表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
XX  作者: すうじ
17/22

17

 その土曜日、マリたち三人は貴子の家に出かけた。

 貴子の家はK駅から二駅ほど離れたT駅に行き、そこからバスで十分ほどの場所にあった。

 より正確には、貴子の家の門は、といった方が正しいかもしれない。

「もしかしなくても駅からずっと見えてたこの塀全部、小笠原先輩の家なのでしょうか?」

 みくは呆れかえった。

 T駅からそこまでの道のりの間、マリたちの左手にはずっとシンプルな白い塀が続いていた。その塀はマリたちが貴子に渡された地図の星印までずっと続き、ちょうど貴子に指定された場所で途切れていた。そこで塀はいったん大きな門になり、また道の向こうから再開している。門の前で貴子がそわそわと待っていなかったら、まず間違いなく大きな神社か何かと勘違いするだろう立派なもので、マリはなんとなく南大門という言葉を思いだした。マリたちに気が付いた貴子が手を振った。

「よかった。迷わなかったみたいね」

「ええ、おかげさまで……あんたんち、すごいわね」

「大きさだけは自慢できるって言ったでしょ? まあ早く上がってよ」

 貴子は勝手口にマリたちをいざなった。

 門の中には庭が広がっていた。


「あれ、ねーちゃんの友達もう来たの?」

 貴子に案内されて廊下を歩いていると、廊下の向こうから声が聞こえた。現れたのは、背が高い男子だった。180センチ近いんじゃないだろうか。そのせいで細く見えるが、タンクトップからのびる二の腕には、確かな筋肉が乗っている。なにかスポーツでもやっているのかもしれないとマリは思った。短く切った髪は黒く、体は日に焼けて焦げ茶色になっていた。

「祐樹、やっと起きたの? もう昼過ぎだよ」

 貴子は、その男子を呼びよせて、マリたちに紹介した。

「こいつはあたしの弟の祐樹、毒にも薬にもならない奴だから、存在自体無視していいよ」

 小笠原祐樹は顔をしかめた。

「ひでえ姉貴でしょ? こんなのの相手をしているなんて大変ですよね? ええと――」

 祐樹が口ごもる。

「マリです。川村マリ。貴子さんにはいつもお世話になっています」マリが頭を下げた。

「ねーちゃんからいつもお話を聞いています、こちらこそ姉がお世話になって……」

「いいえ、そんなことないです。それで、こっちは妹のみくに、従妹のユメです」

「よろしくお願いします」みくとユメが頭を下げ、ユメは右手を差し出した。

 ユメに見られた祐樹は照れたように頬をかいて、差し出された手を握った。

「ええと、よろしく」

 小笠原祐樹のにやけた顔を見る。日本人にしてはほりの深い顔はどこか西洋の血を思わせた。なんだか貴子とはまた方向性の違う美形だとマリは思った。

「……なんですか、俺の顔に何かついてますか?」

 マリの視線に気がついたのか、小笠原祐樹は不思議そうに見返した。

「いいえ、なんでもないわ」

 視線をそらす。あれが小笠原祐樹。ユメの父親の候補その1。マリはその顔をしっかりと胸に刻んだ。

「ほらほら、こんな場所で立ち話をずっとするのもなんだから、上がって上がって」

 三人は奥の座敷に通された。

 貴子に急かされて、マリたちはお邪魔しますと言いながら上がった。二十畳ほどの広い部屋の奥には一組の男女が美しい姿勢で座っていた。貴子の両親だろう。二人とも四十を少し超えたくらいで、父親は明るい茶色の髪をした、ほりの深い男性だった。母親の方は、これこそ日本の妻とでもいうような、割烹着を着て穏やかな笑みを浮かべた姿勢の良い女性だった。

