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残念な天才魔術師団長の初恋  作者: 春風由実


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65.世間知らず


 急に立ち上がったクロイが座り直した場所は、イースの膝の上だった。

 

 イースは固まって動かないが、カシアも絶句して動けない。


「イース、抱き人形、いるか?」


 それぞれが事態を飲み込むまでに時間を要して作られた静寂は、長くは続かなかった。


「いります!」


 イースの復活が早かったからだ。

 上官から出た声は、今までになく大きな声となった。


「イース、飽きたら落とす」


「飽きませんし、落としません!絶対にです!」


「重い。転がしていい」


「重くなることもありません!クロイはとても軽いですからね!天使の羽のようですよ!」


「イース、変なやつ。寝る」


「はい。おやすみなさい、クロイ」


 クロイがイースの胸に背中を預けたのが分かった。

 恐る恐るという動きで、イースはゆっくり両手を前に出し、後ろから大切なものを包むようにして両腕でクロイを抱え込む。


 恍惚とした表情となり、クロイの黒髪に視線を落としたあとに──。


「殿下」


 イースから出て来た声は、その幸せそうな表情とはまったく一致しない氷点下まで冷えた声だった。


「私は知らん」


 王太子は腕を組み、首を傾け、不機嫌そうに言う。


「私はまだ何も聞いておりませんよ?」


「先に知らんと言ったのだから、私には何も聞くな」


「クロイを抱き人形にしている者はどこのどなたです?」


「聞くなと言っただろう?知らないと言っている」


「あなたは見ているのでしょう?」


「勘違いするな。普段は見ない。こいつがこうやって疲れた時に限る話だ」


「見ている事実があれば、ご存知のこともありましょう。それと──あなたのそれは、クロイとは似て非なる魔法ですね?」


「くくっ。本当に規格外なのだな、今の魔術師団長は──」


 隠蔽や防音の魔法を使っていないのに、すやすやと眠っていられるのは、余程疲れているからだろうか。

 イースに抱えられたクロイは、間近で二人が言い争っていても身動きひとつしなかった。

 そうしていると、カシアに何も読ませないクロイは、生物ではないように思えてくる。


 現れ方は似ていても、何もかも読ませて来る王太子とクロイはカシアの中でも同調しない。


「聞き方を変えますね、殿下。キィトと呼ばれていた青年がおりました。あの方ですか?」


 カシアの上官は、カシアが思った以上にしつこい男だった。

 王太子に注ぐじっとりした視線は、王太子の金色の瞳の向こうに、一度会った青年を見ているようで。


「ほぅ。キィトに会えたか」


「お会いしたとは言わないでしょう。ただ彼がそこに居ただけです」


 隣で王太子が口角を上げたところを、カシアは目の端で捉えてしまった。

 隣から漂う知らない魔力があまりに心地好いものではなかったから、せめて見ないようにと、カシアは心掛けていたというのに。


「そうだな。今日クロに付き合ってくれた礼はしてやるか。あのエリーという娘も、あの場所で育った世間知らずだ」


「エリーさんが世間知らずなのですか?」


 イースも大概世間知らずではないかと、カシアは思った。


「こいつと二人だけで暮らしてきた、世間知らずのお嬢さんだと言っている。子どもはすぐに大人になるという事実を知るのが遅かった。まぁ、エリーは少しは街に出ているから、多少クロイより知恵もあり、危機感は覚えたようだがな。それであいつらは追い出されたというわけだ。孤児院の話もその流れからの経緯でな。だがこいつが甘いから、エリーの引いた防衛線が意味をなさない」


 キィトと呼ばれていたあの青年は、カシアが見ている間中、クロイの頭を撫で回していた。

 カシアが知るその類の強い感情は魔力の揺れや生体反応からは読み取れず、カシアも特別には気にしていなかったけれど……。


 王太子の示唆する人物が彼と限定せずに考えた方がいいだろうか。

 上官も同じ結論に至ったのだろう。


「あの青年以外にも、クロイに何かした者があるのですね?」


「さてな。あとはエリーかクロに聞けばいい」


「そうか。つまり私はエリーにも淑女教育をすればいいのだな?──なんだ、揃いも揃ってそんな顔をして?この場で全員焼き切られたいか?」


 フライアが物騒な発言をして、ようやくこの話題は終わりに向かった。


「この話はこれで仕舞いでいいだろうよ。あとは本人たちに聞け」


「いいえ、殿下。これで終わることは出来ませんよ。後ほど詳しくお聞かせ願います。ですが──殿下には聞きたいことが山程にありましてね。今日はこちらですべてお話しいただいてからお帰りになられますよね、王太子殿下?」


 王太子は腕を組んだまま僅かに椅子を引き、足を組み換え、背中を逸らせながら言った。


「そうだな。お前たちが私に忠誠を誓い、この場で跪くならば、お前たちの問いに答えてやらなくはない。さぁ、どうする?」


「お断りです」「お断りします」「断ろう」


 三人の声が重なったあとに、王太子はいよいよ腹を抱えて笑い出した。


「ははっ。本当にっ。不敬もここまで来ると清々しいものだなっ。まさか魔術師副団長までこうだとは。くくっ。くくくっ。クロが気に入るわけだ」


 王太子は、こんな男だったのか。

 カシアの素直な感想である。




読んでくださいまして、ありがとうございます♡

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