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リリー、求婚される

 公爵にプロポーズを予告された次の日。

 リリーはマーシャに目の覚めるような鮮やかな赤色のドレスを着せられ、アリソンによって手の込んだ化粧を施された。忙しい様に朝食は自室に軽食が運ばれ、準備が整えば馬車に案内された。王都からクルム領に来た時の馬車だ。しかしミレーヌはいない。中には既に公爵が乗っていて、リリーは向かいに座った。公爵は心なしか顔色が悪いが、普段よりもかしこまったジャケットの美青年には違いない。

「おや、今日は大変に着飾ってくれている。求婚のしがいがありますね。」

 公爵の初めての軽口を受けながら、リリーはため息混じりに爪を眺めた。爪はあまり主張しない綺麗なピンクにアンが塗ってくれた。

「アリソンに大変怒られました。『寝不足はお肌にすぐに出るんですよ。』って。」

「私も似たようなものです。『そんな調子で求婚出来るのか!!』とゴードンにどやされました。」

 それにしては穏やかな様子の公爵にリリーは眉を寄せた。

「自分だけ寝不足だった前回よりは些か気持ちが晴れ晴れとしています。まさに同士討ちの気分ですよ。」

 前回の公爵は寝不足だったのだと言外に言われると、更にリリーの眉が寄る。その顔に公爵がクスクスと笑った。

「せっかくのお化粧が取れてしまいます。アリソンに言われませんでしたか?」

「言われました。」

 リリーが素直に白状すると、公爵は満足そうに頷き馭者に声をかけて眼鏡を外した。暗い隠し部屋で見た美しい顔が陽の光を浴びて、いっそ消えてしまいそうな程に眩しい。アンが称する「太陽」という意味がリリーには納得出来る。ただ目が潰されそうな禍々しさはなく、木漏れ日のような温かさである。じっと見つめるリリーと目が合うと、公爵は上半身を屈めて顔を近づける。

「眼鏡がなくても見えますよ。これは伊達ですから。」

 目を合わせ伝える公爵の声にリリーは眼鏡に視線をやった。確かにレンズの向こうに見える床は歪まずに縁外と同じありのままを映している。

「素顔だと、人が倒れたり寄ってきたりして大変なんです。昔は拐かそうとする者もいて大変でした。」

「でしょうね。」

 相槌を打ちながら、リリーは想像した。公爵の顔を幼く、小さくした姿はまるで高名な画家が描いた天使だ。

「絶対に可愛いに決まってるじゃないですか。私が誘拐しそうです。」

 リリーの言葉に公爵は微笑み、体勢を戻して後ろに背中を預けた。

「では、今の姿で会えて良かった。私のせいでリリー嬢を犯罪者にしてしまう所でした。」

 確かにと青ざめるリリーを他所に、馬車は森へと入っていく。教会や街にはアナベル夫人やミレーヌと共に何度も行ったことがあるが、リリーには初見の道である。

「どちらに向かっているのですか?」

 リリーの問いに、公爵は思案顔で天井を見つめた。

「求婚にぴったりかは分かりませんが、リリー嬢が恐らく気に入る所ですよ。もう少しかかりますから、寝ていてもいい。」

 先程よりも寄る眉を自覚して、リリーは平静を保つために窓に目をやった。


 □□□□□□□□

 目的地が何処なのか気になって眠れないまま木々を見ていると、馬車は止まった。変わらない木々の先に何があるのか、リリーが考えていると小さな笑い声が聞こえる。今まで意識的に背けていた顔を公爵の方へと向ければ、笑い声の主はリリーが見ていた方とは逆の窓を指さした。

「リリー嬢の見ていた窓からは見えないのですが、一生懸命探す姿が可愛くて。」

 笑っているせいで震える指の先に見えるのは、湖である。

「あの絵の湖!!」

 公爵に笑われていることよりも、リリーは窓から見える湖に心を奪われた。公爵が描いたという絵は、二ヶ月間リリーの滞在する部屋に飾られたままだ。毎日見ていても飽きない絵のモデルとなった湖の場所は誰に聞いても教えてくれなかった。公爵へ手紙で尋ねた際に「いずれ案内します」と書かれていたのをうっかり忘れていた。

「昨日のうちにボートも用意しました。乗りたくありませんか?」

 後ろから聞こえる公爵の問いかけに、リリーは首を縦に振らざるをえなかった。ボートが繋がれている場所から湖を見渡せば、リリーは感嘆の声を上げる。

「寸分の狂いもありませんね。」

 この場所から描いたと分かる構図のそのままに湖の周りには草花が溢れ、日が差し込んでいる。程よく伐採された木々の隙間から自生している花たちに注がれている部分も絵とそっくりだ。

