リリーの言い分
リリーが伝えた言葉に、公爵は大きく目を見開き、口を開いて閉じた。それが三回繰り返されたあと、ようやく深呼吸した公爵はリリーの肩を掴んだ。
「全くふしだらだとは思いません。思いませんが、女性には色々準備があるでしょう。今というのはいささか性急すぎる、決して私が嫌だと思っているわけではありませんよ。しかし相応しい場所で、こんな埃っぽい場所では良い思い出が残せません。」
公爵に肩を揺さぶられ必死にリリーを思いとどまらせようとする姿に、公爵が阻止しようとしている『初めて』がリリーの乞う『初めて』と違うことに気付いた。リリーは慌てて首を横に振って、公爵を止めた。
「違います。そういう事ではなくて、キスです。」
「キス?」
大きな声でリリーの言葉を反芻して公爵はリリーの肩から手を離し顔を赤くして、咳払いをした。
「あなたは言葉足らずですね。」
七つ目の欠点を言われると、リリーは苦笑いをした。クルム公爵と自分では基準が違う。公爵にとってキスはふしだらの領域ですらないのだろう。
「兄にもよく言われます。それでキスであれば、今していただけますか?」
「理由を聞いても良いでしょうか。それにキスだとしてもこんな薄暗い場所では良い思い出にならないでしょう?」
性急に訴えるリリーに、公爵は困惑を隠せず問いかけた。
「もしサマー嬢の思惑で私がガット公爵と結婚した時に、全ての初めてを奪われないためです。『私はクルム公爵家のアルフレッド様とキスしたことがある。』それだけで、サマー嬢の鼻を明かすことになるでしょう?公爵様と二人きりになるチャンスは今後もしかしたら無いかもしれません。邪魔が入らないし、少し暗い方が雰囲気もありますわ。」
名案だとでも言うように話すリリーの様子にまた深くため息をついた公爵は、リリーに顔を寄せてチュッと音を立てて口付けた。まだ事を理解していないリリーに向けて得意げに笑うと、もう一度顔を寄せた。
「これでサマー嬢はギャフンと言いますか?」
「するならすると言ってくださらないと。」
至近距離で話す公爵にしどろもどろになり、リリーは目線をさ迷わせた。行き着いた場所は公爵の唇で、そこに視線が定まると公爵が微笑んだのが分かる。
ここで公爵に微笑まれなければ、あんなことしなかったのに!!
リリーは後日の言い訳でそう周囲に訴えたが誰にも理解はされなかった。
「もう一度お願いします。」
「は?」
ポツリと呟いたリリーに公爵が驚いている間に、リリーは自ら唇を合わせた。少々カサついた公爵の唇の感触を体感してから顔を離すと、呆気にとられている公爵と目が合う。
「思い切りがいいのが私の良い所ですの。」
満ちた笑顔で言い放ったリリーはベッドにぽふりと横になると、そのまま目を閉じた。公爵が我に返る頃には寝息を立て、一時間後にゴードンたちに発見される頃にはマーシャに揺らされても起きないほどに熟睡していた。
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翌日の昼過ぎ、自室のベッドで目を覚ましたリリーは、落ち込んだ顔のアンと心配そうなマーシャを見て自分がしでかしたことを悟った。
朝からずっと緊張していた気持ちが、公爵とキスを出来た達成感で緩んだ途端に寝たらしい。
マーシャ曰く、熟睡のリリーは公爵に抱き運ばれ、いつものベッドに寝かされた。二人の間には何も起こらなかったという公爵の言葉を聞いて、「二回キスしました。」とタイミングよく寝言をもらした、らしい。リリーは起き上がった体を再びベッドに沈めた。
「公爵は紳士でした。自分の上着をお嬢様にかけて、自分はドアの前に椅子を置いて外敵から守っていらっしゃいました。」
マーシャの言葉にリリーは頭を抱えた。
「死にたい。」
リリーの心の声が違う所から聞こえて首を動かすと、アンがしゃがみ込んで頭を抱えている。
「お嬢様のピンチにアンは立ち会えませんでした。リリー様の専属侍女としてお仕えしているのに、アンは務めを果たせませんでした。死にたいです。」
アンの物騒な物言いにリリーが首を傾げていると、マーシャは苦笑いでアンの背中を撫でた。
「図書室でサマー嬢を探している時に閉じ込められたようで、リリー様をお助けした時にその場に居られなかったことを悔いているのです。」
「シャロンに閉じ込められたのはアンだったのね。」
シャロンは中を確認せずに図書室を塞いでしまったのだろう。アンは運が悪かっただけだ。
「リリー様がお目覚めになったら連絡するようにと言われておりますので、伝えに行って参ります。」
その間にアンを慰めてくださいと、マーシャに暗に言われリリーは頷いた。二人になってもグズグズと床に座り込むアンに、リリーは隣に座ってみせる。
