76.騙る人々
どうしてこうなった。
カシアは目の前の状況に慣れまいと必死にこの疑問を抱き続けている。
そうしなければ、これまで生きてきた自分を保てなくなる気がしたからだ。
「面白いことを考えたものだ。上書きね」
王太子が当たり前の顔をして、カシアの部屋のテーブル席に着いてから、ひと騒動が終わったところである。
ようやく手にした魔石をしばらく眺めたあとに、王太子はどこか皮肉気な笑みを零しそう言った。
「イース、凄い!カシア、凄い!私、凄い!」
クロイはずっとイースとカシアを、かつ自分を褒めていて、カシアだってそれには悪い気がしていなかったのだけれど。
だからと言って、クロイの様子やその状況に納得してはいけないとカシアは思う。
クロイが上官の膝の上にあり続けることも。
その上官が人目も憚らずクロイのお腹辺りに両手を回していることも。
さらに上官が時折はクロイの肩に顔を埋めるような仕草を見せていることも。
勝負をしているつもりはないけれど、ここで納得したら負けだとカシアは考える。
真面な魔術師副団長でありたいし、常識ある貴族でいたいと願えば、カシアはこの場で疑問を抱き続けなければならなかった。
「つまり簡潔に言えば、精神干渉に負けず、その魔石の保有する魔力を上回る魔力を注いでやれば、魔石に勝てるということか。面白い。アバランよ、試せる石はないか?」
「今はここにはありませんよ、エリスロース嬢」
「あれば試すか。第三騎士団長?」
イースが答えたあとに発言したのは王太子だった。
「はっ。随分と気前がよろしいようで。今度は代わりに何を差し出せと仰る御心積もりか」
フライアの態度にも慣れてはいけないと、カシアは強く思うのだ。
ここに存在すること自体がまずおかしいとして、相手はこの国の王太子である。
もう少しでも礼儀は必要ではなかろうか。
魔塔の門前まで王太子とフライアを迎えに行ったとき、カシアは膝までは突かずとも腰を折ったし、形式的な儀礼の通りに王太子から発言の許可を得たのち、王太子に向けるお決まりの挨拶の言葉を告げていた。
その王太子の隣で、フライア・エリスロースが不遜にも殺気を放ち王太子を睨み付けていたことには気付かない振りをしていたが。
そこからカシアの部屋までも、カシアは最低限の礼儀は維持して、王太子を自室へと案内した。
その間に何度も王太子がフライアを揶揄っては怒らせて、フライアから放たれる殺気がいよいよ鋭さを増していたことにも、カシアは知らぬ顔をしておいたけれど。
自室に戻ってまず三人が目にしたのは、クロイを抱えて椅子に座り、ご機嫌そうに微笑むイース・アバランの姿だった。
イースは食事を終えていて、しかし現れた王太子を見ても、立ち上がろうともしなかった。
王太子が「いい」と言ったから、カシアはここでは何も言わなかったが。
今朝のおかしな点をすべて認めたら、これまでの苦労が全部水の泡になるような気がして、カシアは必死に疑問を抱き続けるのである。
これがこの世の当たり前ではないぞと否定するために──。
「くくっ。何を差し出せとは言わん。お前が廃人になろうと、私に責任はないとだけ言ってくれ。ならば好きに試させてやる」
「私が試したいと願ったのだ。殿下に責任を求めるわけがあるまい」
「そうか。ならば次に遭遇した石の対処は任せよう、第三騎士団長」
「承った。そのご発言、撤回なさるな、王太子殿下?」
「良かろうとも。約束してやる」
どうしてこうなった。
考えながら、カシアは今、少しの悔しさを覚えている。
カシアにはフライアのように試したいと軽々と口にすることは出来ないからだ。
カシアは魔術師として驕ることなく、自分の本来の実力を把握していた。
さすれば注がれた魔力の影響で感情を抱くまでにいたった魔石を、カシア一人で対処出来るとはとても口に出来ないのである。
フライアだってどうだろうかと、カシアは少しの疑問も抱いていた。
確かにフライア・エリスロースは、騎士の中でも、貴族においても、多くの魔力を保持する者の一人だろう。
しかしそれは、到底イース・アバランに及ぶものではない。
「王太子殿下。我々も引き続き研究をしたいので、次回の暴走する魔石の始末には、魔術師団も関与してよろしいでしょうか?」
フライア・エリスロースがむっとした顔を見せていたが、カシアは目の端に入れるだけにして、あえて何も言わなかった。
研究がしたいという名目で、問題発生時には即対処出来るように、フライアの側にイースを置く予定だ。
イースはクロイのために、必ずや自発的にこの件に関わろうとするだろう。
あの腐海から連れ出す手間はないと、カシアは読んでいる。
そのイース・アバランといえば、カシアたちの会話には何の興味もなさそうにして、クロイの肩に掛かる黒髪の毛先を指にくるくる巻き付けるようなことをしているが──。
上官の説教は後でたっぷりと。
疑問を維持するためにもそう決めていたカシアは、上官の奇行も今は見なかったことにした。
「いいだろう。ただしお前たちからは、許可する代わりに礼を貰うぞ」
「研究成果ですね?」
「魔術師副団長は話が早くていいな。お前たち三人もこの者を少しは見習ってはどうだ」
カシアはこの三人に見習われても困ると思っていたが、王太子がクロイまで含めた発言をしたことに少々の驚きも抱いていた。
王太子の中で、クロイはどういう位置付けにある、どういう人間なのか。
「カシア、いいやつ」
「そうですね、カシアは素晴らしいでしょう」
「フォッシル魔術師副団長が良い男であることには同意する」
三人に褒められて、やはり悪い気はしないカシアであったが。
どうやら三人共に王太子の発言を聞き流すつもりだと分かって、複雑な感情を抱くのだった。
「くくくっ。本当に不敬な奴らよ。魔術師副団長も、そう取り繕って無理をしなくていいぞ。私はすでに知っているのだからな」
カシアが「はい」とも「いいえ」とも伝えなくとも、少しの間王太子は一人楽しそうに笑っていた。
しかしあるとき急に、普段貴族たちに見せてきた王族らしい顔付きに変わると、王太子は言ったのだ。
「第三騎士団長、および魔術師団長、魔術師副団長。暴走魔石の対処について。これは私から三名への直々の依頼である。本件は機密扱いとすることを命じる。暴走魔石に関するいかなる情報も、クロ以外の誰に知られてもならない」
王太子は同じ顔のままで続けた。
「よって今後どの者が、私の命を騙り、似たような依頼をしてきても、その者は信じるな。以上だ」
ここである人を想い浮かべてしまったのは、カシアだけではなかっただろう。
自室の空気が変わったことを、カシアは敏感に感じ取っていた。
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