58.美しい世界
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詳細な描写はありませんが、怪我をする場面があります。
苦手な方はこの回は読まずに飛ばしていただければと願います。
後々この一話を読まずとも話が通じるようにしておきます。
「はははっ。何をしているか分からぬが、私には何も効かぬぞ、小娘」
何も読めなくなったカシアにも、クロイがチェイス・グレートレスにも向けて魔法を使っていることは分かった。
あれほどに真剣な目をしたクロイを、カシアたちは見たことがない。
「灰色の。本当に死ぬぞ。いいのか?」
「脅しているのかな、何も出来ないお嬢さん。おあいにくと、私にはお嬢さんの魔法は効かないのだよ。今はそこの者たちからの助けも期待は出来ぬよ、お嬢さん。お嬢さんには分からぬであろうが、私は尊き御印も頂戴しているものでな。分かったら小娘、私と共に王城に来て貰おう」
何も読めないが、カシアは発言を聞くだけで、チェイス・グレートレスの情緒がまったく安定していないように思えた。
「効かないは違う。その石はまだ怒りたい。私の魔力が嫌で暴走する。どんどん吸う。一番近くの灰色の魔力、無くなるまで止まらない」
「なんとなんと。まだそのような幼稚な言葉で脅そうと言うのか──ガッ」
何も読めないのに、カシアは震えたくなった。
無くなるまで魔力を吸われる?
そんな悍ましいものを侍従は身に着けていたというのか。
しかし先までの感知出来る状態のカシアは、そこに異常な魔力の流れを感じなかった。
一体何が起きているのか。
上手く息を吸えないのか、チェイス・グレートレスが苦しそうに喉を押さえた。
「灰色の。石はずっと吸っていた。もう残り少ない。早くその石を捨てろ。早く」
「はっ……騙され……」
「早く捨てる!」
侍従チェイス・グレートレスの両膝ががくんと落ちて、床に膝を突く。
その喉を掴んでいた両手もだらりと落ちて、しかし不思議と倒れない。
まるで制服の上着の前面が、彼の身体を引っ張り支えているように見えた。
「クロイ、物理的に取り出しては駄目なのですか?」
「はっ。そうだとも。私がこの剣で切り取ってやるぞ」
「イース、カシア、フライアは近付かない」
イースとフライアの相次ぐ声に、カシアは自分が声を出せたことを思い出した。
「クロイさん。教えてください。今はクロイさんもこれ以上は近付けないということですか?」
「これ以上近付くと、灰色のが生きられない」
「調整されているのですね」
クロイが会話をしてくれて、カシアにも少々の余裕が生まれる。
これなら状況が早く理解出来そうだ。
しかしなんてものをあの侍従は持ち歩いていたのか。
「クロイさん、その石は今の状態でクロイさんの魔力を吸うことはないのですね?」
「灰色のと太く繋がっている。切る前に全魔力吸う」
「距離を取れば、その繋がりは断てるのですね?」
「そう」
「侍従殿。今は従ってください。石をどうか、胸から取り出し床に捨てましょう。あなたが生きるためです」
「騙されない。これがあれば……捕えられる……連れて……行けば……私が……」
どこを見ているかも分からない空虚な目をしたチェイス・グレートレスは、床に両膝で立ち、手はだらりと下げたまま、それでも身体は前後左右に微動だにもせず。
明らかに異常な姿勢を保っていた。
「仕方ない。フライア、頼みを変える。石を取り出す。身体は切らない。血が出ると面倒。出来るだけ魔力出さない。物理だけ。すぐ離れる。フライアの魔力は私が渡さないようにする」
「よし来た!任せろ!胸にある石を吹っ飛ばせばいいな」
「遠くはだめ。私が拾って鎮める」
「あぁ、吹っ飛ばすのはやめだ。任せておけ。上手くやる」
「腕輪。侍従を倒す意思は持たない」
「もちろんだとも!」
圧など感じないはずなのに。