「いつも娘から話は聞いているよ。娘は君といられて楽しくて仕方ないらしい。いつも仲良くしてくれてありがとう」

「ちょっと、お父さん!」貴子が声を上げる。

「貴子ときたら君の話ばかりでね、まったく昔はもう少し落ち着きがあったんだが、これも成長かな?」

「もう、あまりあたしの友達を困らせないでよ」

「まあ、ゆっくりしていってくれ」

「娘に勉強を教えてくださるんですってね」

 横から貴子の母が口をはさむ。

「いえ、わたしの方こそ教えてもらうつもりです。いきなり押しかけてしまいすみません。歓迎してくださり、その、本当にうれしいです。ありがとうございます」

 いえいえ、こちらこそ、と二人は笑顔で答えた。

「後は若い人だけで」と言って、二人は部屋を後にした。

「もう」二人が出て行くまで貴子は一人、恥ずかしそうに縮こまっていた。

「優しそうなご両親ね」

「お母さんたちはあたしに構いすぎなのよ」貴子が唇を尖らせた。

「貴子、入っていい?」

 障子の向こうから声が聞こえた。凛と透き通るような、きれいな声だった。

「お姉ちゃん?」

 言いながら貴子が障子を開ける。マリたちは身を固くした。障子の向こうには背の高い、ショートカットの女性が一人立っていて、黒いロングスカートにシャツというこざっぱりした格好で、気持ちの良い笑みを浮かべてマリたちを見ていた。

「お友達来てたんなら教えてよ。私にも紹介してほしいわ」

「あ、うん。えっとこちらはあたしの友達の川村マリさんと、妹のみくさん、従妹のユメちゃんです。こっちはあたしの姉の光」

「光です。よろしく。実は今年からN女に通ってるから、知ってるかな?」

「貴子から少しだけ聞いたことがあります。初めまして、光先輩」マリが代表してあいさつをした。

「そういえば、貴子の同級生なのよね。よく自慢話を聞くわ」

 貴子は一体自分の家族相手に何を話しているのだろう。というか自分のことなんか、いったい何をそんなに話すことがあるんだろうか。マリは首をひねった。

「でも本当にかわいい。貴子が自慢したくなるのもわかるわ」

「はぁ」曖昧な相槌を打つ。反応に困る人だな、とマリは思った。

「ねえ、マリさん今度一緒にどこかに遊びに行かない?」

「今度と言われても」

「具体的には明日とか」

「さすがに急すぎると思います。あと、試験の勉強しないといけないから」

「そう、残念ね」

「マリ、あんまり適当にお姉ちゃんの誘いに乗らないでね。お姉ちゃんはその、女の子が好きなの」

 マリは、反応に困った。

 貴子の言葉に光はへそを曲げた。

「む、その言い方は失礼よ。ビアンだからって女の子をデートにも誘えないなんてひどい扱いだわ。それにまるであたしがかわいい女の子なら誰でもいいみたいな言い方やめてよ」

「じゃあなんでマリを遊びに誘ったの」貴子が問う。

「食べようと思って」

「台無しだ……」

「姉妹で略奪愛できると思ったのに」光は舌打ちした。

「最悪だ……というかN女ではそういうのやめようって言ってたじゃない。だからあたしだってあんなしょうもない嘘に乗ってあげてるのに……」

「嘘?」マリが首を傾げた。貴子は、あ、とわざとらしく声を上げ「何でもないの」とごまかした。

「とにかく、お姉ちゃんはもう行ってよ。あたしたちは勉強するから」

「はいはい」

 光が笑いながら部屋を出ていく。今のはどこまでが嘘でどこまでが本当なのだろうか。

 マリは頭の中にもう一人の姿を刻みこんだ。小笠原光。容疑者その2。

「マリ、早く行こ。あたしの部屋、二階にあるから」


 三時過ぎまで、マリはひたすらノートと格闘した。ここのところ忙しくてあんまり勉強していなかったマリは、始終貴子に教えてもらっていた。貴子の教え方は簡潔で分かりやすかった。みくも結局マリの勉強を見てくれた。みくの説明は終始話が飛ぶのでわかりにくいとマリは思った。妹に勉強を教えてもらう情けなさは、マリは無視した。

