64.見たくないもの
王太子の発言が不服だったのか、クロイの口がむぅっと尖った。
「甘いの、食べる」
「もう半分寝ているだろう。今日で甘い菓子が好きになったなら、あとでいくらでも用意してやる。だから寝ろ」
クロイの口がさらにむむぅっと尖っていく。
その口元を愛おしそうに眺めたイースは、王太子を無視してクロイだけに語った。
「食べたいだけ食べたらよろしいですよ、クロイ」
「食べたい。眠い」
「それでしたら、ひと眠りされたあとに食べることにしましょうか」
「あとで食べる。アレク」
「分かっている。あの場所は見てやる」
「孤児院も」
「分かった分かった。全部見ておくから早く寝ろ」
クロイの口がまた尖った。
もしや眠くて不機嫌なこともあろうか。
イースが横から心配そうにクロイの顔を覗き込んだ。
顔が近くはありませんか、イース団長?
カシアは思ったが、口には出さなかった。
「イース。あとで食べる」
「えぇ、美味しい状態で残しておきますよ。ベッドを使われますか?」
おそらくカシアの部屋のベッドの話だが、イースが聞いた。
それに答えたのは、王太子だ。
「こいつに余計な気遣いは要らん。クロはいつも闇の中で寝る」
イースは険しい顔で王太子を一瞥したあとに、クロイには表情をがらりと変えて問い掛けた。
「闇の中であれば回復が早いなど、お身体に良い効果がありますか、クロイ?」
「いいや、安心するだけだ。なぁ、クロ?」
普段の余所行きとも言えるイース・アバランの貴族的な微笑を知る者たちは、王太子に向けるその冷めた視線も、クロイを見ると途端に緩む頬も、同一人物のものとして認知しないのではなかろうか。
カシアはころころと変わる上官の顔を見ながら、そんなことを思った。
「アレク、いつも分からないことを言う」
「眠い時に分からない人を相手にすることはありませんよ、クロイ。どこでもよろしいのでしたら、こちらで眠られてはどうですか?起きてすぐにまた甘いものを食べられますよ?」
「ここにいたら、こいつはずっと隠さなければならず、疲れるだろう。クロ、ここはもういい。早く闇に入れ」
ここでイースは王太子を睨まず、しかし王太子の方は見ることなく、クロイに向けて肩を落とした。
「そうでしたね。クロイが楽になるのであれば──「イース。また怖いか?」」
離れたところから見ていても分かる程に、上官の済んだ青い瞳が急にぱぁっと輝きを増して、カシアはどうしてか、自分の頬の引き攣りを感じた。
「そうなのです。今日はクロイのことが心配で、とても恐ろしくて。すべて終わったと確認しましても、まだここは不安でいっぱいで──闇の中でも構いません。眠るクロイのお側にいてはなりませんか?」
青い瞳を潤ませて、頬を上気させ、胸を押さえて、出てきた甘ったるい声を聴いたとき、カシアの隣でフライアが腕を擦った。
カシアには、フライアの気持ちがよくよく分かった。
しかし続くクロイからの突拍子の無い発言が、カシアの中で上官に対し芽生えてしまった嫌悪感を消していく。
「抱き人形、いるか?」
流石のイースでも、即座にクロイの発言を理解出来なかったようだ。
「……抱き人形、ですか?」
イース・アバランは呆けた顔をしてクロイに問い返すと、クロイは笑った。
「こう」
ここでカシアが今まで気にしてきたことのすべてが吹き飛んだ。
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