リリーのダンス練習
「まずはお互いの呼吸を合わせることを意識して、尊重し合うことが大事ですよ。」
アナベル夫人の声が響き渡る広間で、リリーは公爵とのダンス練習を再開した。
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リリーが考えうる婚約から結婚の一番の不安点はダンスだ。だから練習したい。そう訴えると、公爵とマーシャ、アンはがっくりと肩を落とした。
「まぁダンスしながらでも会話は出来るし……」
「公爵様、お嬢様にそんな余裕はありません。」
驚いてこちらを見る公爵に、リリーは曖昧に笑みを浮かべた。
「授業では踊っていたのですがラルフとばかりでしたし、先生も最低限でどうにかしようと仰って、他の方とはあまり実践経験がないのです。」
「あまりとはどれくらいですか?」
あえて濁した部分を追求され、リリーの視線は床から離れなくなった。
「お父様とお兄様と、ラルフのお父様と先程の公爵様でしょうか?」
従兄弟たちとも踊っていたかもしれないが、ほぼ記憶がない。ラルフと踊っている姿とその後そそくさと輪から外れる様子から察して誘わずにいたのだろう。
「伯爵令嬢が、それで良いと?」
思わずマーシャの口から漏れた言葉にリリーは肩を竦めた。
「結婚相手募集中だったらそういうのも大事だけど、売約済みならそこまで重要視しないのよ。貴族ってそういうものだし。」
「その怠惰が坊ちゃんの婚約者になったことで、注目されて耐えうるダンスに出来るかどうかがリリー様の懸念点となった訳ですね。」
トドメを刺されたリリーが深く頷くと、リリーの横に公爵が座り直した。
「では練習をしましょう。さっきは自分自身に余裕がなくて、リリー嬢の動きまで把握出来ていませんでした。私が相手で問題点を見つけることが出来れば、リリー嬢の憂いは晴れるでしょう。」
そう言って公爵はリリーの手を取ると、立ち上がらせた。
「マーシャ、母にレッスンを頼んで来てくれるか。アンはピアノを弾けるものを連れてきてくれ。」
善は急げとばかりに公爵は指示し、リリーを連れて練習に使っている広間へと足を進めた。もちろんドアの前にいたミレーヌも付いてくる。
「お母様が躓いたり、お父様の足を踏んだり、よろけてしまったらお父様の責任です。レディに恥をかかせる時点で紳士としてあるまじき行為ですわ。」
身長分だけ歩幅が狭いミレーヌの暴論を背中で聞きながら、公爵に手を取られて足早に歩くリリーは遠い目になった。
自分が公爵の足を踏んだら、公爵が怒られるという理不尽極まりない理屈に対して目の前を歩く公爵が「そう思う。」「紳士としてあるまじき行為だ。」と納得しているのだ。足を踏んだら踏んだリリーが悪いに決まっているし、恥をかく理由は努力不足であって公爵のせいではない。この親子で一致している認識はリリーとズレている。
広間まで続いた親子の会話により、不得意なダンスを始める前からリリーの精神力は削られている。
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「右、左、ターン、右、左、ターン、左、右、ターン」
ステップを呪文のように唱えながらスカートにより見えないはずの足元を見つめているリリーにアンは頭を抱えた。ラルフが相手であった時より、ココ最近の練習よりも酷い。踊ることが仕事ではない使用人ですら分かるレベルに絶望した。にも関わらず、アナベル夫人の声は明るい。
「アルフレッド、リリーの呼吸に合わせるのよ。」
「分かってますよ。右、左、ターン、左、右、ターン」
しっかりとリリーの手を握り、腰に腕を回した公爵もリリーと同じようにステップを唱え下を向くリリーを楽しげに見つめている。公爵のリードによってターンする様は何となく優雅に見える。
「声さえ聞こえなければ、突然決まった婚約者の目を恥ずかしくて見ることが出来ない控えめな令嬢という風には見えないこともないですね。」
目を細めたマーシャの言葉に、アンはなるほどと思う。クルム公爵ほどの美しい人であれば、ないと断言するのは難しい。