 一方ユメは所在なさげに三人の勉強を眺め、貴子の本棚から抜き取った小説をパラパラとめくっていた。

「退屈させて悪いわね」マリがユメに向かって言う。

「退屈ではないのですが、少し手持ち豚さんですね」

「どんな状態よ……」

「それだったらうちの祐樹と遊んでやってよ。がさつだけど、まあ悪い奴じゃないよ――祐樹ちょっと来なさい」

 貴子が呼ぶと祐樹はすぐにあらわれた。

「なんだよねーちゃん、またゲームで詰まったのかよ?」

「そんなわけないでしょ。そうじゃなくて、この子と一緒に遊んでやってくれない? あたしたち忙しいから」

「そんな勝手な」

「ユッキー、なにして遊びますか?」

「勝手にあだ名をつけるな――しょうがねえなあ、お前、ゲーム好きか?」

「ゲームですか……いいでしょう。K市オブファイターズと言われた私の実力を見せるときが来たようですね」

「いやその称号は意味が分からんだろ」

 ユメがいそいそと立ち上がる。祐樹はぼやきながらみくを連れ出した。

「あ、そうだユメ」階下に向かうユメをマリは呼び止めた。

「念のためにカバン持って行っておいて」

 マリが持ってきたハンドバックを投げる。カバンには親子判定機が入っている。チャンスがあれば撃ってほしいというマリの意図を察したユメはうなずいた。

 貴子は、どうしてハンドバックをユメに持たせたのかわからず首を傾げていた。

「貴子先輩、私も少しそのあたりを歩いてきていいですか?」

「疲れたの?」マリの問いにみくは「少し」と答えた。

「そういうことなら少し休憩にしましょう」

 貴子が言う。みくはマリに目配せする。マリは分かっているとうなずいた。


「えぇ……本当にやるの?」

「何をいまさらいい子ぶっているんですか。姉さんだって昨日は納得していたでしょう?」

「いやまあそうなんだけどさ、さすがにこれは馬鹿じゃない?」

「ならほかに案があるのですか?」

「あるなら昨日の時点で言ってるわよ」

「それならやるまでです」

 マリとみくは中庭を歩いていた。中庭と言っても真ん中には池があり、その横には石と砂で作られた小さな山があった。本当に家の中かと思うけれど、実際に家の中だから冗談にもならない。

「あ、マリちゃんとみくちゃん、こんな場所で何してるの?」

「いえ、少し疲れたので気晴らしに散歩でもと思いまして……」

 道の向こうから声が聞こえた。現れたのは黒いショートカットの背の高い女子――小笠原光その人だった。

「マリたちもこっちに来ていたのね」その横には貴子がいた。

「ほら姉さん、チャンスですよ!」

 みくがマリの耳元で囁いた。マリは、覚悟を決めた。

「それにしてもお庭すごいわね」

 言いながらマリは二人に近づいた。

「そんなにすごいかな。実家のことだからいまいちわからないのよね、正直。子供のころに広くて迷子になったくらいしか印象にないし」貴子が首をひねる。

「いえ、そのエピソード自体はかなりあれよ……」

「あの時は一族郎党総出で探したのよねえ。懐かしいわあ」光が目を細めた。

「ちょっと姉さん、あんまり大げさに言わないでよ」

 間合いを測る。あと一歩二歩三歩。

 マリは顔にできるだけ自然な笑みを浮かべて一歩、二人に近づいた。そうこれはすべてユメのためなのだ。決して他の意図があるわけではないのだ。そう自分に言い聞かせる。

 どんどん近づいてくるマリを、光が一瞬不審そうに見た。マリは罪悪感とともに、さらに大きく一歩踏み込んだ。

 何かを言おうとする先輩から目をそらしながら。

 マリは目の前のスカートを思い切りめくり上げた。

「さすがです! 姉さん!」

 マリの背後からみくが飛び出す。同時に幾重にも連なるシャッター音があたりに響く。ああ、バカなことをしてしまった、そう思う。そして永遠にも思える数秒が経過し、マリは恐る恐る目を開けた。

 目の前には、凍りついたような貴子の笑顔があった。驚愕。なぜ? ひらひらと、貴子の膝下まで伸びたスカートが風になびいて揺れた。乾いた笑い声が口から洩れる。振り向くと、妹が渋い顔でマリ見ていた。

