第十一話 花に道を
◆
リリアは鏡の前に立っていた。
濃い紫を帯びた長衣の上から、淡い色の外衣を重ねている。
袖口には細い銀糸。
胸元には、黒百合を思わせる小さな刺繍。
ファリダが、リリアの黒髪を後ろでまとめていた。
「きつくありませんか?」
「大丈夫です」
「では、少し動いてみてください」
言われるまま、リリアは首を左右へ動かした。
髪を留める飾りが、わずかに揺れる。
赤い石。
その周囲を、淡い紫の細工が囲んでいた。
「これも、今日のためのものですか?」
「ええ。正式な謁見ですから」
ファリダが最後の留め具を確かめる。
リリアは鏡の中の自分を見た。
サフィーヤから教わってから、礼は何度も繰り返し練習した。
足の位置。
手の置き方。
視線を伏せるタイミング。
今朝も、最後に一度確認した。
「緊張していますか?」
「……少し」
リリアは小さく息を吐いた。
「大丈夫ですよ」
ファリダが言う。
「間違えたら、もう一度すればよいのでしょう?」
サフィーヤから言われた言葉だった。
リリアは少し笑う。
「はい」
ファリダが鏡越しに微笑んだ。
「それに、礼は相手に自分を明け渡すためのものではありません」
リリアは鏡の中の彼女を見る。
「……行ってきます」
「はい」
ファリダが頷く。
「行ってらっしゃいませ、リリア様」
◆
謁見の間は、これまで使っていた小広間とはまるで違っていた。
高い天井。
幾何学模様を刻んだ白い石柱。
壁には青と金の細かな装飾が連なり、その上部には冬の光を通す色硝子がはめ込まれている。
正面の一段高い場所に、ナディルがいた。
青黒い髪。
琥珀金の瞳。
濃い色の長衣には金糸の縁取りが施され、肩から掛けられた布にはヤシャラ皇室の紋章が織り込まれている。
その少し後ろには、昼食会でもナディルの近くに控えていた男が立っていた。
左右には高位の侍従と近衛。
壁際には、記録官らしい者もいる。
サフィーヤもいた。
私的な昼食会で見た姿とは違う。
今日は、皇女としての正装だった。
リリアは入口で一度、息を吸った。
後ろにはヴィクトルとシリルがいる。
けれど、ここから先へ進むのはリリアひとりだった。
「リリア」
小さな声がした。
振り返らなくても、シリルだと分かる。
「転ぶなよ」
リリアは思わず振り返った。
「転びません」
「ならいい」
「今、それを言いますか」
ヴィクトルが小声で言う。
「……二人とも」
リリアが小さく止める。
二人とも黙った。
けれど、さっきまで冷たかった指先に、少し感覚が戻ってきた。
リリアは前を向いた。
そして歩き出す。
一歩。
二歩。
三歩。
広い謁見の間に、自分の足音が響く。
皇帝ナディルの前。
決められた位置で止まる。
右足を半歩引く。
右腕を上げる。
掌を正面へ向ける。
何も握っていないことを示す。
それから、掌を自分へ返す。
黒百合は、誰かへ差し出すものではない。
左手を胸へ添える。
鼓動が触れた。
正面を見る。
ナディルの琥珀金の瞳と目が合う。
一呼吸。
視線を静かに落とす。
――立っていていい。
リリアは再び顔を上げた。
ナディルが口を開く。
ヤシャラ語だった。
「花に道を」
黒百合が生き、歩むための道を閉ざさない。
皇帝から黒百合へ向ける言葉。
リリアは息を吸った。
「御代に朝を」
静寂が落ちる。
次いで、記録官の葦筆が紙の上を走る音がした。
今の言葉が、記録されていく。
そこで初めて、リリアは実感した。
自分は今、正式にこの国の皇帝と向き合っている。
ナディルがゆっくりと頷いた。
「顔を上げたままでいい」
今度はローダン語だった。
「はい」
「改めて、ヤシャラへ来たことを歓迎する」
「ありがとうございます」
「今日より、皇宮内の記録庫の一部について、おまえの閲覧を認める」
リリアの目が少し大きくなった。
