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第三十四話 もう一人の協力者

◆


 正式な宴から数日後、リリアは皇宮の内苑にいた。


 サフィーヤと面会の申し出に目を通し、まずは少人数ずつ会うことにした。


 招かれたのは、商人や職人の組合の代表、都近郊の村から来た人々、皇宮で働く者の家族達だった。


 花壇を囲む石畳に椅子が並び、次の客が木陰で順番を待っている。


 ファリダはリリアの後ろに控え、ラフィークは客の列と出入口が見えるところに立っていた。


 少し離れた回廊には、ヴィクトルとシリルの姿もある。


「次の方を、ご案内します」


 ファリダの声に、リリアは顔を上げた。


◆


 進み出たのは、深緑の衣を着た年配の女性と、その孫だという少女だった。


 少女は祖母の袖を握り、リリアをじっと見ている。


「サルハ地方の村から参りました。ラティーファと申します。こちらは孫のナージャです。今は二人で、都に住む息子の家に身を寄せております」


「ナージャです」


 少女も慌てて礼をした。


「リリアです」


「お帰りなさいませ」


 ラティーファが言った。


 宴でも、何度か聞いた言葉だった。


「私は、ヤシャラで暮らしたことはありません。それでも、帰ってきたことになるのでしょうか」


 ラティーファは少し考えた。


「また黒百合の方にお会いできたのが嬉しくて。つい、そう申し上げました」


「以前にも、お会いになったことがあるんですか?」


「私が、この子より少し大きかった頃に」


 ナージャが祖母を見上げた。


「おばあ様、そんな話、聞いたことない」


「そうだったかね」


「聞いてない」


 きっぱりした返事に、リリアは思わず笑った。


「どんな方だったのでしょう」


◆


「雨の少ない年でした」


 ラティーファは語り始めた。


「井戸の水が減って、村では遠くまで水を汲みに行っていたんです。その頃、旅の途中だという巫女様が、何日か村に滞在されました」


「黒百合の力を使われたんですか?」


「力のことは分かりません。でも、弟が熱を出した晩のことは、よく覚えています」


 巫女は、弟の様子を見に毎日通ってくれたという。


 母が疲れていると、代わりに寝台のそばに座った。


「ある晩、目が覚めたら、まだいらしたんです。弟が眠っても、あの方は膝の上に載せた弟の手をそのままにして、空いた方の手で本を開いておられました」


「おばあ様も、起きていたの?」


「眠りなさいと言われたよ。朝になったら、湯を沸かすのを手伝っておくれって」


「お薬のためですか?」


「ええ。母と一緒に、草を煎じておられましたから」


 リリアは、灯火のそばで本を読む人を思い浮かべた。


「弟さんは、よくなられたんですね」


「はい。熱が下がりましてね。巫女様が村を発つ時には、母に花の種をくださいました」


「何の花ですか?」


「名前は知らないんです。小さな紫の花で、母が家の前へ蒔きました。今も、こぼれた種から咲くんですよ」


「……見てみたいです」


「花の頃にお越しになれたら、ご案内いたします」


「いつか、伺えたら嬉しいです」


◆


 ナージャは祖母の隣から、リリアの右腕を見ていた。


 今日は、痣を隠さずに人と会ってみたくて、右袖の留め具を外していた。


「それ、痛くないんですか?」


「ナージャ」


 祖母に呼ばれ、少女が肩をすくめる。


「今は痛くありません。痛む時もありますけれど」


「触ったら痛い?」


「今日は、見るだけにしてください」


 ナージャは素直に頷き、祖母の袖を握り直した。


「お花みたい」


「そうですね。黒百合と呼ばれています」


「本当のお花も、こんな色?」


「多分。私も見た事はないんです」


 少女が目を丸くする。


「巫女様なのに?」


 ラティーファが何か言いかけたが、リリアは笑った。


「巫女でも」


 ナージャも、つられたように笑った。


 別れ際には祖母の袖から手を離し、自分から一礼した。


◆


 次に進み出たのは、三十代ほどの男だった。


「南の市で織物を扱っております、ダリウスと申します」


 礼は正確だったが、顔は硬かった。


「私は幼い頃、黒百合には近づくなと教えられました。人には扱えぬ力を持つ、恐ろしいものだと」


 リリアの背筋に力が入った。


 ファリダが、そばでわずかに位置を変える。


 ダリウスはその動きに気づき、頭を下げた。


「申し訳ありません。あなたを侮辱しに来たのではありません」


「……はい」


「子どもに尋ねられたんです。黒百合が戻ったそうだけど、怖くはないのかと」


 男はそこで言葉を切った。


「会ったこともないのに、私も、昔聞いたことをそのまま答えそうになりました。それで、面会をお願いしました」


「お子さんも、ご一緒ですか?」


「いいえ。店で待っております」


「では、帰ったら、何とお話しするんですか?」


 ダリウスは少し困ったように口を結んだ。


「それは、まだ」


 リリアは右腕へ目を落とした。


「私も、自分の力のことをよく知らないんです。思うように使えませんから、今、記録を読んで勉強しています」


「巫女様も、お調べになるのですか」


「はい。知らないことが多くて」


 先ほどナージャに答えたのと同じだと気づき、リリアは少し笑った。


「お子さんには、今日、私と話したことを聞かせてあげてください」


 ダリウスは、しばらくして頷いた。


「そうします。まずは、私の方が会う前から怖がっていたと話さねばなりませんね」


 今度の礼は、最初よりゆっくりしていた。


◆


 予定していた人々との対面が終わる頃には、木陰の位置が変わっていた。


 リリアは最後の客を見送り、椅子の背に身体を預けた。


 ファリダから果実水を受け取り、一口飲むと、ようやく喉の渇きに気づいた。


「お疲れになりましたね」