 マリは一瞬で失敗を悟った。

「マリ、これは一体どういうこと?」

 貴子の声はとても優しくて、まるで鼠をいたぶる猫のようだった。貴子の後ろ、光の笑い声が爆発した。

「お姉ちゃん!」

「い、イヤごめん。でもスカートめくりって……なんだか怪しいから貴子を盾にしちゃったけど、いきなりすぎて、笑っちゃったわ! だってスカートめくりなんて、高校にも入って見られるとは思わなかったから」

 自分がやった行為をにべもない言葉で表現されてマリの頬が熱くなる。マリはその場にうずくまりたかった。ああやっぱり、みくの口車に乗せられては行けなかったのだ。

「ご、ごめんなさい! ほらみくは謝って」

 マリは後ろを振り返った。みくはいなくなっていた。

 あの子、逃げたわね……マリの頬がひきつる。

「で、マリちゃんはなんで私のスカートめくろうとしたのかな?」

「それは……」

「下着見たかったの?」

「理由を追及する前にあたしの怒りと屈辱を晴らすのが先だよ」貴子が怖い目でマリを見る。「さて何をしてくれるのかな?」

「ええぇと」マリは視線を宙にさまよわせた。

「いいわ、思いつかないならあたしが考えてあげるから。楽しみにしておいてね?」

「お手柔らかにお願いするわ……それじゃあわたし、そろそろ行くわ」

 話が一区切りしたことをこれ幸いに、マリはその場を後にしようとした。

「待ちなさい」その後姿を、光は呼び止めた。

「何ですか」マリが振り返る。

「まだ理由を聞いていないわ」

「それにお説教が終わってないよ」怖い顔で貴子も続けた。

 マリの頬が引きつる。マリが二人から解放されたのは、それから二十分も後のことだった。


「姉さんのせいで失敗しちゃったじゃないですか」

「上手くいく要素なんて一つもなかったわよ」

「そんなことありません。姉さんが狙いを外さなければきっと成功していました」

「わたしなんのために貴子のとこまで来たんだろう……」

 マリはぐったりと疲れてみくを見た。貴子にお説教をくらってから部屋に戻ると、みくとユメはプリンを食べながらジャンプを読んでいた。ジャンプは貴子の部屋の押し入れに隠してあったらしい。隠すようなものでもないでしょうに、とマリは思った。

 貴子はマリにこんこんと説教した。スカートをめくったりするのは淑女のすることではない。N女の生徒として清らかで貞淑な大人の女性になるためにはそのような悪魔の所業はしてはいけない。心の中の悪魔を倒すためには聖書を読め。それでだめならこのつぼを買え。

 貴子がどこからか取り出してきた薄汚いつぼを、マリは丁重に断った。

 結局、マリは口を割らなかった。ただ悪戯がしたかったで押し通した。

 みくは黙って自分のスマホを取り出し、何かを見始めた。

「……何見ているのよ?」

「貴子先輩の下着です。姉さんも見ますか」

 マリは首を横に振った。

「もったいない。せっかくきれいに撮れているのに」とみくは残念がった。

「それじゃあ私が見ます」ユメが声を上げる。中学生と小学生がスマホで熱心に先輩のパンツを見る図がそこにはあった。世も末だな、とマリは思った。

「そういえばユメは撃てたの?」マリはユメに向かって聞いた。

「撃つ、というと赤甲羅ですか?」

「マリオじゃないわよ……」

「というかなぜカートがなぜバナナ程度でスリップするのか、理解に苦しみます」

「マリカーね! あんたマリカーやってたんでしょ!?」

「あれはいいゲームです」

「いやまあ確かに面白いけど、撃つのはどうなったのよ……」

 ユメは露骨に視線をそらした。どうやら忘れていたらしい。

「そういえばお母さんの名前はマリオ――」

「人の名前の最後に余計な音を付け加えるな!」

 とにかく撃つならさっさと撃ちなさいよ、とマリは言ってみくに向き直った。スマホの画像をめくっていたみくは、無念そうに呟いていた。

「でも。やっぱりばっちり撮れてるし、ちゃんと姉さんが光先輩のスカートをめくってればこの作戦は成功していたわ」

「わるかったわね」マリは憮然として答えた。

 あの作戦、つまり、『光先輩のスカートをめくって一物を確認しよう大作戦』をやることはマリも同意していたのだ。それを直前で恥ずかしいからと目をつぶってミスをしたのもマリである。謝るしかない。謝るしかないのだけど、どこか納得いかないのはなぜだろう。