「黒百合についての資料も、ですか?」
「ああ。ただし、祀院が管理する記録については別だ。あちらとは調整が必要になる」
「承知いたしました」
「ヤシャラ語と礼法は、引き続きサフィーヤから学べ」
「はい」
「それから」
ナディルは一度言葉を切った。
「皇宮の外へ出ることも禁じない」
リリアは思わず彼を見る。
「本当ですか?」
「そこで驚くのか」
「……少し」
ナディルの眉がわずかに動いた。
「閉じ込められると思っていたのか」
「少しだけ」
壁際で、誰かが息を飲んだ気配がした。
「葛花で話したことを、私は忘れていない」
リリアは黙って彼を見る。
――守ることと、閉じ込めることは違う。
あの日、二人で交わした言葉。
「ただし、外へ出る時は行き先を知らせてほしい」
リリアの肩が、ほんの少し固くなる。
ナディルはそれを見た。
「理由については、謁見が終わってから話す」
「……はい」
「最後に一つ」
「はい」
「先ほどの礼についてだ」
リリアは姿勢を正した。
「何か間違えていましたか?」
「いや」
ナディルは首を横へ振る。
「形の話ではない」
琥珀金の目が、まっすぐにリリアを見る。
「『花に道を』は、儀礼だから口にしただけではない」
リリアは黙って聞いた。
「少なくとも私が皇帝でいる間、おまえの道を、私の都合で閉ざすつもりはない」
「ありがとうございます」
リリアは一度言葉を切った。
「私が閉じ込められるのを嫌うことを、覚えていてくださったのですね」
ナディルの眉がわずかに上がる。
「忘れるほど鈍くはない」
リリアはかすかに微笑んだ、
「それに」
ナディルが続ける。
「今、誓ったばかりだ」
――花に道を。
その言葉が、胸の奥へ静かに残った。
「はい」
リリアはまっすぐ頷いた。
◆
謁見が終わると、リリアは謁見の間に隣接する控えの間へ案内された。
そこにはファリダが待っていた。
「終わりました……」
扉が閉じた途端、リリアは息を吐いた。
「お疲れさまでございました」
「足より、肩が疲れました」
「ずっと力が入っていましたから」
「分かりましたか?」
「ええ」
後ろの扉が開き、ヴィクトルとシリルが入ってくる。
「お疲れさまでした」
ヴィクトルが言う。
「どうでした?」
「何がですか?」
「礼です」
「普通」
ぶっきらぼうにシリルが答えた。
「普通……」
「嘘ですね」
ヴィクトルが言う。
「何がだよ」
「かなり真剣に見ていましたよね」
「見てただけだろ」
「それを真剣にと言うのでは?」
「ヴィクトルさん」
「はい」
「シリルも」
二人を見る。
「ここは、皇帝陛下の謁見の間の隣です」
二人とも黙った。
その時、別の扉から一人の男が現れた。
先ほどまで、ナディルのすぐ後ろに控えていた男だ。
昼食会でも見た覚えがある。
男は三人の前で足を止め、胸へ右手を添えた。
「正式にご挨拶いたします」
落ち着いた声だった。
「皇帝付き筆頭近侍、ジャリールと申します」
「ジャリールさん……」
リリアは小さく名前を繰り返した。
ジャリールは軽く一礼すると、シリルへ視線を向ける。
「シリル殿」
「何だ」
「陛下がお呼びです」
「俺を?」
「正式な身分確認を行います」
シリルの目がわずかに細くなった。
「リリア様と共に皇宮へ入られましたが、守り人であるあなたと、ローダン王室騎士としての身分を持つヴィクトル殿では立場が異なります。皇宮内での扱いを、この機会に明確にしておきたいとのことです」
ジャリールはヴィクトルへ目を向けた。
「ヴィクトル殿にも、この後お入りいただきます」
「承知しました」
ヴィクトルは頷いた。
シリルはリリアを見る。
「待ってろ」
「はい」
「すぐ終わる」
そう言って、シリルはジャリールと共に扉の向こうへ消えた。
◆
謁見の間へ戻ったシリルは、先ほどリリアが立っていた場所より少し手前で足を止めた。