部屋の空気が変わったことをカシアは知る。
クロイが放つ魔力を強めたのだろうか。
遠くイースを見れば、青い瞳を輝かせているからきっと──。
「フライア、今!」
「任せろ!」
フライアの全身だけが動くよう魔法を解除したのだろう。
椅子から立ち上がり床を蹴って飛び出したフライアは、飛び掛かりながら鞘から剣を引き抜いた。
その勢いのまま、まずは下から上へ、剣先が侍従の服を切り裂く。
瞬きをする間に剣が二度三度と振られれば、侍従の制服の上着が切り刻まれて、胸ポケット部分が床に転がった。
見事な剣技である。だがそれよりも──。
カシアはフライアの周りに一瞬だが神々しい輝きを見た。
普段は炎を帯びる魔剣が、この一瞬ただの銀色の金属の剣にしか見えなかったが、カシアが見たそれは金属による反射の輝きではない。
あれは──イースの見て来たものではないか。
一瞬で見えなくなってしまった輝きを追わず、カシアはイースを見やった。
やはりイースは目を輝かせてフライアが剣を振り回した辺りを見ている。
残滓があるのだろうか。
気が付けば侍従は床に倒れていた。
カシアが次は自分たちの番だと思ったそのときである。
「イース、カシア、魔法使う」
「いつでも構いません。合図をください」
「えぇ。いつでもどうぞ、クロイさん」
「今!」
手の感覚が戻る。カシアが先に魔法を行使して、その魔法を追い掛けるようにイースの魔法が続く。
イースが黒猫を通し、放った魔法は……成功だ。侍従は氷の檻に閉じ込められた。
すでに侍従は意識がない様子だけれど。
これで目覚めても身動きは取れないだろう。
カシアは今、イースだけに魔力を使わせなかった意味を悟った。
クロイは疲れないために、イースの強い魔力を、カシアの魔法で包んで欲しかったのだ。
部屋の防御は理由にしただけだと思われる。
それも今はイースも理解していて、カシアが包み込むように放った風魔法から、イースの魔力は決して外にはみ出そうとはしなかった。
魔法を使い終えると、手の感覚は消えてしまう。
イースは椅子に座ったまま、フライヤは切り掛かったあとに飛んで離れた場所に立ち、カシアもまた侍従を迎えるためにと動いた入口付近に立った状態を維持して、部屋の隅の柱の近く、何もない床の上に立つクロイを見ていた。
「イース、カシア、まだ動かない。フライアも見ているだけ。大丈夫。私は強い。すぐに終わるから待つ」
不安が増したのは、おそらくカシアだけではない。
トトトと床に落ちた漆黒の布切れに歩み寄ったクロイは膝を落とすと、それを指で摘まむようにして一部の布を持ち上げた。
そして中身を覗き込み──笑った。
「嫌ではないだろう?この血をやるから鎮まればいい。早く楽になれ」
布から手を離したクロイは、いつの間にか右手にナイフを持っていて、左の手のひらを切りつけた。
カシアは声が出なかった。
おそらくイースもフライアも叫んだであろう。
しかし誰の声も届かない。
それは聴こえないだけなのか。
発声自体が封じられているのか。
カシアには分からなかった。
ただ見ているしか出来ない無力な時間が過ぎる。
ナイフはたちまちにどこかに消えて、クロイが腰を曲げたあと、その小さな右手が布切れを持ち上げた。
傾ければ小さな物体がクロイの左手に転がる。
もっと悍ましく大きな石を想像していたカシアは驚いた。
あれではただの小石ではないか。
「大丈夫。私は強い。好きなだけ吸えばいい」
カシアは時が止まったように感じる世界で、とても優しい声を聴いた。
「いい。気の済むまで吸え。長く頑張った。私は凄い。石も凄い──」
そしてカシアは見た。
きらきらと天使の羽が舞うようにどこもかしこも煌めく世界で。
その中心にいるクロイは、絵画に描かれた光を従える妖精そのもの。
カシアが見て来た世界は、こんなにも美しかったのだ──。
読んでくださいまして、ありがとうございます♡




