↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/32

第六話 自分で選ぶ花

◆


 昼を過ぎた頃、一行は次の町へ入った。


 門をくぐったリリアは、思わず馬上から辺りを見回した。


「……花?」


 町中が花であふれていた。


 赤や白、青、黄、紫。


 細く裂いた布を幾重にも重ねた花々が、家々の軒先から吊るされている。


 木を削って作った花。


 色糸で刺繍された花。


 乾燥させた小さな花を束ねた飾り。


 通りの上には色とりどりの布が渡され、冬の風を受けて揺れていた。


「綺麗……」


 思わず声が漏れた。


 前を行くファリダが振り返る。


「ここでも祭りの準備が始まっていますね」


「年始めの祭りですか?」


「ええ。あと半月ほどですから。このくらいの時期になると、どこの町も少しずつ飾り始めます」


 リリアは頭上を見上げた。


 赤い布花が風に揺れている。


「黒百合の祭りではないんですよね?」


「違いますよ」


 ファリダが笑った。


「新しい年を迎える祭りです」


「そうなんですね」


「黒百合に関わる行事もありますが、それだけではありません。家族で祝ったり、友人と贈り物をしたり。大きな町では何日も宴が続きます」


「何日も?」


「ええ」


 リリアはもう一度、通りを見る。


 黒百合の国。


 いつの間にか、そんなふうに考え始めていたのかもしれない。


 冬を越し、新しい年を待ち、飾りを作り、家族や友人と祝う。


 そういう普通の暮らしがここにもある。


「リリアさん」


 ヴィクトルが横から声をかけた。


「馬を預けるそうです」


「あ、はい」


 リリアは慌てて手綱を引いた。


◆


 宿へ馬と荷馬車を預けたあと、一行は旅に必要な物を買い足すため、市場へ向かった。


 人がとにかく多い。


 これまで通ってきた町より、ずっと賑やかだった。


 飛び交うヤシャラ語は、ほとんど聞き取れないが、知っている言葉が時折混じる。


 前方で、シリルが露店の男へ何かを尋ねる。


 返ってきたヤシャラ語は速い。


 店主が笑う。


 シリルも何かを返した。


 さらに笑い声が上がる。


 リリアは少し不思議な気持ちで、その背中を眺めていた。


「どうしました?」


 ファリダが尋ねる。


「いえ……」


 リリアはシリルを見る。


「シリルが、いつもと少し違って見えて」


「違いますか?」


「うまく言えませんけど」


 ローダン語を話している時とは、声の調子が違う。


 身振りも、言葉を返す間も。


 ヤシャラ語の方が身体に馴染んでいるように見える瞬間がある。


 シリルが戻ってきた。


「この先の道、祭り前で混んでるらしい」


「そうなんですか?」


「ああ。明日は東の街道を避けた方がいいってさ」


「ずいぶん楽しそうに話していましたね」


「そうか?」


「笑っていました」


「店のおっさんが、祭り前なのに嫁さんと喧嘩したって愚痴ってた」


「……道の話だけではなかったんですね」


「向こうが勝手に話したんだよ」


 リリアは笑った。


 まだまだ、自分の知らないシリルがいる。


◆


 市場の中央には、特に人の集まっている露店があった。


 小さな布花が、色ごとに籠へ分けて並べられている。


「これは何ですか?」


 リリアが尋ねる。


「年始めの花です」


 ファリダが答えた。


「祭りまでの間、自分で選んだ花を身につける風習が、この辺りにはあるんです」


「自分で選ぶ?」


「ええ。新しい年へ持っていきたい願いを、一つ選ぶんですよ」


 リリアは籠を覗き込んだ。


 色によって花の形も少しずつ違う。


「色に意味があるんですか?」


「ありますよ。ただし、前に見た戸口の彫刻とは意味が違います」


 リリアは以前の町で見た扉を思い出した。


「青が旅人の無事。赤が家内安全。黄色が商売繁盛……でしたよね?」


「よく覚えていましたね」


「綺麗だったので」


「ええ。あれは家や店の戸口に使う色の意味です。こちらは年始めに身につける花ですから、意味合いが変わります」


「同じ色なのに?」