「でも、まあ、パンツ撮れたところで確実に男女が判断できるってもんではないでしょうし、前向きにとらえましょう。意外と小さいかもしれなませんしね?」

「……」マリも頬を染めながら高速で頷いた。

「それに、まだ作戦はありますし」

「一応聞くけど、どんな作戦よ」

「作戦名は、『女湯を覗こうとする男子大作戦』です」

 なんだか、名前からして前のより数倍イヤな予感がする、とマリは思った。


 夕飯は貴子の家族と一緒に囲んだ。

 出てきたハンバーグはもちろん貴子の母親お手製で、マリは久しぶりに自分以外の手による手作りの料理を食べた。

 ユメは祐樹とすっかり仲良くなったようで、いつも通りの無表情のままゲームの話で盛り上がっていた。その姿は年相応の小学生に見えた。

 貴子はあることないこと茶化してくる姉と言葉の暴力を応酬しつつ、N女のことや、彼女の友達のことを話していた。穏やかに笑う母親と、気持ちよさそうに酔っぱらう父親。厳格そのもののという雰囲気の祖母がたまに相槌を打つ。

 仲の良い家族だなとマリは思った。

「どうかしたの、マリ?」

「いえ……何でもないわ」

 マリの胸の片隅が、ほんの少しだけちくりと痛んだ気がした。

 たぶんこれはこれからやることに良心が痛んでいるんだなと、マリはそう解釈した。


「そろそろお風呂に入らない?」貴子が言った。

 マリはついに来たか、と武者震いをした。

「それで貴子先輩の家のお風呂と25メートルプールはどちらが大きいのですが?」

 みくが茶化すと貴子は、「25メートルもある風呂があるなんてどんな家よ」と呆れたように言った。

食事の前、みくを見つけた貴子は怒る気満々だった。どうやって痛めつけてやろうかと息巻いていた。それなのに、「その前に少し話が」とユメに暗がりに連れていかれた貴子は数分後には鼻歌交じりで戻ってきたのだ。どうやって機嫌を直させたのはかはマリにはわからなかった、

「そんなには大きくないよ。まあ4人くらいなら入れるけど……」

「ちなみに個数はどれくらいあるのですか?」

「家族用は2個だけど」

「普通の家は2つも風呂場はないわよ……」マリは呆れた。

「で、どうする。一緒に入る?」

「そうね、貴子がそうしたいならそうしましょ。そういえばお姉さん――光先輩はもう入ったの?」

「お姉ちゃんは後でいいって」貴子が衣装ケースからパジャマを取り出しながら答えた。

 それを聞いてみくは邪悪な笑みを浮かべてつぶやいた。

「それは好都合です」

 マリは、やっぱり止めるべきかなあ、と思ったが、結局黙っていた。

 貴子の家の風呂は予想とは違い総天然木高級檜風呂とかではなかったが、4人で入るには十分広くて、ちょっとした旅館のようだった。貴子は「お父さんがお風呂好きなんだ」と恥ずかしそうに言っていたが、別に恥ずかしがることじゃないだろうとマリは思った。むしろ素敵な父親だ。

 風呂から4人が上がり、貴子の部屋に戻る途中の廊下で、マリたちは光に出会った。

「お風呂もう上がったの?」

「はい、お姉ちゃんも早く入ってね」

「ええ、そろそろ入ろうと思って様子を見に来たのよ」

 光は自分の部屋に着替えを取りに引き返した。ここまでは想定通り。みくはしめしめとほくそ笑んだ。しばらくすると光がお風呂を上がったのが分かった。それを確認したみくは、「どうやらお風呂場に忘れ物をしたようです」と言って立ち上がった。「場所わかる? あたしも行こうか」という貴子の提案をみくは断った。

