60.消滅
※
詳細な描写はありませんが、今回も怪我に関する場面があります。
苦手な方はこの回は読まずに飛ばしていただければと願います。
後々この一話を読まずとも話が通じるようにしておきます。
横を向き、じーっとイースを見詰めていたクロイは、やがて静かな声で問い掛けた。
「怖がらせたか?」
「えぇ、クロイが心配でとてもとても恐ろしかったのです。出来ればこのままあなたの側に──」
クロイは頷いたのち、顔を真正面に戻して王太子を見上げると言う。
「イース、ここにいる。アレク、早くする」
上官よ、そのように勝ち誇った顔をしていい相手ではないぞ。
カシアは自室にいるのに、この部屋から今すぐ逃亡してはならないだろうかと、不毛なことを考えてしまう。
「ふぅ。相変わらず甘いな、クロは。魔力を出すなよ、魔術師団長。その石はもう吸わないとは思うがな。お前の魔力は規格外だから、狙いを定められると厄介なのだよ」
そう言った王太子はクロイに向かい歩み出すと、クロイも王太子に向けて左手をぴんと伸ばした。
クロイの前で歩みを止めた王太子は立ったまま前傾姿勢となって、伸びたクロイの手首を掴む。
「よくやった。開け」
立っているカシアから、ちょうどよくクロイの手のひらの中身が見えた。
血は滲んでいたが、もう止まっているように思え、まずはほっとした。
傷も浅く見えるから、あれならポーションで痕も残らず消すことが出来る。
そこでふと考える。
王太子は何故傷を治すと言ったのか。
すぐに戻ってきた不安は今までよりも強まって、カシアは目を凝らしてクロイの手のひらを観察した。
すでに感覚は取り戻しているが、クロイから感じないことはいつものこととして、石からも魔力を感じないのは、クロイが魔法を使ったせいなのか、あるいは今も魔法を使っているためか。
小石は傷のちょうど真ん中あたりに乗っていた。
違う。あれは──。
カシアは目を細めて、発生した身体を這うぞわりとした感覚をやり過ごす。
乗っているのではない。半分は埋まっている。
その事実に気付いてしまったから。
床でクロイの隣に座るイースからは、王太子に向けて開いたクロイの手のひらはよく見えなかったのだろう。
イースは変わらず、クロイの背中に腕を回して、王太子を睨みながらも大人しく座っている。
「ここまで受け入れるな、馬鹿者」
「馬鹿者、違う」
「お前は馬鹿者だよ。私が疲れるだろうが」
「私も疲れた。馬鹿者、違う」
クロイの上下の唇が閉じたままむぅっと尖った。
怒っているのだろうか。
カシアの上官までも、一段と険しい顔をして王太子を見上げている。
王太子はそんな二人の表情に興味も示さず、クロイの手首を掴んでいない方の手の指先で小石に触れた。
カシアは指先から小石まで細く紡がれる魔力を感知した。
それはやはりカシアがこれまでに知らない魔力で、至極カシアを落ち着かない感覚に陥れる。
しばらくすると、小石がはらはらと粉のように砕け始めた。
砕けた小石の粉は、不思議と手のひらや床に落ちることなく宙を舞い、そして──消滅した。
それはまるで、いつもクロイがこの部屋から消えてしまうようにして。
この世界にはその小石という存在が、最初からどこにもなかったように。
そして小石が無くなれば、今度は傷が消えていった。
それもまた、最初からクロイの左の手のひらには傷など付いていなかったように。
「今何をした、王太子殿下?」
一番にフライアが問い掛けた。
フライアの位置からもクロイの手のひらがよく見えていたのだろう。
カシアも聞きたいと願っていたが、挨拶もなく、許可も得ず、こちらから話し掛けていい相手ではないために、カシアは声が掛かるまで発言を控えていたのだ。
そんなカシアを嘲笑うかの如く、さらに声が聴こえた。
「終わりましたから、お話を聞けるのですよね、王太子殿下?ふふ。殿下とはよくよくお話をせねばと思っていたところなのですよ。今何をされたかどうかも含め、お話しいただけますね?」
幼い頃から付き合いのあるフライアとイースには、このような振舞いが許されてきたということだろうか。
カシアには判断が出来ず、まだ迷っていたところに、不意に明るい声がした。
「疲れた。カシア、ポーション、買い取り」
ぴりぴりとした空気はたちまちに霧散して、カシアの悩みも吹き飛ばした。
「クロイ、大丈夫ですか。カシア、一番に美味しいポーションをクロイに渡してください!」
「一番は難しいですが。クロイさん、いつものポーションで良ければこちらをどうぞ。代金は要りませんよ。こちらはお譲りします。さぁ、どうぞ」
瓶の蓋を開けて手渡したところ、クロイはすぐに瓶を傾け、ごくごくと以前より勢いよく飲み始めた。
それだけ身体が辛いのだろう。
クロイの喉が止まったのは、小瓶の中身が半分を過ぎてからだ。
「美味しい!私は凄い!カシアも凄い!」
カシアを見上げ、クロイが見せた満面の笑みは、カシアには眩し過ぎるくらいだった。
そこでやっとクロイはもう大丈夫だと、カシアは安堵出来たのである。
しかしここでカシアだけに別の問題が発生した。
「ほぅ。フォッシル魔術師団長のポーションは、美味しいのか」
フライアの発言に嫌な予感を覚えたカシアは、誰の前ということも忘れて、急に饒舌となっていく。
「ポーションは美味しいものではありませんよ、エリスロース第三騎士団長。そちらはただのよくある味の美味しくはないポーションです」
「カシアのポーションは美味しいですよ」
「カシアのポーション、美味しい!」
「ほぅほう。二人が強く言うほどに美味しいということか。フォッシル魔術師副団長。すまないが、私にも一本融通してくれないか?代金は支払おう」
「……申し訳ありませんが、それが今ある最後の一本になります」
驚くほどに部屋がしんと静まるから、カシアは自室なのに大変居心地の悪い想いをしなければならなかった。
静寂を破った笑い声の主は──。
「くくっ。くくくっ。ほらな、クロ。私を心から敬う者などこの国のどこにもいないのだよ」
王太子だ。
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