第三十四話 もう一人の協力者
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正式な宴から数日後、リリアは皇宮の内苑にいた。
サフィーヤと面会の申し出に目を通し、まずは少人数ずつ会うことにした。
招かれたのは、商人や職人の組合の代表、都近郊の村から来た人々、皇宮で働く者の家族達だった。
花壇を囲む石畳に椅子が並び、次の客が木陰で順番を待っている。
ファリダはリリアの後ろに控え、ラフィークは客の列と出入口が見えるところに立っていた。
少し離れた回廊には、ヴィクトルとシリルの姿もある。
「次の方を、ご案内します」
ファリダの声に、リリアは顔を上げた。
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進み出たのは、深緑の衣を着た年配の女性と、その孫だという少女だった。
少女は祖母の袖を握り、リリアをじっと見ている。
「サルハ地方の村から参りました。ラティーファと申します。こちらは孫のナージャです。今は二人で、都に住む息子の家に身を寄せております」
「ナージャです」
少女も慌てて礼をした。
「リリアです」
「お帰りなさいませ」
ラティーファが言った。
宴でも、何度か聞いた言葉だった。
「私は、ヤシャラで暮らしたことはありません。それでも、帰ってきたことになるのでしょうか」
ラティーファは少し考えた。
「また黒百合の方にお会いできたのが嬉しくて。つい、そう申し上げました」
「以前にも、お会いになったことがあるんですか?」
「私が、この子より少し大きかった頃に」
ナージャが祖母を見上げた。
「おばあ様、そんな話、聞いたことない」
「そうだったかね」
「聞いてない」
きっぱりした返事に、リリアは思わず笑った。
「どんな方だったのでしょう」
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「雨の少ない年でした」
ラティーファは語り始めた。
「井戸の水が減って、村では遠くまで水を汲みに行っていたんです。その頃、旅の途中だという巫女様が、何日か村に滞在されました」
「黒百合の力を使われたんですか?」
「力のことは分かりません。でも、弟が熱を出した晩のことは、よく覚えています」
巫女は、弟の様子を見に毎日通ってくれたという。
母が疲れていると、代わりに寝台のそばに座った。
「ある晩、目が覚めたら、まだいらしたんです。弟が眠っても、あの方は膝の上に載せた弟の手をそのままにして、空いた方の手で本を開いておられました」
「おばあ様も、起きていたの?」
「眠りなさいと言われたよ。朝になったら、湯を沸かすのを手伝っておくれって」
「お薬のためですか?」
「ええ。母と一緒に、草を煎じておられましたから」
リリアは、灯火のそばで本を読む人を思い浮かべた。
「弟さんは、よくなられたんですね」
「はい。熱が下がりましてね。巫女様が村を発つ時には、母に花の種をくださいました」
「何の花ですか?」
「名前は知らないんです。小さな紫の花で、母が家の前へ蒔きました。今も、こぼれた種から咲くんですよ」
「……見てみたいです」
「花の頃にお越しになれたら、ご案内いたします」
「いつか、伺えたら嬉しいです」
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ナージャは祖母の隣から、リリアの右腕を見ていた。
今日は、痣を隠さずに人と会ってみたくて、右袖の留め具を外していた。
「それ、痛くないんですか?」
「ナージャ」
祖母に呼ばれ、少女が肩をすくめる。
「今は痛くありません。痛む時もありますけれど」
「触ったら痛い?」
「今日は、見るだけにしてください」
ナージャは素直に頷き、祖母の袖を握り直した。
「お花みたい」
「そうですね。黒百合と呼ばれています」
「本当のお花も、こんな色?」
「多分。私も見た事はないんです」
少女が目を丸くする。
「巫女様なのに?」
ラティーファが何か言いかけたが、リリアは笑った。
「巫女でも」
ナージャも、つられたように笑った。
別れ際には祖母の袖から手を離し、自分から一礼した。
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次に進み出たのは、三十代ほどの男だった。
「南の市で織物を扱っております、ダリウスと申します」
礼は正確だったが、顔は硬かった。
「私は幼い頃、黒百合には近づくなと教えられました。人には扱えぬ力を持つ、恐ろしいものだと」
リリアの背筋に力が入った。
ファリダが、そばでわずかに位置を変える。
ダリウスはその動きに気づき、頭を下げた。
「申し訳ありません。あなたを侮辱しに来たのではありません」
「……はい」
「子どもに尋ねられたんです。黒百合が戻ったそうだけど、怖くはないのかと」
男はそこで言葉を切った。
「会ったこともないのに、私も、昔聞いたことをそのまま答えそうになりました。それで、面会をお願いしました」
「お子さんも、ご一緒ですか?」
「いいえ。店で待っております」
「では、帰ったら、何とお話しするんですか?」
ダリウスは少し困ったように口を結んだ。
「それは、まだ」
リリアは右腕へ目を落とした。
「私も、自分の力のことをよく知らないんです。思うように使えませんから、今、記録を読んで勉強しています」
「巫女様も、お調べになるのですか」
「はい。知らないことが多くて」
先ほどナージャに答えたのと同じだと気づき、リリアは少し笑った。
「お子さんには、今日、私と話したことを聞かせてあげてください」
ダリウスは、しばらくして頷いた。
「そうします。まずは、私の方が会う前から怖がっていたと話さねばなりませんね」
今度の礼は、最初よりゆっくりしていた。
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予定していた人々との対面が終わる頃には、木陰の位置が変わっていた。
リリアは最後の客を見送り、椅子の背に身体を預けた。
