↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/34

第三十三話 黒百合を迎える家々

◆


 ファリダの取り次ぎで、一組の家族が進み出た。


 リリアは杯を置き、顔を上げた。


 壁際では、ヴィクトルが近くの通路を見ていた。


 シリルも、こちらへ歩いてくる一団へ視線を向けている。


 先頭に立つのは、五十歳に近い男だった。


 黒髪には白いものが交じり、深緑の目が静かにリリアを見ている。


「アルザーン公爵、ハーリドにございます」


 男が胸元へ手を添え、一礼した。


「皇太后陛下の弟にあたります」


「リリアです。お目にかかれて光栄です」


 ハーリドの後ろには、三人の息子が並んでいた。


 まず、嫡男が父の隣へ進み出て名乗った。


 落ち着いた声で歓迎の言葉を述べ、礼をする。


「こちらは次男のアーディル。ナシーラ殿下との婚約を賜っております」


 リリアは、その顔を見た。


 姿勢を正した、礼儀正しい青年だった。


 頭を上げた時、こちらと目が合い、彼は改めて会釈した。


「ナシーラ殿下には、親しくしていただいています」


 リリアが言うと、アーディルの表情が少し和らいだ。


「そうでしたか。殿下も、お喜びでしょう」


 ナシーラは、この人の前ではどんなふうに話すのだろう。


 尋ねてみたくなったが、ハーリドが言葉を続けた。


「ヤシャラへお越しになったことを、当家として歓迎いたします。滞在の間、私どもにできることがございましたら、お申しつけください」


「ありがとうございます。まだ、分からないことが多くて」


「急ぐことはございません」


 そこへ三男が、一歩前へ出た。


「ザインと申します。都のことでしたら、私にもご案内できる場所がございます」


 兄たちより若く、人当たりのよさそうな笑みを浮かべている。


「南の市場などは、いかがでしょう。香草を扱う店も多いのですよ」


「香草も?」


 リリアは思わず尋ねた。


「ええ。食用のものから、香り袋に使うものまで。店によって品も違います」


「それは、見てみたいです」


「では、機会がございましたら、ぜひ」


 答えかけて、リリアはファリダを見た。


「お出かけについては、第一随衛を通してご相談いただいています」


 ファリダが穏やかに告げると、ザインはそちらへも礼をした。


「承知しました。その折には、改めて」


 ハーリドは、それ以上申し出を重ねなかった。


 一家が一礼して下がっていく。


 リリアは、その先に皇太后サミラの姿を見つけた。


 サミラは弟たちへ目を向けていたが、やがてリリアを見た。


 目が合うと、穏やかな笑みが返ってきた。


 リリアも、小さく会釈した。


◆


「お水は足りていますか?」


 ファリダが小声で尋ねた。


「はい。まだあります」


 返事をしたところで、次の二人が進み出た。


 深い青の衣をまとった年配の男と、その隣に立つ男。


 胸元には、ダルカーン公爵家の紋があった。


「ダルカーン公爵、サリームでございます。こちらは嫡男のザーヒルです」


 サリームが礼をし、ザーヒルも続いた。


「お目にかかれて光栄です、リリア様」


 リリアも名乗り、礼を返した。


 ルキーヤの父と兄。


 そう思って見ると、二人とも目元に似たところがあった。


「第一皇后陛下から、馬場へお越しになったと伺っております」


 サリームが言った。


「はい。皇后陛下に誘っていただきました」


「乗馬は、お楽しみになれましたか」


「はい。旅の時とは違って、ゆっくり馬に乗ることができました」


「それは何よりです。皇宮の馬場には、よく慣らされた馬が揃っておりますから」


「また、乗ってみたいと思っています」


「皇后陛下も、お喜びになるでしょう」


 サリームは、ルキーヤの席へ目を向けた。


 リリアもそちらを見ると、彼女が微笑んでいた。


 ザーヒルが言葉を継ぐ。


「当家へご用がございましたら、第一皇后陛下を通じてお知らせください。こちらから何かお願いする折にも、同じようにいたします」


「分かりました。ありがとうございます」


 サリームはヤシャラでの滞在を歓迎すると述べ、息子とともに下がった。


 リリアは二人を見送ってから、もう一度ルキーヤへ会釈した。


◆