「はい。でも、来てくださってよかったです」


 春に咲くという紫の花が、まだ気になっていた。


 もし村へ行くことがあれば、ラティーファに花の咲く場所まで連れていってもらいたい。


 杯を返そうとした時、回廊を歩いてくるセイランが見えた。


「終わったか」


「はい」


 ファリダが答え、リリアへ目を向ける。


 リリアは立ち上がった。


「セイラン様。お時間をいただけますか」


「何かあったのか」


「母のことで、お聞きしたいことがあります」


 セイランは内苑へ視線を移した。


 招かれた者たちが、まだ案内を受けて退出している。


「ここでは話しにくい。部屋を借りよう」


「お願いします」


◆


 内苑に近い小さな部屋へ移った。


 ファリダは女官に水を頼み、扉が閉まるのを待った。


「ご一緒していてもよろしいですか?」


「いてください。聞いたことを、あとで一緒に確かめていただきたいです」


「承知しました」


 セイランは向かいの椅子へ座り、リリアが口を開くのを待っていた。


「祀院の代表の方から、母の記録があると伺いました」


「聞いている」


「閲覧をお願いしました。まだ返事は来ていません」


 リリアは膝の上で指を揃えた。


「お返事を待つ間に、古記録庫で見たものを思い返していました。十七年前の、サーハラ様への御前聴取要目です」


 卓上の杯へ伸びかけたセイランの手が止まった。


「『逃走を補助した者の名。答えを得ず』とありました。サーハラ様が母を助けたことは、伺っています。でも、前皇帝陛下は、ほかにも手を貸した人がいると考えていたんですよね」


「ああ」


「セイラン様は、母をご存じでした」


 彼は黙っていた。


 リリアはその目を見て尋ねた。


「母が逃げる時、サーハラ様のほかに手を貸したのは、セイラン様ではありませんか」


 返事までに、間があった。


「私だ」


◆


 リリアは、すぐには次の言葉を出せなかった。




「どうして、今まで教えてくださらなかったんですか」


「私から話すべきだった」


「母をご存じだったことは、伺っていました。でも、逃げる時に手を貸したことは、セイラン様から聞きたかったです」


 セイランは目を伏せた。


「話す覚悟が、つかなかった」


 卓に置いた手を動かさず、彼は続けた。


「すまなかった」


 リリアは、膝の上で揃えた指を見た。


 いつものように「大丈夫です」と言えば、この話を終わらせることはできる。


 けれど、今はそう言いたくはなかった。


「教えてください」


 セイランが顔を上げた。


「分かった」


◆


「母は、初めから逃げるつもりだったんですか」


「いや。初めは残ろうとしていた。自分が逃げれば、残った者へ報復が及ぶと恐れていた」


 アンが捕らわれていた時、自分だけ逃げろと言われてもできなかった。


 リリアはあの時のことを思い出し、それから尋ねた。


「母が、そう言ったのですか」


「ああ。自分がいなくなれば、次は誰が庭へ呼ばれるのか、と」


 部屋の外を、人の足音が通り過ぎた。


「それでも、最後には逃げたんですね」


「そうだ」


「なぜでしょうか」


 セイランは、すぐには答えなかった。


「ミレナがおまえを身籠っていたことは、聞いているな」


「マーディヤさんから伺いました。セイラン様も、ご存じだったんですか」


「あの夜、本人から聞いた」


 母が、自分から打ち明けたのだ。


 そのことが少し嬉しかった。


 けれど、どうして嬉しいのかまで口にする気にはなれず、リリアは卓の木目へ目を落とした。


「前皇帝陛下は、母が身籠っていたことを知っていたのでしょうか」


「妊娠を疑ってはいた。確かめたかどうかは、私には分からない」


「母が、どこへ向かったかは?」


「私が知っているのは、途中までだ」


 リリアは顔を上げた。


「私が、どこで生まれたかも?」


「知らぬ。逃げた夜のことなら話せるが、その先は、私も見ていない」


「……そうですか」


 リリアは杯を手に取った。


 水を一口飲む間、セイランは何も言わずに待っていた。


◆


「母は、私のことを、何か言っていましたか」


 リリアが尋ねると、セイランは卓へ目を落とした。


 しばらくして、口を開く。


「あの庭には立たせない、と」


「……黒百合の庭ですか」


「ああ」


 ナディルから聞いた、南の庭。


 母の力を引き出すために、人が傷つけられた場所だった。


「話すには、庭で起きたことから伝える必要がある」


「聞きたいです」


 答えた声が、自分でも驚くほどかすれていた。


 セイランは、卓の水へ一度目を向けた。


「短い話ではない。今日は、人とも多く会っただろう」


「はい。少し休んでからでも、今日、お聞きできますか」


「先に何か召し上がってはいかがでしょう」


 ファリダがそばから声をかけた。


「そのあとで、改めて時間を取りましょう」


 リリアは頷いた。


「そうしたいです」


「分かった。待っている」


 セイランの返事を聞いてから、リリアは席を立った。


◆


 食事と休憩のあと、リリアは同じ椅子へ戻った。


 卓には新しい水と、ファリダが用意した紙が置かれている。


 セイランは、約束した通り待っていた。


「聞いたことを、書き留めてもいいですか」


「構わぬ。聞きたいことがあれば、途中で止めてくれ」


「はい」


「つらくなった時もだ。今日、最後まで聞く必要はない」


 ファリダがそばの椅子へ座る。


 リリアは紙を手元へ寄せた。


「お願いします」


 セイランが口を開いた。


「十七年前、ザフィールがミレナを南の庭へ呼び出した」


 リリアは袖を握りかけた手をほどき、卓の上へ置いた。


 顔を上げて、続きを待った。

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