「色の意味は一つではありません。使う場所や風習によっても違いますし、土地によって変わることもあります」


「難しいですね……」


「最初から全部覚えなくていいんですよ」


 ファリダが笑った。


「この町の年始めの花なら――」


 一つずつ籠を示す。


「白は、大切な人の平穏」


「大切な人……」


「赤は勇気。青は知恵。黄色は実り。そして紫は、再会です」


「再会?」


「失った人や物、場所。もう一度出会いたいものへの願いですね」


 リリアの視線が、淡い紫の花へ落ちた。


 母を知る人。


 失った記憶。


 三年前より前の自分。


 そしてアン様。


 その隣には、黒い花があった。


 黒百合を模している。


「黒は?」


「守護です」


 リリアは黒い花を見つめた。


 店の女主人も、リリアの黒髪に気づいたらしい。


 何かを言いながら、黒い花を一つ取った。


 笑顔で差し出してくる。


「私に?」


 シリルが訳す。


「黒がよく似合うだろうって」


「あ……」


 ただ、似合うと思って勧めてくれたのだろう。


 リリアは黒い花を見て、綺麗だと思った。


 けれど、すぐには手を伸ばさなかった。


 視線を隣へ移す。


 淡い紫。


「……私は、これにします」


 リリアは紫の花を取った。


 女主人が何かを尋ねる。


「再会を選ぶのかって」


 シリルが訳した。


「はい」


 リリアは頷いた。


 それだけは、覚えているヤシャラ語で答えた。


 女主人の顔がほころぶ。


 何かを短く言った。


「今のは?」


「『いい花を選んだ』って」


 リリアは掌の花を見る。


 淡い紫の花びらを、親指でそっと撫でた。


◆


「ヴィクトルさんは?」


 リリアが尋ねた。


「私もですか?」


 ヴィクトルは並んだ花を見る。


 しばらく迷ったあと、白い花を手に取った。


「白……」


 リリアは花を見る。


「大切な人の平穏、でしたよね?」


「……そうですね」


「どなたのためですか?」


 ヴィクトルが止まった。


「え?」


「大切な人の平穏を願う花なんですよね?」


「ええ」


「だから、どなたなのかなって」


 何気なく尋ねると、ヴィクトルは答えに困ったような顔をした。


「……旅の仲間です」


「私たち?」


「はい」


 リリアはファリダとシリルを見る。


「では、四人みんなのためですね」


「……そうですね」


「?」


 歯切れの悪さにリリアが首を傾げていると、横からシリルが吹き出した。


「何ですか?」


「いや、別に」


 そう言って、シリルはもう別の籠を見ている。


「シリルは何色にするんですか?」


「俺?」


「はい」


 シリルは少し考えて、青い花を取った。


「青?」


「知恵」


「シリルに?」


「おまえ、最近ちょっと俺に遠慮なくなってないか?」


「そんなことありません」


「今のどこが遠慮してるんだよ」


「必要なものを選んだのかと思っただけです」


「それが遠慮ないって言ってんだよ」


 リリアは笑った。


 ファリダは赤い花を取る。


「ファリダさんは勇気ですか?」


「ええ」


「ファリダさんにも必要なんですね」


「必要ですよ」


 ファリダは赤い花を指先で回した。


「勇気が要らなくなる人なんて、いませんから」


「……そうですね」


 リリアは自分の紫の花を、外套へ大切に留めた。


◆


 市場を抜けようとした時だった。


 前方から、子どもの声が上がった。


 十歳ほどの少年が、小さな手押し車を押している。


 荷台には祭り用の布花を詰めた籠が、いくつも積まれていた。


 石畳の段差へ車輪が引っかかる。


「あっ」


 手押し車が大きく傾いた。


 籠が落ち、色とりどりの花が、道いっぱいに散った。


 そこへ風が吹く。


 布花が舞い上がった。


 少年が慌てて追いかける。


 リリアは考えるより先に駆け出した。


 近くに落ちた花を拾う。


 周囲にいた町の人たちも手を貸し始めた。


 風に飛ばされた黄色い花が、道の端を転がっていく。


 リリアが追いかけた。


 あと少しと、手を伸ばす。


 その直前、横から伸びた手が花を掴んだ。


