72.生まれてきた意味 ☆
帰れと言われたのに、イースの心は歓喜に震えた。
クロイはこの室内を完全にその魔法で支配しているのに、イースが転移して来たことにも気付かなかった。
それはクロイにまったく余裕がないことを意味しているから。
「どうか私をどこにも運ばないでください。そして──クロイの代わりにその者の処理をすることを私に許してくださいませんか?」
クロイの淡い紫色の瞳に懇願したあと、イースはクロイの前で揺れながら立つ女を眺めた。
魔力回路を過剰に巡らせたからだろうか。
今のイースはいつもよりよく見えていた。
両腕をだらりと下げて、膝はがくがくと震えており、何度も床から踵は上がって足元はおぼつかず、頭も時折前へ後ろへガクンと落ちることがあって、目は開いているのに意識はないように見える女性の周りに、風がぐるぐると回るようにして、輝く光の粉末が散らばって渦を巻いている。
その渦の中心は女性の胸元にあって、空間に無数に生まれる光の粉がそこに向かって吸い込まれていった。
あれがクロイの魔法か、クロイの魔法が干渉した結果見えてきたものか、その結論を得るためにはイースたちはまだ議論を重ねなければならないけれど。
──今後は魔力回路を弄ることに致しましょう。他の器官も弄ってみてもいいかもしれません。
今この瞬間にその身体で実験することを決めてしまったイースは、それで誰が苦労するかというところを、まだ今は気に掛けることが出来なかった。
そんな足りないイースの前で、クロイが首を振っている。
「私のものに手を出した。私が始末する」
断りを告げる声を聴けば、イースの心はさらに喜びに満ちていった。
「お願いです、クロイ。私に手伝わせてください。まずは私が彼女の胸から石を取り出しましょう」
クロイは迷う間もなく再び首を振った。
「茶色いの、もう取り込まれた。石ごと消す」
「私はその方を生かして石を取り出してみせますよ」
クロイの眉が上がった。
イースは格別に嬉しくなって、ここでずっと浮かべてきたその笑みを深めてしまう。
「出来るのか?」
「してみてもよろしいですか?」
まだクロイは首を振った。
それがイースには嬉しくて堪らない。
何故かと言えば──。
「危ない。イース、取り込まれる」
こんな状況下でも、イースを気に掛け、イースを守ろうとしてくれているからである。
その心が嬉しくて、そして苦しくて、イースは左手で胸を押さえながら言った。
「取り込まれずに対処する方法として、以前から考えていたことがありまして。この場で試してみてはいけませんか?」
クロイに考える間が出来た。
首を傾げてしばらく、クロイは口を開く。
「取り込まれなくても、困る。イースの魔力を入れた石、私は厳しい」
いつも「私は凄い」と口癖のように繰り返してきたクロイが、実力を偽らないところにも、イースの心は擽られた。
「あの石が私の魔力を吸いましても、クロイが困らない状態にしてみせましょう。ですからどうか、私にそうする機会を与えてくださいませんか?」
一瞬の間はあったが、クロイはぶんぶんと首を振った。
それは迷いを断ち切るような頭の振り方だった。
「イース、関係ない。私のものに手を出した。私がすることは道理」
「あなたのものに手を出したのですから、その対応を私がするというのも道理です」
クロイが首を傾げたとき、イースはこの場が自分の思うように進むことを確信した。
クロイはとても優しくて、そして誰かの言った通りとても甘いから──。
イースの思った通りに、クロイは聞いた。
「それも道理……なのか?」
困惑したように問い掛けるクロイに、イースは優しく微笑むと頷いた。
「そうですよ、クロイ。私がこの場でクロイに代わり動くことは、世の道理なのです。ですから一度私に任せてみましょう。ね?」
頷かないが、優しいクロイがもうイースの言葉を否定しないことを、イースは知っている。
「ではまず石を取り外してみせましょう」
「イース、待つ。場所が悪い。取ると茶色いの、終わる」
嬉しさに緩んだ顔で、イースは何者かも知らぬ女性を眺める。
今日のイースはよく見えているから、クロイが言うより前から分かっていた。
石ありきで女性は生きている。
石に乗っ取られ意識のない状態をはたして生きていると言ってよいものかは別として、女性の生命活動はあの石ありきで保持されていた。
それは魔力だけの話ではない。
石を通して血流は巡り、呼吸などの生命維持活動を身体の組織に指示する神経や感覚を司る神経も、すべて石を通して成り立っていた。
つまりただ切り取り石を外したら、女は生きられない。
石に通じる流れをすべて遮断して、元の身体だけで成り立つ流れとなるように切ったところを接続、再生する。
これをイースは瞬時に終わらせてみせると言ったのだ。
繋ぐ流れは数多あり、成功するにはどれだけの繊細な魔力操作を求められようか。
しかも魔力を吸う石と来たからには、イースは吸う力を上回る強い魔力で、実行せねばならず。
きっと今の王国ではイースにしか出来ない所業だ。
魔力を多く持って生まれた我が身の幸運に、イースは改めて感謝した。
クロイの役に立つため、この身で生まれてきたのだ。
それを事実と信じたイースの中で、過去の記憶に抱く感情が完全に塗り替わっていく。
「魔法を切るときに合図をくださいますか、クロイ?一瞬で終わらせてみせましょう。石だけになった後の処理も私が行いますから、クロイはこちらに魔法を使わずに休んでいてくださいね」
クロイの表情にまだ迷いは見られたが、それよりイースはクロイが辛そうに下唇を噛んだことの方が気になった。
悠長に会話をしている時間はないことを悟る。
「クロイ、大丈夫ですよ。私を信じてください。あなたはとてもお強い方ですが、私も少しは強いですからね」
読んでくださいまして、ありがとうございます♡