 貴子が出て行ってからしばらくして、光が貴子の部屋に現れた。

「マリちゃん、ちょっとちょっと」

 呼ばれたマリは光について出て行った。光はちょっと、と言って近くの部屋に入った。古い木のにおいがマリの鼻をくすぐった。部屋の照明は薄暗かった。目が慣れてくると、そこは10畳ほどの小さな部屋で、周りには様々なオーディオ機器が置かれているのが分かった。部屋の一面にはレコードやCDを収めた棚が設置されたいた。

 どうやらオーディオルームらしい。

「それで、何の用ですか?」あたりを確認したマリが聞く。

「いやちょっと聞きたいことがあってね」と言って光が見せたのは、手のひらに載るほどの小さな熊のぬいぐるみだった。

「……みくのね。どこでこれを?」マリが問う。

「お風呂場の更衣室でね。それで私気が付いたんだけど、このくまさん、背中にチャックがあるね。中に何が入ってるのかなあ」

「……」

「よく見ると目も右目と左目で違うよね。片方はレンズになってる。で、気になってちょっと中身を調べたわけ。そしたら中からこんなものが出て来たんだ」

 光が見せたのは、古い携帯電話だった。携帯の電源は入っていて、今も動画を撮影していた。

 それは前の版にみくが作った即席盗撮カメラだった。

 マリは、計画が失敗したことを悟った。

「で、どうして隠し撮りなんてしようとしたのかな?」

「それは……」マリは口ごもる。

「イケナイことだよねえ、脅迫でもしようとしたのかな? それとも変態なの? いやだな妹の友達が変態なんて」

「ちが、わたしはそんなんじゃ!」

「じゃあこれは何?」

 うぐぐ、とマリは呻いた。

 光が体をマリに寄せる。マリを壁際に追い詰め逃げられなくした光が詰問する。

「昼間もスカート捲りなんてしてたよね? やっぱり変態なのかな、どうしてくれるのかなー」

「それは……」マリは黙り込んで、必死に言い訳を考えていた。

 そのとき、暗がりにさっと光が差しこんだ。

「お姉ちゃん、もういいでしょ?」

 扉の外には天使が一人立っていた。貴子だった。貴子は光に向かって言った。

「それともこう言った方がいい? お兄ちゃん」

「貴子、それ!」マリが驚く。

「もうこんなバカげたことは終わりにしよう……全部あたしが話すから、こんなくだらないことは終わりにしよう」

「くだらないこと? そうかしら?」

「くだらないよ。ていうか馬鹿だよ」

「でもその馬鹿に手を貸したのは貴子、あなたよ」

「うん、知ってる」貴子はうなずいた。「だからあたしがマリたちに話すの」

 貴子はマリを見た。

「マリたちはN女に男子生徒がいるとかいう噂とかいうのを確かめようとしてるんだよね?」

「どうしてそれを」

「私が話しました」貴子の横から少女の姿が現れた。

「ユメ……」

 ユメだった。考えれば当たり前だ。あそこにいたのはユメだけなのだから。

「マリたちが小笠原光を男子かどうか確かめようとしていることも、N女の中に男子生徒がいるかを調べていることも私が話しました」

「なんで……」

「姉さん! 大丈夫ですか!?」部屋にみく飛び込んでくる。みくは壁際に追い込まれたマリを見て、その場にあった小型のスピーカーを持ち上げ光に殴り掛かろうとした。マリと貴子は慌ててみくを取り押さえた。いきなり鈍器を持つあたりが恐ろしい妹だとマリは思った。


「それで、貴子はわたしに何を教えてくれるの?」

「結論から言うよ。N女に男子生徒なんていない。少なくともあたしは知らない。お姉ちゃんも普通の女子だよ」

「でもさっきあなた『お兄ちゃん』って言ってたじゃない。あの時だけじゃない。その、言いにくいんだけど、あなたが空き教室で光先輩と会っているのを見たの」

「そのときあたしが『お兄ちゃん』って言ってたのを聞いたの?」

「ええ」マリはうなずいた。本当は男子トイレの方もあったけれど、そっちについては黙っておいた。恥ずかしいし。

「そっか、それでマリたちは勘違いしたんだ。まあそれもお姉ちゃんの計画通りなんだけど」

「計画?」マリは首をひねった。

「お姉ちゃんとあたしはね、そういう演技をしていたの」

「演技」マリは同じ言葉を繰り返した。

「人がいるところではいつも通りふるまう。でも周りに誰もいないとき、お姉ちゃんをお兄ちゃんと呼ぶ、まるで女子校に一人だけ紛れ込んだ男子生徒のように扱う。そういう演技、ロールプレイをしていたの」