 ヴィクトルだった。


「はい」


「あ……ありがとうございます」


 花を受け取る。


 その時、ヴィクトルの外套に、さっきの白い花が留められているのが見えた。


 リリアは一瞬、それを見つめた。


「どうしました?」


「いえ」


 首を振る。


「何でもありません」


◆


 散らばった花をすべて拾い終える頃には、少年の泣きそうだった顔も明るくなっていた。


 少年が何度も頭を下げる。


 そして、短いヤシャラ語を口にした。


 リリアにも分かった。


 ありがとう。


 リリアは覚えた言葉で答える。


 少年が目を丸くした。


 次の瞬間、笑った。


「……?」


 発音を間違えたのだろうか。


 リリアはシリルを見る。


 シリルも笑っている。


「何ですか?」


「いや」


「間違っていました?」


「間違ってはいない。ちょっと丁寧すぎる」


「教えてくれたのはシリルでしょう」


「俺は普通に教えたって」


「では、どう言えばいいんですか?」


 シリルが、もっと短い言い方を教える。


 リリアは少年へ向き直った。


 言い直す。


 少年が嬉しそうに同じ言葉を返した。


◆


 宿へ戻る途中、小さな装身具の露店の前で、ファリダが足を止めた。


「少し見ていきましょうか?」


「何か必要なんですか?」


「必要なものではありません」


「では……?」


「見るだけでもいいでしょう」


 卓の上には、小さな腕輪や髪飾りが並んでいる。


 リリアも覗き込んだ。


 銀色の小さな鈴があった。


 花の形をしている。


 手に取る。


 ちり。


 澄んだ音がした。


「……可愛い」


 口にしてから、リリアは少し驚いた。


 役に立つか。


 旅に必要か。


 値段に見合うか。


 そう考えるより先に、ただ、可愛いと思った。


 ファリダは何も言わず、隣に立っている。


「これ……」


 リリアは鈴を見る。


「旅には必要ありませんよね?」


「そうですね」


「……」


「でも」


 ファリダが続ける。


「可愛いのでしょう?」


 リリアは鈴を見る。


「……はい」


「なら、それで十分では?」


 リリアはもう一度、鈴を見る。


 小さな銀の花。


 指先で揺らす。


 ちり。


「……買います」


「はい」


 今度は迷わなかった。


◆


 夜、宿の部屋で、リリアは机の上に三つのものを並べた。


 黒百合の髪飾り。


 淡い紫の布花。


 銀色の花鈴。


 黒百合の髪飾りは、綺麗だと思って選んだ。


 紫の花は、失ったものともう一度出会いたいと思って選んだ。


 銀の鈴は、ただ、可愛いと思ったから。


「……」


 リリアは鈴を持ち上げた。


 ちり。


 小さな音。


 それだけで、微笑みが浮かぶ。


「可愛い」


 今は誰もいない。


 だから、もう一度言った。


「……可愛い」


 扉が叩かれた。


 リリアは慌てて鈴を置く。


「はい」


「リリアさん。私です」


 ヴィクトルだった。


 扉を開ける。


「どうしました?」


「明日の出発ですが、街道が混むそうなので、少し早く出ることになりました」


「分かりました」


「朝食の前に荷物をまとめておいてください」


「はい」


 ヴィクトルが頷く。


「では、おやすみなさい」


「あ……ヴィクトルさん」


「はい?」


 呼び止めてから、何を言おうとしたのか、自分でも分からなくなった。


 視線が、ヴィクトルの外套へ落ちる。


 白い布花が、まだ胸元に留められている。


「その花」


「これですか?」


「はい」


「何か?」


「……いえ」


 旅の仲間のため、そう言ってくれた。


「ありがとうございます」


 ヴィクトルが笑った。


「おやすみなさい、ヴィクトルさん」


「おやすみなさい」


 扉を閉める。


 リリアは机へ戻った。


 銀の鈴へ触れる。


 ちり。


 小さな音がした。


 窓の外では、祭りを待つ色とりどりの花が、冬の風に揺れていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。