腰には短剣が一本。
皇宮への持ち込みを許された、ただ一つの武器だった。
シリルはナディルを見る。
膝はつかず、右手を胸へ添える。
守り人としての礼だった。
「シリル」
「ああ」
侍従の一人が、わずかに顔を強張らせた。
皇帝に対する返答としては軽い。
だが、ナディルは気にした様子を見せなかった。
「おまえの立場を確認しておく」
「守り人だ」
「誰の」
シリルは迷わなかった。
「黒百合の巫女、リリア様の」
ナディルの目がわずかに細くなる。
「黒百合という役目に仕えるのではないのか」
「違う」
シリルはまっすぐ皇帝を見る。
「俺が忠誠を誓っているのは、リリア様本人だ」
謁見の間が静かになる。
ナディルはしばらくシリルを見た。
「では、何を守る」
「リリア様の命と」
シリルは一度言葉を切った。
「リリア様が、自分で選ぶ権利だ」
近衛の一人が、わずかに動く。
シリルは構わず続けた。
「皇帝だろうが祀院だろうが、本人の意思を無視して連れていこうとするなら止める」
ナディルが片手を上げた。
「構わない」
近衛の動きが止まる。
ナディルは改めてシリルを見た。
「分かりやすい」
「そうか」
「おまえが誰に忠誠を誓い、何を守る者なのかは分かった」
「ああ」
ナディルの視線が、シリルの腰の短剣へ落ちる。
「皇宮では、黒百合の守り人として扱う。私の臣下ではない」
「分かっている」
「すでに許可している短剣一本については、そのまま携行を認める」
「ああ」
「それ以外の武器は、これまでどおりだ」
「分かってる」
ナディルの眉がわずかに上がった。
「ならいい。下がれ」
シリルはもう一度、胸へ右手を添えた。
◆
次に呼ばれたのはヴィクトルだった。
彼は謁見の間へ入り、ナディルの前で足を止めた。
腰に剣はない。
皇宮へ入る際に、すでに預けている。
ヴィクトルは立ったまま姿勢を正した。
右手を胸元へ添える。
そして、深く頭を下げた。
ローダンの騎士が、他国の君主へ示す正式な敬礼だった。
「ヴィクトル」
「はい」
ヴィクトルは顔を上げる。
「確認しておきたい」
「何でしょうか」
「おまえはローダン王室騎士としての身分を持つ」
「はい」
「だが、今ヤシャラにいることについて、ローダン王家から命を受けているわけではない」
「その通りです」
「では、何者としてリリアと共にいる」
ヴィクトルはわずかに間を置いた。
「騎士として生きることに変わりはありません」
ナディルは黙って続きを待つ。
「ですが、私はここで王命を受けて動いているわけではありません」
「ならば」
「リリアさんの同行者としております」
「同行者」
「はい」
ヴィクトルはまっすぐ皇帝を見る。
「彼女が自分の行き先を選ぶまで、その選択を妨げる者から彼女を守るために」
ナディルの目がわずかに細くなった。
「シリルと似たことを言うな」
「そうでしょうか」
「あいつは、リリア本人に忠誠を誓い、その選ぶ権利を守ると言った」
ヴィクトルの目が少し動いた。
「……シリルらしいですね」
「おまえは違うのか」
「似ています」
少し間を置く。
「ただ、私は守り人ではありませんから」
「では何だ」
ヴィクトルはすぐには答えなかった。
「今は」
ヴィクトルは言った。
「リリアさんの隣に立つことを、自分で選んでいる者です」
ナディルはしばらくヴィクトルを見た。
「そうか」
それ以上は問わなかった。
「皇宮内では、ローダン王室騎士としての身分を持つ者であり、黒百合の巫女の同行者として扱う」
「承知しました」
「剣については、すでに皇宮の規則に従っていると聞いている」
「はい」
「ならばよい。下がれ」
ヴィクトルはもう一度、右手を胸元へ添え、深く頭を下げた。
◆
二人の身分確認が終わると、リリア、シリル、ヴィクトルの三人は、小さな応接室へ案内された。
