18
「すこし話を整理してみよう」と吉田は言った。
期末試験の中日は試験休みという休みになっている。その間に試験の後半の勉強をしろという学校の温情だと思うが、マリたちはそれを無視してK大学に出かけていた。吉田に会うためだった。数日前から吉田から連絡が来ていた。いろいろと話すこともあるからと呼ばれていたのだ。だが忙しくて会うことが出来ずにいたのだ。マリたちも父親捜しについて行き詰ってしまったので、相談する相手が欲しかった。マリたちは渡りに船とその提案に乗ることにした。
吉田達がいるK大学素粒子論研究室は理学研究科5号館という5階建ての建物の一番上の階にあった。「馬鹿と理論屋は高いところが好きだからね」と吉田はおどけた。
マリたちが通されたのはその階の一番端にある、談話室という部屋だった。
「マリ君たちはコーヒー飲むかい?」
「ええ、じゃあお願い」マリが答えた。
「私は紅茶がいいです」
「私はチャイをお願いします」
二人の無茶振りに吉田は「チャイなんてあったかな」と探しに出かけた。数分後吉田はこれしかなかったと言って、愛のスコールを買ってきた。みくはスコールをわきにやり、コーヒーに口をつけた。
父親捜しの顛末を聞いた吉田は「いや本当に面白いことになっているね」と無責任な感想を述べてから、こう切り出した。
「君たちはその親子判定機にすごく依存した調査を行った。でもその親子判定機がどういうものかよくわかっていないんだろう? だからそれをまずは知るべきだと僕は思う。例えば、撃たれた人間と現れた色の関係とか」
「色と人間の関係ですか?」みくが問う。
「ユメ君の説明でわかるのは親を撃ったときは赤が出ること。それ以外は親に近ければ赤に近い色が出るということ、それだけだ。そこをもっと定量的に言えればわかることもあるんじゃないかな?」
吉田の提案にマリは撃った相手と出た色を思い起こした。
「まず最初にわたしね。そのとき出た色は赤色だった。ユメの言葉を信じるならこれはわたしがあの子の母親だから赤く光ったということだった」
「つぎは私です。マリの妹。ランプは橙色に光りました」みくが言う。
「その次は確か、小田一成。F学園の男性教員。ランプは濃い紫色に光った」
そこから先はN女の男性スタッフの名前が続く。
瀬戸光三と高等部の用務員。それぞれF学園の男性関係者。瀬戸が濃い藍色で、用務員はほとんど黒だった。
喜多川譲二は生物教員。色は黒に近い紫。初等部の用務員もほとんど同じ色だった。
最後に残ったのは古葉史郎。彼は紫色だった。
「一つ忘れていることがあるよ。君は1発弾を外しているね。そのときランプはどうなった」
「どうもこうもないわ。光らなかった」
「つまり黒く光った?」
「言葉遊びね」
「だが事実だ」マリは渋々認めた。
つぎにターゲットになったのが、小笠原家の面々である。理由は長姉が妹にお兄ちゃんと呼ばせる変態だったからである。彼女は黄色だった。
その妹、小笠原貴子は濃い橙色。
その家族、小笠原祐樹と隆もやっぱり黄色。
そして念のために撃った祖父が緑色。
それで全部である。
四人は結果を表にまとめて眺めてみた。
「……こうやって眺めると紫色とか黒っぽい色がやけに多いわね」マリが感想を述べた。
「そうですね。というか私たちと小笠原先輩関係以外はほぼ全員紫ですね。それと小笠原家の面々も貴子が橙色でその親兄弟は黄色。そこから一親等離れた祖父は緑色……」
色を一つ一つ確かめる。それを見ていてマリはあることに気が付いた。
「姉さん、わたしわかったかもしれません」みくも同じようだった。
「奇遇ね。わたしもよ」二人はせーので言い合った。
「虹の七色!」
二人の後で吉田も言った。
「僕も思ってたよ」
虹の七色を外側から言うと次のようになる。赤橙黄緑青藍紫、一番内側の赤がユメの両親、その親兄弟姉妹は一つ外側の黄色、さらにそこから一つ血縁が遠い祖父は緑色。ほとんど関係ない赤の他人は全部紫――
わかってしまえば単純なルールである。
「でもこのマシンはどうやって調べているのかしら? すごく単純に考えれば、遺伝子鑑定なんだろうけど、でも遺伝子ってそんなにきれいに遺伝するわけじゃないわよね?」
マリが疑問を浮かべる。
「そうなのですか?」ユメが問う。「単純には半分ずつ遺伝されそうなものですが?」