「ただやっぱり見つめ合い、微笑み合う姿は必要よ。お母様のこの可愛い姿は今だけで、私の胸にだけ秘めておきたいわ。」
アナベル夫人と並んでいたミレーヌがリリーから目を離して会話に加わった。だけを強調する美少女はリリーの盲信者である。何処が美少女の琴線に触れたかは分からないが、リリーを気に入ってくれた大変ありがたくも、難しい美少女だ。
「アルフレッド、やっておしまいなさい。」
アナベル夫人が物騒なフレーズを告げると、アンの見ている場でリリーは宙に浮かんだ。正確には持ち上げられた。公爵に両手で腰を持たれたリリーが驚いている間に足が浮き、クルクルと回るとゆっくりと着地した。
「これなら私の足を踏まないのだから、私の顔を見ていただけると嬉しいですね。」
そう言われたリリーが顔を上げてじっと目を見ると、公爵は目をさ迷わせ天井を仰いだ。
「公爵様、お嬢様に自分を見ろって仰いましたよね?」
「あまりに至近距離で恥ずかしかったんでしょうね。あの子は本当に意気地がないわ。」
アンがマーシャに問いかけると、代わりにアナベル夫人が情けないと返事をした。
「踊れますかね?」
「大丈夫よ。」
足元ばかりを見る伯爵令嬢と、顔を見つめられたら固まる公爵。不安でしかないアンにアナベル夫人はしっかりと答えた。
「大丈夫になるまで、特訓するのみだから。」
ひぇと漏れた声を手で覆い隠し、アンは同情的な目でリリーを見つめた。
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それから一時間、リリーは目の前にある公爵の胸のボタンを見てステップの確認を続けた。
公爵の足を踏まないように下を見続けるも辛かったが、ただ正面というのも面白くない。たまにチラリと顔を上に向ければ、リリーを見ていたであろう公爵が慌てて横を向く。その繰り返しだ。手はしっかりと握られ、背中にも支えられた安心感がある。ラルフよりも踊りやすく、このステップに限定するならばリリーに余裕が出てきた。だってリリーは苦手なのではなく、不得意なだけである。アナベル夫人もリリーには褒め言葉しか言わなくなった。対して公爵に対してはちゃんとリリーを見つめるように激が飛び続けている。
「公爵様、お願いがあります。」
リリーが胸のボタンに向かって話しかけると、握られたリリーの手に力が入った。
「そろそろ休憩にしてもらいましょう。甘いお菓子も用意して貰いましょうか?」
分かっているとばかりに告げられた公爵の提案は、リリーのお願いではない。
「もう一度リフトをお願いしたいのです。」
くるりと回るタイミングで顔を上げれば、やっと公爵と目が合った。ついでにわざと重心をずらせば、公爵にも余裕がないのか横を向かない。
「先程の、もう一度やっていただけませんか?」
目を合わせたまま繰り返しリリーが願えば、公爵は目を逸らせずに小さく息を飲んだ。
「分かりました。」
行きますよ、と公爵の声に合わせて手が離れ両手が腰に回ると、リリーは公爵の肩に手をかけた。突然のリフトに驚いた顔をするアナベル夫人やアンを横目に、下を見下ろせば公爵と目が合う。そのままクルクルと回転しながら徐々に降ろされれば、今度こそ地に足がついても公爵と目があったままだ。ついリリーが笑えば、公爵の眉は謝罪の時のように下がった。
「公爵様は私を持ち上げている時はよそ見が出来ませんね?」
「当たり前でしょう。そんな危ない真似は出来ませんよ。リリー嬢に何かあったら困るでしょう。」
やれやれと言わんばかりに返事をする公爵はリリーのドレスを整えると、手を持って椅子に誘導する。
「今度からは私に人見知りをしたら、リフトで持ち上げてくださいませ。それが一番手っ取り早いですわ。」
リリーが大人しく後に続くと、公爵の背中がビクリと震え、恨めしげな顔で振り返った。
「母よりも荒っぽいことをおっしゃる。肝に銘じますよ。」
読んでいただき、ありがとうございます。
次回も月曜日を予定……しております。
職場で流行してしまい、半分程が先週休んで荒れております。
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