そこにはジャリールとファリダがいた。
そして、もう一人。
三十歳を少し越えたくらいの男が立っている。
短く切った黒髪。
日に焼けた褐色の肌。
灰褐色の目。
背は高いが、ヴィクトルほど大柄ではない。
腰にはヤシャラ式の片刃の曲刀。
立ち方にも、周囲を見る目にも無駄がなかった。
「先ほど、お二人の皇宮内での立場についても、陛下との確認が済みました」
ジャリールがリリアへ向き直る。
「シリル殿は、リリア様ご本人に忠誠を誓う、黒百合の守り人として扱われます」
リリアはシリルを見た。
「……私に?」
シリルは一瞬目を逸らした。
「今さら、そこに引っかかるな」
「でも」
「守り人なんだから、当然だろ」
リリアはしばらくシリルを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「……分かりました」
「何でお前が納得する側なんだよ」
「私のことですから」
「そうだけど」
シリルが僅かに眉を寄せる。
その横で、ヴィクトルが口元を緩めた。
ジャリールは今度はヴィクトルへ視線を移す。
「ヴィクトル殿は、ローダン王室騎士としての身分を持つ者であり、王命ではなく、ご自身の意思でリリア様に同行する者として扱われます」
リリアはヴィクトルを見る。
「ご自身の意思で……」
「はい」
ヴィクトルは少し困ったように笑った。
「私が選んだことです」
リリアはすぐには返事をできなかった。
シリルが横からヴィクトルを見る。
「ずいぶん綺麗にまとめたな」
「事実を言っただけです」
「そうかよ」
「シリル」
「何も言ってない」
ジャリールが一拍置いた。
「では、もう一点。先ほど陛下がおっしゃった件について、ご説明いたします」
空気が変わった。
「この数日、皇宮内でリリア様方の動きを見ていた者が確認されております」
「私たちを?」
リリアが尋ねる。
「はい」
「皇帝陛下の影ではなく?」
「陛下がつけている者とは別です」
シリルの目が鋭くなった。
「誰だ」
「一部については調査が進んでおります」
ジャリールは慎重に言葉を選ぶ。
「ですが、現時点で確実にお伝えできるのは、陛下の命を受けていない監視者がいる、ということだけです」
「誰の命令かは?」
今度はヴィクトルが尋ねた。
「まだ断定できません」
部屋に短い沈黙が落ちた。
――自分に関わることは、自分にも知らせてほしい。
「……覚えていてくださったんですね」
ジャリールがリリアを見る。
「陛下が、ですか」
「はい」
ジャリールは小さく頷いた。
「忘れておられません」
その言葉に、リリアの胸の奥が少し緩んだ。
「ですので」
ジャリールは続ける。
「目的が判明するまで、皇宮の外へ出る際は護衛を伴っていただきたいとのことです。危険が確認されたことをお伝えした上での、陛下からの要請です」
「お願い、ということですか」
「はい」
リリアは少し考えた。
一人で動くな。
そう命じられるのとは違う。
危険がある。
だから護衛をつけてほしい。
「分かりました」
リリアは頷いた。
「できるだけ、護衛の方と一緒に行動します」
「ありがとうございます」
「でも、何か分かったら教えてください」
「もちろんです」
「私に関係することなら」
「そのように陛下からも命じられております」
リリアは、もう一度頷いた。
シリルが腕を組む。
「俺たちにも知らせるんだろうな」
「リリア様がお望みであれば」
ジャリールは即座に答えた。
シリルがリリアを見る。
「知らせてください」
リリアは言った。
「シリルとヴィクトルさんにも」
「承知いたしました」
ジャリールが一礼する。
「それから」
ジャリールはファリダと、隣に立つ男を見る。
「陛下の命により、本日付でリリア様付きの随衛を正式に置きます」
