リリー、隠れる
「今日のリリー様はいつもより大人の色気を感じますわ。」
部屋の前で待っていたミレーヌは開口一番そう言い放った。動揺するリリーなど気にせず、夕食に向かう廊下を終始ご機嫌に歩いている。まさかミレーヌの父親に婚約を断られるための衣装だとは言えずに、リリーは曖昧な笑みを浮かべながらその後ろを歩いて行く。
「あら、今日はいつにもましてシンプルね。」
向かいに座るアナベル夫人に優しく微笑みかけられるが、リリーはもごもごとしか返事は出来ず公爵の方など見る余裕もない。
「華美に飾るのは夜会の時だけで良い。リリー嬢が我が家でリラックス出来て何よりだ。」
前公爵がミレーヌに同意を求めミレーヌが応えていると、執事が珍しく小走りに公爵の元へやって来た。冷静沈着を絵に書いたような人物の慌てた様子に食卓に緊張が走った。
「坊っちゃま、急な来客でございます。」
「慌てるなんて珍しい。誰が来たんだ?」
昔の坊っちゃま呼びになっていることにも気付いていない壮年の執事の様子に、公爵は眉を寄せて問いかけた。
「ガット公爵家のご令嬢にございます。ご旅行中に道に迷い、こちらに辿り着いた。どうか一泊させてほしいと仰っておいでです。」
「サマーさま……」
「あぁ、なんという日だ。」
ミレーヌの呟きがポツリと響き渡り、それを打ち消すように公爵がため息をついた。内定していた婚約の断りを入れようとしている日に自分を狙っている令嬢が突撃訪問するなんて、今日が公爵の厄日かもしれないとリリーは同情する。
「公爵様、私とのお約束は順延に「しません。続行です。ひとまず応接間に通して、部屋の準備をしてやってくれ。こちらではなく、客用の別棟にだ。」」
リリーの提案を遮った公爵が指示を出すと、立ち上がって大股で部屋を出ていった。一刻も早く断りを入れたいようだと、リリーは納得した。公爵は器用な方だから、問題は一度に解決させたいのかもしれない。
「お父様も災難ですわね。」
「あぁ、試練の日だろうな。」
冷静な会話をしたミレーヌと前公爵が使用人を促して食事を始めると、さすがにといった様子でゴードンが席を立った。
「私は援護をして参ります。リリー嬢、兄を待っていてやってください。」
そう続けると、ゴードンはミレーヌの頬を撫でて足早に部屋を後にした。ゴードンは有能だから、手助けには最適な人物なのだろう。リリーに出来るのは待つことくらい。せめて待たせることはないように、リリーは食事の手を早めた。
「ゴードンったら、兄思いに育ったわねぇ。」
アナベル夫人の言葉に、うんうんと頷いたリリーに前公爵と使用人たちが苦笑いをしたことには気付かなかった。
リリーが食事を終え、一度部屋に戻ろうと廊下に出ると使用人たちが騒いでいる。
「ガット公爵令嬢の行方が分からないのでございます。シャロンをお付きに指名して浴室に行かれたようなのですが、戻っていらっしゃいません。従者たちは『いつものことだ』と知らん顔で探す気配もない様子で。きっと坊ちゃんの責任にするつもりですわ。おまけにベッドシーツやら、寝る前のお茶やら細かく指示をしてきて。令嬢としての立場を弁えていらっしゃるのかしら。」
立ち止まったアリソンが状況を教えてくれるが、イライラと手に持ったハンカチを強く握りしめている。
「マーシャ、行ってあげて。戻って公爵様のお部屋に行くくらい一人でも出来るわ。アンもお手伝いをしていらっしゃい。」
本当はリリーも手伝いたいが、サマー嬢を見つけても誰の得にもならないだろう。おまけに公爵との約束もある。
「ではこちらでお部屋にお入りください。そして、こちらがご主人様のお部屋の鍵です。」
そう言ってマーシャは申し訳なさそうに二つの鍵をリリーに手渡した。
「入ったらすぐに鍵をおかけください。何かあったら叫んでください。そうしたらどこにいてもすぐに駆けつけますわ。」
アンは不満そうながらも世話になっている公爵家の騒ぎに動かざるを得ないことを理解して、リリーに強く言い聞かせた。
「分かっているわよ。鍵をかければいいんでしょ。何かあったら叫びます。」
アンのあまりに必死な様子にリリーは苦笑いを浮かべながら、早く行くようにと手で追い払った。
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自室に入ろうとすると、ドアの隙間にメッセージカードが挟まれている。部屋に入ったリリーがカードを見ると、
『図書館で待っていてくれ アルフレッド』
