59.認めたくない現実
やがて輝きが見えなくなると、カシアにいつもの感覚が戻ってきた。
ただしクロイのことだけは相変わらず読めないままで、カシアにも心配が募る。
真っ先に動いたのはイースだ。
「クロイ!もう近付いて平気ですか?魔法を使ってもよろしいですか?」
イースにしては珍しく、叫ぶように大きな声で問い掛けた間に、クロイがペタンとお尻から床に座ってしまった。
両足を前に投げ出し、はぁっと深い息まで吐いている。
「魔法はまだ。念のため」
その声もとても小さい。
「近付いてもよろしいのですね?」
言いながら、イースはクロイに駆け寄り、躊躇いなくクロイの前で床に膝を突く。
「倒れそうですか?支えますよ?」
「平気。疲れた……来て、早く解放」
確実にクロイはここに居ない誰かに伝えたが、それは無視して、イースはクロイの横に座り直すと、片腕で背中を支えた。
「私に寄り掛かってよろしいですよ、クロイ」
カシアからも黙って頷いたクロイがイースの腕に背中を預けたように見えて、心配が増していく。
特に皆が気にしているのは手の怪我のことであろうが、「怪我を見せてください、クロイ」とイースがお願いしても、クロイは「まだ」と返し、胸の前で左手を固く握りしめ開こうとしなかった。
カシアもただ見ていただけではない。
視線をクロイに向けながら、部屋の保冷庫からポーションを取り出して運んでいた。
「クロイさん、私のポーションでよろしければ飲みませんか?」
「クロイ、横になった方が楽ではないか?ベッドまで私が運んでやるぞ」
一方でフライアも何もしていなかったわけではなく、氷のドームの中で仰向けにのびている男の状態を確認してきたようだ。
フライアは駆け足でクロイに近付くと、カシアと並ぶようにして、クロイの前に立つことになった。
カシアたちの提案にもクロイは「まだ」としか言わず、そうするとカシアたちに出来ることがなくなってしまう。
あの小石に問題が残っているということだろうか。
疲れたと聞いては、長く話をさせることも良くないのではと考えて、カシアはどうしたらクロイを楽に出来るかと悩み始めていたところだ。
「場所を空けてくれ」
カシアの後方からのその声は、あまりに急だった。
事が終わったと思い込み、完全に気を抜いていたカシアは、驚きに振り返る前に、それが知った声のような気がして、身動きが取れなくなる。
それだけはあり得ないという強い否定の気持ちが、現実の確認を拒絶したのだ。
それにこの現れ方ではまるで──。
カシアはクロイを見下ろした。
相違点は、突如カシアの部屋に発生した魔力と生体反応は読めていることである。
「疲れた。早く、解放」
「疲れているなら、普通に話せるだろう?」
「余計に疲れる。早く、解放」
「はいはい。分かった分かった。まずは手を出せ」
「石が先」
「分かっている。お前たち、そいつの手当をするから、場所を空けてくれ」
カシアはまだ反応が出来なかった。
何故?どうして?どういうことだ?
頭の中が疑問で塗りつぶされて、思考が止まっている。
この声に重なる人は、通常の魔力を持っていたはずだ。
しかし今感じる魔力は──そうだ、感じる。
感じるが、カシアはこんな魔力を知らない。
こちらの魔力がぐるぐると勝手に掻き乱されているような、側にいるだけで落ち着かない気持ちになる魔力など、今までにカシアは触れたことがない。
王城で思い至るその人に謁見した日は、一度や二度ではなかったというのに──。
ならば声が似ている別人か?
その希望的な予測は、直後に否定されることになった。
「クロイの会話のお相手は、あなただったのですね。王太子殿下」
床近くから聴こえてきたイースの声が、現実を認めてしまった。
観念したカシアは、ゆっくりと振り返り、突如そこに居た男を確認する。
その男はカシアが知る人そのままの姿をしていた。
眩い金髪に切れ長の黄金の瞳。
上下真っ白い服に、真っ白いマントを重ねたその衣装は、王族だけが纏うことの出来るもので、マントの肩部分に入った刺繍の文様は、男が王太子で間違いないことを説明した。
「話は後だ。お前たち、私は場所を空けろと二度も言ったが、聴こえなかったか?」
すぐさま跪き頭を垂れなかったことが大変な無礼になると知ってはいたが、カシアは立ったまま横に移動して、王太子に場所を譲った。
フライアを見れば、複雑な表情を見せてはいたが、同じく立ったままカシアとは反対側に移動して、王太子に場所を空けた。
「お話は後でという点には同意しましょう。こちらにいてもお邪魔にはならないでしょうし、私は移動せずとも構いませんね、王太子殿下?」
「いいや、邪魔だ。気が散るから離れていろ。あぁ、クロ、お前から言ってやれ」
「またよく分からないことを言う。アレクが話すといい」
ぎょっとしたのはカシアだけではない。
フライアも息を呑んでいたことにカシアは気が付いた。
王太子の名は、アレクセイという。
敬称を略すどころか、名まで略す許可を与えたということだろうか。
それもきっと……ずっと以前からではないか。
カシアはイースを見やった。
思った通りに冷え切った目をした上官は、下から王太子を睨みつけている。
さすがに不敬が過ぎないだろうかと、カシアは一人冷や冷やすることになった。
「お前が言えば聞くからだ。クロ、魔術師団長にこう言え。『ことが終わるまで、離れていろ』」
「コトガ、オワルマデ、ハナレテイロ」
このときばかりは、カシアも不敬なことを考えてしまった。
心の内だけだから許して欲しいと願いながら。
さすがにこれはないですよ、王太子殿下。
カシアは思っていた。
「クロイ。私がここに居てはなりませんか?どうしてもクロイのお側にいたいのです」
カシアが思った通り、見えているところで指示した発言は、それがクロイから出て来た声だとしても、イースには効き目がなかった。
しかしカシアの上官もどうも様子がおかしい。
カシアからすると鬱陶しさも覚えるような純粋無垢な青い瞳をしてクロイを見詰めるその横顔が、カシアには恋に焦がれた男というより、子どもが親に無償の愛を期待する表情に見えてしまったのだ。
実は恋ではなかったのだろうか?
カシアはこんなときに悟った。
天才の考えは、凡才では理解出来ないものなのだ。
ましてやその感情は、常人の多くに当て嵌め想像出来るはずはない。
もしもそれが恋だとしても、カシアの上官は一般的な様子で恋をしないだろう。
カシアは強く未来を憂いた。
カシアには想像も付かない大変なことに巻き込まれる気がしてならなかったからだ。
それに今まさに──カシアは想像したこともない事態に巻き込まれている。
どうして王太子が自室にいるのか。
カシアは頭を抱えようという気力も湧かなかった。
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