「そこまで似てはいません。あれは偶然だ。」

 どうぞと差し出された公爵の手を借りてリリーが白く塗られた手漕ぎボートに降りると、ハンカチが座面に敷かれ、ありがたく腰を下ろした。赤いドレスはリリーでも分かる高級品で、ボートに乗りたいと頷いたもののペンキで汚れたらとヒヤヒヤしていたのだ。

「湖の中央付近で求婚しますから、それまで景色を楽しんでください。」

 ズボンが汚れるのも気にせずにリリーの向かいに座った公爵は、自らオールを持ち、岸からボートを離した。

「そんなこと言われたら楽しめないじゃありませんか。」

 ワクワクとしていたはずの気持ちが、心臓が痛くなるくらいのドキドキになりリリーから抗議の声が上がると公爵はわざとらしく口角を上げた。

「私もそれどころではないもので、中心で本番と考えると胃が痛くて逃げ出したくなります。けれどあなたもだと思えば一人で楽しまれるよりは心が軽い。」

 公爵も本音を話しているのか、ゆっくりと中心に進むにつれ、たまに寄り道かのように離れること数回。リリーが深呼吸して、公爵の目をじっと見据えた。

「公爵様、帰りの体力も必要なのですから決着をつけましょう。勝負は決まっています。私は『はい』としか答えませんから、二人で楽になりましよう。」

 公爵がまだ若いとはいえ、ボートを漕ぐには体力がいる。途中で力尽きて馬車で待っている馭者に助けを求めることは避けたい。それにいい加減にリリーの心臓を楽にしてやらなければ、結婚するより前に早死してしまいそうだ。公爵は一つ頷くと、明確に中央を目指し始めた。リリーの言葉で心が決まったらしい。ほぼ中央まで来ると公爵の手は止まり、深く呼吸を繰り返した。身構えたリリーに苦笑いをすると、右手をリリーの前に伸ばした。

「手を出していただいてもよろしいですか?」

 リリーが左手を差し出すと、公爵はその手にエメラルドの付いた指輪を乗せて握らせ、自分の両手でそれを包んだ。

「私と結婚して、クルム公爵夫人となってください。」

 呆気ないほどシンプルな言葉だが、リリーの手を包む公爵の手は微かに震えていて緊張はリリーにも伝染した。

「はい。公爵様のお力になれるように努力いたします。」

 強ばった声でリリーが返事をすると、公爵の手から力は抜けた。

「ありがとうございます。」

 俯いていて表情は見えないものの、ここまで感情のこもった感謝の言葉をもらったことがあっただろうか、と思うほどに心が伝わる公爵の声音にリリーは微笑んだ。卑怯な手を使うサマー嬢からなんとしても公爵を守らなければならない。リリーは心の中で手の中に残された指輪に誓い、公爵が落ち着くのを待った。


 □□□□□□□□

「お待たせしました。戻りましょうか。」

 リリーが湖の中央から見える湖畔の風景を堪能していると、公爵が声をかけた。公爵の額には汗ひとつなく、オールを漕ぐ手は力強い。これなら助けを呼ばなくても大丈夫だとリリーは安心する。

 水面にはゆらりゆらりと波が出て、リリーはそこに手の先を入れた。

「海とはこういうものなのでしょうか?」

 リリーは内陸の父の領地と王都からあまり出たことは無い。港町から見えるという広い海は絵画で鑑賞したくらいだ。

「では新婚旅行は海が見えるところにしましょうか?」

 岸に近づき公爵のオールを漕ぐ手が止まると、波はゆっくりと静まりボートはゆらゆらとするばかりで前進を止めた。ここに何をしに来たのかをすっかり忘れていたリリーは固まった。心臓がまた急にバクバクと音を立て始めた。

「波が楽しくて結婚のことを忘れていたでしょう。」

 確信を突く公爵の問いかけにリリーは曖昧に微笑みを返したが、深くため息をつかれる。

「いえ、無邪気な所も好ましいと思うので構わないのですが、気持ちの切り替えが早い人ですね。」

「また悪い所を見つけられてしまいました。」

 肩を落とすリリーに公爵は小さく笑うと、リリーの指輪を持つ手を指さした。

「それを悪いとは私は思わない。エメラルドには安定という意味があります。リリー嬢はそのままでいてくだされば良いのです。」

 岸で待っていた馭者にボートを固定させると、公爵は再び手を差し出してリリーをボートから降ろした。そのまま馬車に乗り込むと、背中側にいる馭者に聞こえないように公爵は前屈みになりリリーに小声で囁いた。

「挙動不審になると思って言いませんでしたが、求婚の一部始終はミレーヌたちに見られています。」

「は?」

 リリーの驚きの声に公爵は声を出さずに笑った。

読んでいただき、ありがとうございます。

今週も月水金更新予定です。

よろしくお願いします。

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