 次に現れたのは、女性だった。


 銀を帯びた黒髪を整え、深い紫の長衣をまとっている。


 そばには、落ち着いた身なりの男性がいた。


「ヴァルザード侯爵、ナウラと申します。第二皇后陛下の姉にあたります」


 女性は堂々と名乗った。


「こちらは夫のイドリスでございます」


 イドリスも胸元へ手を添え、礼をする。


「お目にかかれて光栄です」


 リリアは二人へ礼を返した。


 ナウラは、メフリナよりずっときっぱりした話し方をする人だった。


「第二皇后陛下には、書庫でお世話になっています」


「そう伺っております。皇后陛下は、幼い頃から読書を好まれておいででした」


「訳していただいてばかりですが、少しずつ読めるようになりたいです」


「では、いずれご自身で本を選ぶ楽しみも増えますね」


 リリアは頷いた。


「今も、読みたいものが多くて。時間が足りなくなることがあります」


 ナウラの口元に笑みが浮かんだ。


「私も覚えがございます。あと一頁と思っているうちに、ずいぶん時間が過ぎてしまうのですよね」


「お茶がすっかり冷めていることもございますね」


 イドリスが静かに添えた。


 ナウラが夫を見る。


「あなたも、その冷めたお茶を飲んでいるでしょう」


「私まで読み始めてしまいますので」


 リリアは笑ってしまった。


 ナウラも口元を緩め、メフリナの席へ目を向けた。


 メフリナが姉を見返す。


 短く視線を交わしたあと、ナウラはこちらへ向き直った。


「当家にも古い書物がございます。整理の済んでいないものもありますが、お役に立つものが見つかりましたら、第二皇后陛下を通じてお知らせいたしましょう」


「ありがとうございます。黒百合について書かれたものも、あるのでしょうか」


「あるかもしれません。ただ、私自身がすべてに目を通したわけではございませんので」


「では、分かりましたら教えていただけますか。どのような本なのか、知りたいです」


「ええ。まず、書目を確かめさせます」


 ナウラは答えた。


「いずれ、ゆっくりお話しできる機会があればと存じます」


「お知らせを、お待ちしています」


 ナウラとイドリスは一礼し、元の席へ戻っていった。


◆


 挨拶の列が、一度途切れた。


 リリアは杯へ手を伸ばした。


 アルザーン公爵家。


 ダルカーン公爵家。


 ヴァルザード侯爵家。


 顔と名前を結びつけようとすると、途中で混ざりそうになる。


「お名前は、あとで確かめられますか?」


 ファリダへ小声で尋ねた。


「ええ。出席者の名簿がございます」


「よかった。失礼のないように覚えたいのですが、少し自信がなくて」


「今夜、一度で覚える必要はありません」


 ファリダは、次に待っている者へ目を向けた。


「ローダン王国の使節が、ご挨拶を希望されています」


 リリアは杯を置いた。


「ローダンの……」


「お通ししても?」


「はい」


◆


 濃紺の礼装をまとった年配の男が、席の前で止まった。


「ローダン王国国王陛下の名代として参りました。使節、アルベルト・ヴァレンシュタイン伯爵にございます」


 聞き慣れた言葉で、ローダン式の名乗りが続く。


 リリアは、彼の胸元の飾章へ目を向けた。


「リリアです。お目にかかれて光栄です」


 アルベルトが深く頭を下げた。


「アン・ローゼンベルク嬢の近況について、お伝えできることがございます。お聞きになりますか?」


 リリアの指が止まった。


「アン様のことを、ご存じなのですか?」


「はい。近況の報告を受けております」


「お願いします」


 アルベルトは顔を上げた。


「私の出立後に届いた報告では、アン嬢は回復され、侯爵邸で日常の生活へ戻っておられます」


「……本当ですか?」


「はい。そのように報告を受けております」


 リリアは胸元へ手を添えた。


「いつの報告でしょうか」


 アルベルトは報告の日付を告げた。


「こちらへ届いたのは、三日前です」


 リリアは、その日付を頭の中で繰り返した。


「そうですか……よかった」


 胸元の手を、すぐには下ろせなかった。


 アルベルトは、その間、何も言わずに待っていた。


「教えてくださって、ありがとうございます」


 リリアが顔を上げると、彼は頷いた。