ファリダが胸へ右手を添えた。
「ファリダ・ラーヒル。第一随衛」
「はい」
「そして」
黒髪の男が一歩進む。
「ラフィーク・ハディール。第二随衛」
男も胸へ手を添えた。
「御意」
リリアは二人を見比べた。
「随衛……?」
「皇宮内外で、リリア様の護衛を担当します」
「二人も?」
「交代がございますので」
「あ……」
言われてみれば当然だった。
護衛にも休む時間は必要なのだ。
ラフィークがリリアへ向き直る。
深く頭を下げることはせず、胸へ右手を添えて軽く顎を引いた。
「ラフィーク・ハディールと申します」
低く、落ち着いた声だった。
「第二随衛を務めます」
「リリアです。よろしくお願いします」
「存じております」
「……そうですよね」
自分で名乗ってから気づいた。
ファリダが小さく咳払いする。
ヴィクトルが僅かに口元を緩めた。
シリルも、目が少し笑っている。
「何ですか」
「何も」
ヴィクトルとシリルの声が重なった。
「今、笑っていました」
「気のせいです」
「シリルも」
「俺は何も言ってない」
ラフィークの表情は変わらなかった。
黒百合を珍しがる様子もない。
ただ、これから護衛する相手としてリリアを見ている。
それが、リリアには少し楽だった。
シリルがラフィークを見る。
ラフィークもシリルを見る。
短い沈黙が落ちた。
「喧嘩しないでくださいね」
リリアが言った。
「まだ何もしてない」
「する顔をしていました」
「どんな顔だよ」
「今の顔です」
ヴィクトルが小さく笑った。
「ヴィクトルさんもです」
「私もですか?」
「少し」
「……気をつけます」
後ろでファリダが息を吐いた。
「先が思いやられますね」
「ファリダ殿も含めてでしょう」
ラフィークが初めて口を挟んだ。
ファリダが振り返る。
「何か?」
「何も」
「聞こえましたが」
「独り言です」
リリアは二人を見比べた。
「お二人は以前からお知り合いなんですか?」
「何度か仕事をしております」
ファリダが答える。
「ラフィークの腕は確かです。が、融通が利きません」
「聞こえております」
「聞こえるように言いました」
「ファリダ殿が利かせすぎるのです」
「それでちょうどよいのです」
思っていたより、息は合っているらしい。
◆
応接室を出て廊下を歩いていると、少し前を進んでいたシリルが突然振り返った。
「そうだ」
「はい?」
「似合ってた」
「何がですか?」
「それ」
シリルの視線がリリアの衣へ向く。
「服ですか?」
「それも」
少し間があった。
「……礼」
リリアは瞬いた。
「ありがとうございます」
シリルはすぐに前を向いた。
その横顔を、ヴィクトルが見ている。
「何だよ」
「何も言っていません」
「顔が言ってる」
「気のせいでしょう」
リリアには、何の事やら分からなかった。
◆
その日の夕方、リリアは一人、窓辺に立っていた。
皇宮の建物の間を、水路が走っている。
冬の光を受けて、細い水面が金色に揺れていた。
ふと、右手が胸元へ動く。
朝、皇帝の前で取った礼の形。
――花に道を。
少しだけ自分のものになったような気がした。
リリアは窓の向こうを見る。
皇宮のさらに先。
そこには、まだ知らないヤシャラがある。
母が生まれた国。
黒百合の巫女たちが生きてきた国。
自分の知らない過去が残る国。
今日、その国の皇帝は、公の場で言った。
――花に道を。
道を閉ざさない、と。
窓の外では、冬の陽を受けた水路が光って見えた。
その向こうから、子どもの笑い声が聞こえてきた。
明るく弾んだ声。
けれど途中で、誰かに注意されたのか、急に小さくなる。
リリアの顔に笑みが浮かぶ。
この皇宮にも、あんなふうに笑う子どもがいるなんて。
水路の向こうで、もう一度。
今度は少し遠慮がちな笑い声がした。