「どう考えてもアンが悪い訳がないわ。シャロンが故意に閉じ込めたのよ。アンが身代わりになってくれたおかげで部屋に私が隠れているのも知らずにサマー嬢は油断してたくさん話していたわ。アンのおかげよ。、、」
「……本当ですか?」
ピクリと動いたアンの耳を撫でてやれば、アンがリリーの方をチラリと見る。アンは単純だが、勘が良い。リリーの嘘はすぐにバレるから、慎重に言葉を選ぶ。
「本当よ。これからも傍にいて欲しいの。死ぬなんて言わないで。」
「はい、言いません。」
やっと笑ったアンの頭を撫でながら、リリーは立ち上がり手を広げた。
「ひとまず着替えたいわ。アンが選んでちょうだい。」
立ち直ったアンが服を選びに向かっている間に、リリーは父に手紙を書くことを決めた。
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『お父様へ
完全にやらかしました。
責任をとりたいので、お兄様をクルム領に寄越していただきますようお願い申し上げます。
リリー』
次の日の夜に届いた娘からの手紙にエルバ伯爵は狼狽え、息子のダニエルを呼び出した。手紙を見たダニエルはため息を吐くと、それを放り投げて従者に視線をやった。
「あの馬鹿は言葉が足りないといつも言っているのに、『何を』やらかしたんだ?『どんな』責任を取ろうとしているんだ!!父上、リリーの希望通りにクルム領に向かいます。」
「あぁ、一番早い馬で行け。」
夜通し走れば翌日の昼には到着する。寄越せと言われたダニエルはふふふと笑った。
「早まるなよ、リリー。」
ダニエルは妹の変なところで突っ走る性格を危惧して、早々に従者と共に王都を旅立った。
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リリーが相手はともかく結婚しようとしている遠因はダニエルの失言によるところが大きい。
幼少期、お転婆だったリリーは庭で木登り中に顔に傷を作った。本人は気にしていなかったが、教育係が責任を取りたいと暇を申し出たことをリリーは納得がいかなかった。若く美しく優しい教育係が大好きだったリリーは駄々をこね続け、父の怒りを買うほどだった。
「どうして大した事ない怪我で、先生はいなくなってしまうの?」
部屋での謹慎を命じられたリリーの元へ来たダニエルはこの問いに考えもなく答えた。
「お前の顔に傷が残って結婚出来なかったら、領民から教育係は殺されるからだ。」
物騒な物言いに使用人たちはざわめいたが、リリーは理解が出来ないようだった。だからダニエルは補足した。
「王家や公爵家と仲良くなったら民の暮らしが豊かになる。仲良くなるには結婚が一番なんだ。けど顔に傷がついた女は結婚相手に選ばれないだろう?だからもし領地で飢饉が起きたら、教育係は恨まれる。お前がお嬢様を守らなかったからだって。」
「そんな……」
目を潤ませる妹に気付いたダニエルは慌てて怪我をした額を撫でてやった。
「この傷は治ると医者が言っていた。これからは気をつけるんだぞ。お前が婚約出来たらどこにいたって教育係は喜ぶだろう。」
これを境にリリーは慎ましくなり、学業は得意ではないものの努力をするようになった。ラルフと婚約した時も、ラルフ本人を気に入ったかどうかはともかく大喜びしたものだ。
ラルフが駆け落ちしていなくなると、リリーは部屋にこもりやけ食いをした。このままワケあり令嬢として独身を通すか、修道院で神に仕えるか、新しい相手を探すかという家族会議がリリー抜きで行われようとした時にガット公爵、続いてクルム公爵から手紙が届いた。ガット公爵からしか手紙が届かなければ、リリーはガット公爵に嫁いだのだろう。それがダニエルの心を苦々しくさせる。
とはいえ、ダニエルにとってはクルム公爵も同じである。
数年で妻を変えるガット公爵と最愛と言われる夫人を亡くしたクルム公爵。どちらもリリーを愛するとは思えない。にも関わらず、屋敷を訪れたクルム公爵の様子はダニエルの予想外だった。リリーに詫び、労り、喋らない時はリリーを熱の篭った目で見つめている。美しいアルカイックスマイルをみせながらスマートに事を収める男が、リリーが見つめるだけでしどろもどろになる。家族会議をすることもなく、父がクルム公爵の元へと送り出すことを決定したのは当然であった。
そのリリーがやらかしたこととは何なのか。ダニエルには到底思いつくことは無い。
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次回は金曜日に更新予定です。
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