「ローゼンベルク侯爵家については、調査が続いております。今夜、私からお伝えできるのは、ここまでです」


 リリアは唇を開きかけ、閉じた。


 聞きたいことは、山のようにあった。


 屋敷の人たちは、今どうしているのだろう。


 けれど、アルベルトは言葉を足さなかった。


「分かりました」


 リリアは答えた。


◆


 アルベルトが下がる前に、リリアはもう一つ尋ねた。


「私は、ローダンへ戻るように言われるのでしょうか」


「私は、あなたの帰国を求める命を帯びてはおりません」


 リリアは、彼の顔を見た。


「今は、ということですか?」


「今後のことまで、私からお約束することはできません」


 アルベルトは言葉を切った。


「正式な要請がある場合は、ヤシャラ側へ文書で伝えられます。その先の手続きについては、私の一存で申し上げられません」


 リリアは少し考えた。


「私のことをお話しする時には、私にも、何が話されているのか教えていただきたいです」


 アルベルトの目が、そばに控えるファリダへ向いた。


 すぐにリリアへ戻る。


「そのご希望は、確かに伝えます」


「お願いします」


 答えてから、リリアは膝の上へ手を戻した。


 アルベルトは改めて一礼し、下がっていった。


◆


 そのあとにも、何人かが挨拶に来た。


 リリアは名乗りを聞き、顔を上げて礼を返した。


 時折、言葉がすぐに出てこなくなる。


 そんな時は一度息を継ぎ、分からなければファリダへ尋ねた。


 すべてが終わる頃には、背中が張っていた。


 次の人が来ないことを確かめてから、そっと肩を下ろす。


 サフィーヤが席へ来た。


「少し、休めそうね」


「はい」


 リリアは、ほっとして答えた。


「疲れた?」


「はい。でも、アン様がお元気だと伺えました」


「ローダンの使節から?」


「はい。侯爵邸で、普段の生活に戻っていらっしゃるそうです」


 もう一度口にすると、ようやく安心できた。


「それは、よい知らせだったわね」


「はい」


◆


 少し休んでから、リリアはサフィーヤへ尋ねた。


「今日お会いした方のほかにも、私に会いたいという方はいらっしゃるのでしょうか」


「申し出はあるわ。都の商人の組合や、職人たちの代表からも」


「街の方たちですか?」


「ええ。ただ、いつ、どのような形にするかは、まだ決めていないの。あなたにも相談してからにするわ」


 リリアは頷いた。


「どんなお話をしたいのかも、先に教えていただけますか?」


「もちろん。今日の疲れが取れてから、申し出を一緒に見ましょう」


「お願いします」


 サフィーヤは卓上の皿へ目を向けた。


「あまり食べられなかったでしょう。何か持ってこさせる?」


 そう言われて、リリアは菓子一つも取っていなかったことに気づいた。


「少し、いただきたいです」


「では、選んで」


 差し出された皿には、蜜をかけた小さな焼き菓子が並んでいた。


 リリアは一つ取り、口へ運んだ。


 香ばしい生地がほろりと崩れ、甘さが広がった。


◆


 宴の終わりが告げられた。


 リリアは、ファリダの合図を確かめて席を立つ。


 広間へ入ってきた時と同じ道を、今度は出口へ向かって歩いた。


 覚えなければならない名前が、幾つもある。


 母の記録についての返事も、待っている。


 ローダンの使節へ伝えた希望がどう扱われるのかも、まだ分からない。


 扉を出たところで、ヴィクトルとシリルが合流した。


「お疲れさまでした」


 ヴィクトルが声をかける。


 リリアは二人を見て、真っ先に言った。


「アン様が、回復されてたそうです」


 二人の顔がこちらへ向く。


「普段の生活に戻っていらっしゃると、ローダンの使節の方が教えてくださいました」


「……そうですか」


 ヴィクトルが息を吐いた。


 シリルも、短く頷いた。


「よかったな」


「はい」


 歩き出すと、広間の楽が背後へ遠ざかっていった。


 リリアは、まだ胸に残っている知らせを思った。


 部屋へ戻ったら、忘れないうちに書いておこう。


 報告の日付と、使節がそれを受け取った日。


 そして、アンが元気だと知って、嬉しかったことも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。