「それはあくまで期待値の話よ。例えば親と子供は半分ずつ染色体を共有しているわ。もちろん染色体の交差とか減数分裂の時に何かの異常が起これば別だけど、でも基本的には半分。じゃあ祖父と孫ではどうかしら?」
「半分の半分で四分の一じゃないのですか?」ユメが言う。
「そうとは限らないわ。だって考えてみて。親から子供に受け継がれる遺伝子は半分。自分の子供と親が共有する遺伝子も半分だから、例えば子供から孫に引き継がれる遺伝子が全て母親由来の遺伝子ということもありうる」
マリは白板に図を書いて説明した。
「こうなると祖父と孫の遺伝子の共有量はゼロということになるわ……もちろんこんな極端なことはめったに起こらない。人の染色体は46本だから、もしもすべての染色体が片方の親から引き継がれる確率は、2のマイナス23乗で、だいたい1千万分の1くらい、かなり小さいわね」
マリは続けた。
「その上実際には複雑に絡み合った血縁関係や遺伝子の組み換わり、突然変異なんてものも起こる。だから期待値が同じでも全然違う結果が出ても何もおかしくないの。でもこの図を見ると、ほら貴子の親兄弟全部同じ色――黄色が出ているでしょ? 確かにこの人たちは遺伝子の共有している量の期待値は同じよ。でも、実際に全部同じなんてことありうる?」
「つまり、この図はあまりにきれいすぎるということですか?」ユメが問う。ええ、とマリはうなずいた。
「というかこういうこと、あんた知らないってなんか意外ね」
「なぜ?」ユメが首を傾げる。
「いや別になにか理由があるわけじゃないけど、あんたっていろいろ物知りじゃない。ほら、物理とかについて話してくれたでしょ」
「私が同世代の子供より優れている知識があるとすれば、それは予習してきたことだけです」
「生物は予習してこなかったの?」
「あまり」
考えてみればいくら何でもマリよりも5歳も年下のユメがなんでも知っているのは無理がある。もちろん彼女は頭が良い少女だとはマリも思うが、それでも限度があるだろう。マリは一応納得した。
「もしかしたらそういう風に判定しているんじゃないのかもしれません」
マリはみくを見た。
「姉さんはイーガンの『ミトコンドリア・イヴ』という小説を読んだことがありますか?」
マリは素直に首を横に振った。
「すべての人間のミトコンドリアDNAは元をただせば一人の女性のものになる、という話があって、その女性のことをミトコンドリア・イヴと呼びます。この話自体はSFでも何でもありません。ミトコンドリアDNAは女性から女性にしか伝わりません。つまりある女性の子孫がどこかで男しか生まなければそのミトコンドリアDNAは後の世代に残りません。だから十分な世代を重ねれば、残るミトコンドリアDNAはある女性の持っていたDNAになること自体は、当たり前のことです」
マリは頭の中で考えた。女性が女性を産まなければミトコンドリアDNAは受け継がれない。何千世代という子孫の中でどの世代にも最低一人以上の女性がいる確率は確かにそれほど高くはなさそうだとマリは思った。
「この小説はもっと壮大なことを言っています。複製されたDNA対のの相関を調べて本物の人類の根源が誰なのかを調べようとする研究者の話です。そこで使われる技術がすごいのです。ほら遺伝子が減数分裂するのってどこか一つの量子状態が二つの状態にわかれる様子に似ていませんか? 例えばEPR対みたいに……もしもすべてのミトコンドリアDNAの間の相関が保たれているならば、どこで最初にコピーされたかを調べることが出来るんじゃないでしょうか」
「そんなのすぐにデコヒーレンスすると思うんだが」
吉田が突っ込む。
「私もそう思います。でもそういう捜査方法があれば、今みたいに正確なマップも作れますよね? 分裂した回数ごとに、相関が半分になる。なんとなくエンタングルメントエントロピーを思い起こさせますね」
「しかし――」
「それに、ほんの数秒で人間の全遺伝子を走査できるシーケンサなんてものも今の世界には存在しない。それはエンタングルメントエントロピーシーケンサと同じじゃないですか?」
吉田は唸った。
「問題は未来の技術がどこまで言っているかなんだと思います。だってユメの未来はタイムマシンすら作れるんですよ? 今できないことも未来ならできるということもあると思います」
「結局どういうことなの?」話についてこれなかったマリが問う。