ファリダから果実水を受け取り、一口飲むと、ようやく喉の渇きに気づいた。
「お疲れになりましたね」
「はい。でも、来てくださってよかったです」
春に咲くという紫の花が、まだ気になっていた。
もし村へ行くことがあれば、ラティーファに花の咲く場所まで連れていってもらいたい。
杯を返そうとした時、回廊を歩いてくるセイランが見えた。
「終わったか」
「はい」
ファリダが答え、リリアへ目を向ける。
リリアは立ち上がった。
「セイラン様。お時間をいただけますか」
「何かあったのか」
「母のことで、お聞きしたいことがあります」
セイランは内苑へ視線を移した。
招かれた者たちが、まだ案内を受けて退出している。
「ここでは話しにくい。部屋を借りよう」
「お願いします」
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内苑に近い小さな部屋へ移った。
ファリダは女官に水を頼み、扉が閉まるのを待った。
「ご一緒していてもよろしいですか?」
「いてください。聞いたことを、あとで一緒に確かめていただきたいです」
「承知しました」
セイランは向かいの椅子へ座り、リリアが口を開くのを待っていた。
「祀院の代表の方から、母の記録があると伺いました」
「聞いている」
「閲覧をお願いしました。まだ返事は来ていません」
リリアは膝の上で指を揃えた。
「お返事を待つ間に、古記録庫で見たものを思い返していました。十七年前の、サーハラ様への御前聴取要目です」
卓上の杯へ伸びかけたセイランの手が止まった。
「『逃走を補助した者の名。答えを得ず』とありました。サーハラ様が母を助けたことは、伺っています。でも、前皇帝陛下は、ほかにも手を貸した人がいると考えていたんですよね」
「ああ」
「セイラン様は、母をご存じでした」
彼は黙っていた。
リリアはその目を見て尋ねた。
「母が逃げる時、サーハラ様のほかに手を貸したのは、セイラン様ではありませんか」
返事までに、間があった。
「私だ」
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リリアは、すぐには次の言葉を出せなかった。
「どうして、今まで教えてくださらなかったんですか」
「私から話すべきだった」
「母をご存じだったことは、伺っていました。でも、逃げる時に手を貸したことは、セイラン様から聞きたかったです」
セイランは目を伏せた。
「話す覚悟が、つかなかった」
卓に置いた手を動かさず、彼は続けた。
「すまなかった」
リリアは、膝の上で揃えた指を見た。
いつものように「大丈夫です」と言えば、この話を終わらせることはできる。
けれど、今はそう言いたくはなかった。
「教えてください」
セイランが顔を上げた。
「分かった」
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「母は、初めから逃げるつもりだったんですか」
「いや。初めは残ろうとしていた。自分が逃げれば、残った者へ報復が及ぶと恐れていた」
アンが捕らわれていた時、自分だけ逃げろと言われてもできなかった。
リリアはあの時のことを思い出し、それから尋ねた。
「母が、そう言ったのですか」
「ああ。自分がいなくなれば、次は誰が庭へ呼ばれるのか、と」
部屋の外を、人の足音が通り過ぎた。
「それでも、最後には逃げたんですね」
「そうだ」
「なぜでしょうか」
セイランは、すぐには答えなかった。
「ミレナがおまえを身籠っていたことは、聞いているな」
「マーディヤさんから伺いました。セイラン様も、ご存じだったんですか」
「あの夜、本人から聞いた」
母が、自分から打ち明けたのだ。
そのことが少し嬉しかった。
けれど、どうして嬉しいのかまで口にする気にはなれず、リリアは卓の木目へ目を落とした。
「前皇帝陛下は、母が身籠っていたことを知っていたのでしょうか」
「妊娠を疑ってはいた。確かめたかどうかは、私には分からない」
「母が、どこへ向かったかは?」
「私が知っているのは、途中までだ」
リリアは顔を上げた。
「私が、どこで生まれたかも?」
「知らぬ。逃げた夜のことなら話せるが、その先は、私も見ていない」
「……そうですか」
リリアは杯を手に取った。
水を一口飲む間、セイランは何も言わずに待っていた。
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「母は、私のことを、何か言っていましたか」
リリアが尋ねると、セイランは卓へ目を落とした。
しばらくして、口を開く。
「あの庭には立たせない、と」
「……黒百合の庭ですか」
「ああ」
ナディルから聞いた、南の庭。
母の力を引き出すために、人が傷つけられた場所だった。
「話すには、庭で起きたことから伝える必要がある」
「聞きたいです」
答えた声が、自分でも驚くほどかすれていた。
セイランは、卓の水へ一度目を向けた。
「短い話ではない。今日は、人とも多く会っただろう」
「はい。少し休んでからでも、今日、お聞きできますか」
「先に何か召し上がってはいかがでしょう」
ファリダがそばから声をかけた。
「そのあとで、改めて時間を取りましょう」
リリアは頷いた。
「そうしたいです」
「分かった。待っている」
セイランの返事を聞いてから、リリアは席を立った。
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食事と休憩のあと、リリアは同じ椅子へ戻った。
卓には新しい水と、ファリダが用意した紙が置かれている。
セイランは、約束した通り待っていた。
「聞いたことを、書き留めてもいいですか」
「構わぬ。聞きたいことがあれば、途中で止めてくれ」
「はい」
「つらくなった時もだ。今日、最後まで聞く必要はない」
ファリダがそばの椅子へ座る。
リリアは紙を手元へ寄せた。
「お願いします」
セイランが口を開いた。
「十七年前、ザフィールがミレナを南の庭へ呼び出した」
リリアは袖を握りかけた手をほどき、卓の上へ置いた。
顔を上げて、続きを待った。