とだけ書いてある。リリーは眉を顰めた。毎日読み返している公爵の手紙の筆跡ではない。しかし公爵がその場で文字を書いている所を見たことは無い。誰かが代筆していると思いたくは無いが、それならば婚約を断られるのも納得が出来る。
「マーシャから鍵を預かってしまったし、ひとまず公爵のお部屋に行きましょう。違っていたら謝ればいいわ。」
自室で軽く身支度を整えると、リリーはカードを持ち、意を決して公爵の部屋を訪れた。リリーの部屋よりも黒い木を使ったドアは重厚で、鍵も凝った意匠がある。
ノックをしても反応はなく、鍵を使って解錠する。扉を開けるとランプには火が灯されているがやはり人の気配は無かった。壁際の棚には所狭しと本が並べられ、リリーは圧倒されて立ち止まった。
「お邪魔します。」
小さく声をかけて中に入り、所在なく立ち尽くしているとドアノブを回す音が聞こえる。アンに言われたことをすっかり忘れていたリリーは心の中で自分を叱りながら、動揺して叫ぶことも出来ない。
ドアが開くと、そこに現れたのは部屋の主である公爵だった。
「リリー嬢、遅くなってすまない。アンもマーシャもいないのか?」
キョロキョロと部屋の中を見渡して入る公爵にリリーは胸を撫で下ろした。
「えぇ、サマー様がいらっしゃらないと聞いて、応援に向かいました。」
「サマー嬢は目立つ方なのに、四方八方を探しているが見つからないんだ。故意に隠れているとしか思えない。だからあちらは後回しにして私だけ抜けろとゴードンが送り出してくれた。」
サマー嬢を思い浮かべたのか嫌そうな顔をした公爵は扉を閉めようとし、急に手を止めて開き直した。
「リリー嬢に良くない噂が立ってはならないな。」
苦笑いする公爵にリリーはそういえばとメッセージカードを持って近寄った。
「こちらを誰かに託されましたか?私の部屋のドアに置かれていたのです。」
メッセージカードを見た公爵は怪訝な顔をして、首を傾げた。
「いや。こんな物を届けさせた覚えもないし、この屋敷にアルフレッドは私だけのはずだ。」
その言葉にリリーは開かれた扉を閉め切った。驚く公爵にリリーは真剣な顔で訴えた。
「リリー嬢、何故閉めるんだい?」
「カードを公爵様が書いていないということは、誰かが偽装したということです。もしかしたらサマー嬢は誰かに捕まっているのではありませんか?私の振りをして、この部屋で公爵様のことを襲うつもりかもしれませんわ。婚約者に駆け落ちして逃げられた私の評判など知れています。公爵様の命より大事なことはありません。」
「侵入者の可能性は考えたが、あのサマー嬢を捕まえるよりもミレーヌを捕まえた方が楽だろう。それに貴女の名誉だって大事だから、」
公爵が話しながらドアノブを握り再びドアを開けようとすると、遠くからドスンドスンという音が聞こえてくるのに二人は気づいた。
「あの音はサマー嬢の足音……」
怪訝な顔をして呟く公爵を前に、リリーはドアノブの上にある鍵を施錠した。
「リリー嬢?」
「嫌な予感がします。」
妙に説得力のあるリリーの言葉に、公爵は咎めることはせずに廊下の音に耳を傾けた。ドスンドスン、ドスンドスンと間を開けて聞こえる音は目的地まで階段を上がりきったのかリズムが一定となる。徐々に此方に近づいてくる音に公爵はリリーの手首を掴んで、部屋の奥へと連れていった。棚の隙間にあるスイッチを押すと棚が回転し、人一人が通れる程の細いドアが現れる。
「使用人は一部しか知りませんから内緒にしていてくださいね。」
「……隠し部屋ですか?」
命を狙われることでもあるのだろうかと考えながら、リリーは手を引かれるままに中へと進んだ。隠し部屋は一人で使うにしては広いベッドと机があるだけの狭い場所だった。
「これは監禁部屋?」
「違う。」
びくりと肩を震わせたリリーに公爵は即座に否定し、深くため息をついた。
「いかがわしいことなど微塵もありません。ここは」
リリーは公爵の言葉を遮るように公爵の口元に手を当てると、ドスンという音に耳をすませた。どんどんと近寄っていた音が止まり、ガチャガチャとリリーが鍵を開けた時と同じ音がする。
「!!」
公爵も音の出処を理解したのか、まだ開いていた隠し部屋の扉を閉めた。部屋の中は元いた部屋から漏れる光によってうっすらと姿が見えるくらいに暗くなった。公爵が耳を壁に押し当てる姿を確認したリリーもそれに傚うと、ドアの開く音と共に野太い声が聞こえてきた。
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