「親子判定機はすごい精度でユメと対象の人物がどれくらい血縁が近いかを測れる、すごいマシンであるように見える、ってことです」
「それは知ってたわ。でも……」マリは何かを言いかけて、途中で口を閉ざした。
「なんですか?」みくが先を促す。
「いえ、よく考えたらそれも嘘よね。だってみくはわたしと父さん違うでしょう?」
「え、そうなのかい?」吉田は驚きとともにみくを見た。
みくがうなずいた。
「吉田さんは知らなくても当然です。別に言いふらすようなことじゃないですし」
マリとみくは父が違う。二人は異父姉妹である。だから単純に考えると二人の染色体の重複度は、普通の姉妹の半分ほどということになる。もちろん期待値の話だが。
「だからさっきの仮説が正しいなら、みくを撃ったときは赤の二つ先、黄色が出るはずよ」
「確かに……それじゃあやっぱり私たちの仮説は間違っているのでしょうか?」
「さあ、これ以上はわからないわ……それに普通の意味でDNA鑑定をしているなら、別にわたしとみくが半分遺伝子を共有している可能性がないわけじゃないし」
「でもそれはおかしいと、さっきお母さんは言いました」
ユメの指摘にマリは黙り込んだ。
「そういうことなら親子判定機そのものを専門家に調べてもらいませんか?」
マリはみくを見た。みくは続けた。
「このマシンについてできる限りの情報を集めるべきってのはわかりました。でも私たちには専門的なことは調べられませんし、正直お手上げです。いっそ誰かに任せるというのもありじゃないかしら?」
「確かに、それもありね」マリはみくの意見にうなずいた。
「いいのかい、大事なものだろ?」吉田が確認する。
「ユメがいいなら、わたしはいいと思うわ」
「私は別に構いません」ユメがうなずいた。
「でも父親探しに使ったりするんじゃないのかい?」
「まだしばらくは試験期間だから大丈夫。それにわたしの周りに容疑者がいなくなっちゃって、ちょっと途方に暮れていたから、ちょうどいいわ」
「そういうことなら預かろう。いや僕に預けられても大したことはできないから、たぶん友達に頼むことになると思うが。生物系に頼むべきか、それともこれは、機械工学系なのか?」
「そのへんは適当にお願い。あ、後お願いついでに一つ頼まれて欲しいのだけど」
「なんだい?」吉田は鷹揚に促した。
「母さんを撃ってくれない?」
吉田は訝しげにマリを見た。
「別にいいが、君が撃てばいいんじゃないのかい?」
「最近母さんと顔合わせてないから、お願い」
「わかった。頼まれよう」
「ありがとう」
マリは持っていた親子判定機と空になったマガジンを吉田に渡した。
「一応まだ2発入ってるはずだから」
吉田はうなずいた。
話は終わりのようだった。
「ちょっとお手洗い行ってきます」みくがそう言って立ち上がった。
「場所わかるかい?」
「私も行きましょう」ユメも続けて立ち上がった。「場所なら私は知っています」
そして二人はマリを見た。
「……いやわたしはいかないわよ」
「姉さんのイケず」
「お母さんのケチ」
「なんでそこまで罵倒されなきゃいけないのよ……」
「さあユメ、姉さんなんて無視していきましょう?」
「はい」
愚痴るマリを残して、二人は仲良く部屋を出て行った。
「君たちはずいぶん仲良くなったなあ」吉田が感慨深そうに言った。
「まあ三週間近く一緒にいるからね」
「そうか、そうだな」吉田は一人うなずいた。
「そういえば吉田さんに呼ばれたのはなんでだったっけ?」
「ん、ああ、そういえば忘れてたな。いや大したことじゃないんだ。ただ今後のこととか少し話そうと思ってね」
「今後のこと?」
「例えばH山天文台の将来についてとか」
「そういえば壊れてるんだっけ」マリが思い出す。
「ああ、結論から言えば、H山天文台は修理されることはなさそうだ」
「え、なんで?」マリが驚く。
「まず一つ目の理由はお金がないこと。そしてもう一つはお金をもらえそうもないことだ」
「思ったより世知辛い理由ね」
「僕たち研究者も結局は税金からお金貰って研究しているからね。あんまり無駄遣いはできないし、世間の反対に合いそうな研究もできない」
「反対にあうの? タイムマシンなんてすごい研究だと思うのだけど」
「できたらすごいけど、『タイムマシンの研究』なんて研究題目じゃ科研費はもらえないだろうなあ」