「一体何のためにそんなことを……」

「たぶん聞いても信じられないと思うけど――」

「待ちなさい」貴子の言葉を光が遮った。「さすがにそれくらい言うわ。妹に何もかもやってもらうなんて恥ずかしいもの」

「いやお姉ちゃんはもう十分恥ずかしいよ?」貴子が突っ込む。

 それを華麗に無視して光は言った。

「私女子が好きなのよ」

「はあ」マリがあいまいに相槌を打つ。

「せっかく女子校に入るんだから女子にもてたいじゃない」

「はあ」適当に相槌を打ちながら、マリはまあ女子が好きなら女子にモテたいだろうなあ、と素直な感想を抱いた。

「で、モテるためにどうするか考えたの。それで思いついたわけ、男子のふりをすればいいじゃないって」

「はい?」光が何を言っているのかがわからずマリは思わず聞き返した。

「男子のふりをすればいいじゃんって気が付いたの」光は同じことを繰り返した。

「……」マリには意味が分からなかった。

「なんで男子のふりをしたらモテるのですか」絶句するマリに代わりみくが疑問を口にする。

「だって女子って男子好きでしょ?」何を当たり前のことを聞くんだと言う顔で光はマリたちを見た。

「つまり男子の真似をすれば女の子にモテるから、男子のようにふるまうために男子トイレに入ったということですか?」みくが確認する。

「そう」

「妹にお兄ちゃんと呼ばせたと?」

「そういうことね」

「なるほど……」みくはうなずいた。

 マリは頭が痛くなった。そこでうなずいちゃダメでしょ妹よ、そいつは論理的に見えてただの馬鹿だ。

「そんなんでモテるわけないじゃない」マリがツッコむ。

「えーでも実際かっこいい系の女子って人気じゃん」光が反論した。

 それは確かに事実だった。女子校だからなのかは知らないが、N女には何人か、多くの女子からあこがれの目で見られる、アイドルのような女子生徒がいる。バレー部の背の高い先輩とか、演劇部のかっこいい先輩とか、彼女たちはマリの目から見てもちょっとかっこいいなって思う部分もある。

「男の先生もキャーキャー言われてるし」

「確かにそうだけど、でも自分の性別偽って女子と一緒に生活してるのはよほどの馬鹿かただの変態よ」

「そうかしら?」

「そうよ」マリが力強く断言する。「そしてその変態がモテるなんてことがる?」

「むむむ」と光は唸り、つぶやいた。「私、なにか間違ったかな?」

 貴子は申し訳なさそうにマリたちを見た。

 たぶん何もかも間違っているとマリは思った。


「ごめんね、なんだかいろいろ迷惑かけちゃったみたいで」

「いえ、わたしたちもひどいことをしようとしましたから、おあいこと言うことにしてくれればうれしいです」

「おあいこね」

 なぜかマリと光はがっしりと力強い握手を交わした。冷静に考えればただ単に演技をしていただけの光と、盗撮までしようとしたマリたちではつり合いが取れていない気もするが、そんなことはもちろんマリも指摘しなかった。

「貴子もありがとね。いろいろ無理に付き合ってくれて。でも意外と楽しかったわ。演技してる分、学校生活に張り合いが出てよかった。今度妹さんとやってみてね」

「しません」マリは断言した。

「それにあながちに意味のない結果ってわけでもなかった」

「なんでよ?」マリの問いに光はマリを見た。

「あなたに出会えたもの」光はそう言ってマリの頬に手をやった。「私がこんなしょうもない嘘をつかなかったら、あなたたちは私に興味を持たなかったと思うのだけど、どうかしら?」

