれないが、そこはやっぱり青少年。静かな場所で黙々とノオトを広げるなど真っ平御免である。
かなり渋々ではあるが、勉強会はホタル家に決まったようだ。