頭悪いっぽいし、と吉田は言った。マリもそれには同意した。
「それに世間というか世界情勢というか、いろいろ問題があるんだよ。だって考えてみてくれ。この世で一番貴重な情報って何かわかるかい?」
「一番貴重な情報?」
言われてマリは考えた。貴重な情報、ならいくらでも思いつく。キャッシュカードの暗証番号や未来のテストの内容、国家機密から非常に個人的な秘密までいくらでも思いつく。でもその中で何が一番貴重かと言われると、マリには判断が出来なかった。
「それはね、未来の情報だよ」答えられないマリに向かって吉田は言った。
「誰も知らない未来の情報を知ることが出来たら何ができる? 少なくとも世界中の賭博と投機はいくらでも勝てるようになる。もちろん未来のあらゆる災害から身を守れるし、不運な事故も避けられるようになるかもしれない。でも悪用すればどうなる? 例えば未来がどうなるのか一人だけ知っていれば、どれほど自由に他人を傷つけられるか。情報のアドバンテージとしてこれほどの物はないよ。タイムマシンは使い方次第じゃ核兵器なんかよりよほどすごい戦略兵器になる。しかも彼らはタイムマシンなんて作るつもりなかったんのに、勝手に相手がやってきたわけだ。ろくに制御できないタイムマシンなんて、暴走している原子炉よりよほど危険だ」
「……それは確かに、そうね」
「とにかくまず大事なのは本当にH山天文台がタイムマシンになっていたのかを確かめること。それが正しいならどうしてH山天文台がタイムマシンになったのかを確かめること。これが分からない限り、H山天文台の装置を復旧する許可なんて下りるわけがない。まあこれから数年は、基礎的なことを調べるのに費やされるんじゃないかな」
「それで、その基礎的なことは少しは研究が進んでいるの?」マリが聞く。
「実験については僕はあまり詳しくはないから話せない。理論について川村さんと僕が一緒に進めていて、今はある種の量子重力の中の非摂動解――τブレーンと名付けた――について調べている。これはある種の古典解――のデュアルのように見えるのだが、これを曲がった時空に置くと少し不思議な性質が現れてね、もしかしたら情報を過去に送れるかもしれないと思っている」
「へえ」マリはどうせわからないだろうと適当に聞き流した。
「ただこの解で素粒子一つ分の情報を送ろうとしたらプランクスケールくらいのエネルギーが必要だから、ユメ君みたいなマクロな物体を送ろうとしたら、そうだな、ざっと10の40乗ジュールほどのエネルギーが必要だが……」
10の40乗ジュールと言われてもマリにはピンと来ない。
「それってどのくらいよ?」
「そうだな……超新星のエネルギーがざっくりそれくらいだ」
「そんなもの地球で作ったら地球ごと吹き飛びそうね」マリが呆れる。
「そんなもんじゃない。太陽系が消し飛ぶ」
吉田は平気な顔をして物騒なことを言った。この人はどこまで本気なのだろうか、とマリは訝しんだ。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「なんだい?」
「わからないならわからないと言ってくれて構わないから聞くんだけど、そういう方法でタイムトラベルしたら、未来はどうなるのかしら?」
「どうなるって?」
「ほらよくあるじゃない。タイムパラドックスとかなんとか」
「ああ、そういうことか。そうだな、もちろん僕たちは本当のタイムトラベルの理論を知らないから何とも言えない。それを念頭に置いて聞いてくれ」
「ええ」
「過去を変えるってことは、初期状態を変えるってことだ。そして僕たちは量子力学を信じている。量子力学の信念の一つに物は消滅しない、というものがある。そしてそれを保証しているのは時間発展のユニタリー性だ。これは時間発展の演算子はユニタリー演算子であるという信念だ。だから初期値が変われば結果も変わる。過去が変わったのなら、未来が変わらないとおかしい」
吉田はマリを見た。
「だから未来は変わる。僕はそう思うよ」
マリはありがとう、と言って吉田に感謝した。
「姉さん、ただいま戻ってきました」
みくたちが戻ってきた。
「お母さん?」
「うん」
うわの空でマリは答えた。二人は顔を見合わせた。
そんな二人の様子にも気づかず、マリは必死になって考えていた。