「え、ええ」

「それならそれだけで意味あったわ」

 光がまっすぐにマリを見つめる。至近距離から見つめられて、マリは顔が熱くなるのを感じた。じっと見つめてマリは光が美人であることに今更ながら気が付いた。背も高いし、鼻梁もすっと通っておりなんだか少し中性的な美形。やっぱり貴子の姉であるだけのことはあるな、とマリは思った。

「……何ちょっと照れてるのよ」横で見ていた貴子が口を出す。

「な、別に照れてなんかないし!」マリは慌てて光から離れた。

「光先輩、あの、女の子にモテたいだけならもっと普通にふるまえばいいと思うわよ。先輩背が高いし、ちょっと宝塚の男役っぽいとこあるし、あとは下級生に露出するように部活にでも入ればいいと思うわ」

「それはいいかもね、私足は結構自信あるの、陸上部にでも入ろうかしら」と笑いながら光は言った。

それを聞いて、みくは嫌そうな顔をしてマリを見た。

 そんな顔するんじゃないわよ、とマリは妹の頭をこつんとたたいた。


 しばらくしてからマリは貴子の部屋に戻った。

「あ、姉さん」マリより先に部屋に戻っていたみくが問う。「何してたんですか?」

「光先輩に引き留められてて」

「なにかされませんでしたか?」

「何もされてないわよ……ただちょっと変なもの見せられてただけ」

「変なもの? やっぱりあいつ……」みくの顔に殺意がみなぎる。

「いやそういうのじゃないの」マリはちらっと貴子を見た。

 貴子は机に座って本を読んでいた。

「どうしたの?」マリの視線に気が付いた貴子が面を上げた。

「いえ、大したことじゃないの……ねえ貴子、あなたまだプリキュア好きなの?」

 マリの問いに貴子は一瞬固まった。

「ええ、そうよ。何か悪い?」けれどすぐになんともないという顔をして、返事を返した。

「いや別に」

「プリキュア?」みくが首を傾げた。

「それで、何か用があるの?」マリはみくに向かって聞く。

「大した話じゃありません。ただ一応言っておこうと思って、これ見てください」

 言いながらみくは部屋の隅へと移動する。みくが見せたのは親子判定機だった。

 親子判定機のランプは黄色に光っていた。

「……誰撃ったの?」

 みくは素直に答えた。

「光先輩です」

「なんでまた」

 光は男じゃなかった。それなのに撃つ必要はなかったはずだ。みくは言い訳するみたいに言った。

「だってさっきの会話の間あまりに光先輩が無防備に見えたから撃ってしまいました」

 みくはまるで人を殺す快感に目覚めたシリアルキラーのような言い訳をした。

「それに光先輩妙に姉さんに馴れ馴れしいし」

「それは……あの人のキャラクターでしょ?」

「ほんとにそうでしょうか」みくは不満そうに頬を膨らませた。

「それに実際違ったわけじゃない」マリが言うと、みくはしぶしぶうなずいた。

 小笠原光を撃った結果出た色は黄色だった。

 小笠原光はユメの父親ではなかった。


 翌日、マリたちはお昼前に自分の家に戻った。

「お昼くらい食べていけばいいのに」貴子の母親、絢子さんはそう言ってくれたし、父親の隆さんも引きとめてくれたけれど、長居するのも悪いから、と言って三人は帰途についた。

「じゃあ、またね」見送り来た貴子に告げる。その後ろに立っていた弟、祐樹はユメに話しかけていた。

「マリカ練習しとけよ」祐樹は手を握ったり閉じたりしながら、ぶっきらぼうに言った。

「はい」ユメは頷いた。どうやら友情が結ばれたらしかった。

「それじゃあね、マリちゃん、学校で合ったらよろしく」光が言う。マリはうなずいた。

 帰りの列車でマリはみくに結果を聞いた。

 みくにはその後も小笠原家の男たちを親子判定機で銃撃するように頼んでおいたのだ。

 みくはいくつかの写真を見せて、撃った相手とそのとき出た色を教えてくれた。

 父親、小笠原隆は黄色。

 弟、小笠原祐樹も黄色。

 そしてほとんど見かけなかった貴子の祖父、小笠原佐兵衛は緑色だった。


 また振出しに戻った。

 小笠原家の中にはユメの父親はいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