53.急に訪れた異変
いつもの三人が揃うカシアの部屋に、今までにない緊張感が漂っている。
「おおいなる誤解、解きに来た」
いつも通りカシアの部屋のテーブルを囲んで、カシアの向かい側に、イース、フライアが隣り合う形で席に着き、魔法でフライア用の軽食が運ばれてきてから少し経ってからだ。
声が聴こえ、皆が一斉に振り向けば、クロイがテーブルの脇に立っていたのである。
「クロイ!おはようございます!今朝はお早いですね?あぁ、とてもお会いしたかったです!」
イースが飛び付かんばかりの勢いで立ち上がろうとしたことは、前に座るカシアにも魔術師として何も読まなくとも見てるだけで分かった。
しかし、イースは動かなかったのだ。
そしてカシアは、読めるものを失った。
いいや、それは正しくない。
光はある。音も聞こえる。運ばれた料理の香りも分かるし、部屋には紅茶の香りも満ちていた。
制服越しに触れる椅子の感触も、床につく靴裏の感覚も、カシアには残っている。
ただ……元から読めないクロイはそのままに、イースの魔力と生体反応も読めなくなって、慌ててフライアを気にすれば、そちらからも何も読めず、そしてカシアは顔から下が動かなくなった。
顔が固まった感じはしないから、表情筋は無事のようである。自分の呼吸音も心音も聞こえないが、鼻での呼吸に異常はない。
カシアが確認のため瞼と口を動かしながら首を振ったとき、フライアも同じようにしていて、お互いに変な顔をした状態で目が合ってしまった。
気まずい。
「イース、カシア、フライア。少しの間、協力してくれるか?あとで礼はする」
すらすら語る女性は誰だろうか。
皆がクロイを見詰めた。
「悪いようにはしない。大丈夫だ」
怪しい台詞を吐いたクロイが、首を傾げる。
「余計に怪しい?そうなのか?悪いようにはしないが悪い?いつもよく分からないことを言う」
相手は分からないが、クロイは確実に誰かと会話をしていた。
急いでカシアは、視線だけでイースの状態を探る。
カシアの上官はその青い瞳から熱を失い、クロイを見ていた。
「疲れたくない。イースとカシアは、お願いするまで魔法を使わない。フライアは動かない」
この状況下でもクロイへの信頼感は誰も揺らがなかったようで、皆が黙して同意の意思を示した。
「私が先に試したあとに、して欲しいことがある。イースはこれで魔法を使う。カシアは部屋を守る。フライアは何もしない。出来るか?」
声を止められたわけではないのに、しばらくは誰も答えを述べなかった。
いつもより言葉数が多くても、クロイには圧倒的に説明が足りていない。
だからそれぞれクロイの意図を把握するため思考する時間が必要だった。
ただそれが現れたことは、カシアもすぐに気が付いた。
音もなくイースの前のテーブルの上に、あの黒猫が置かれている。
「指向性変えた。前方に集中。もしかしたら失敗。もっと説明?もっと……もっと何を言う?」
「クロイ。この黒猫を通して私は誰かを攻撃すればよろしいのですね?」
クロイに初めて問い掛けたのは、イースだ。
そこからカシアたちも、この異常な身体の状態を受け入れて、会話に参加するようになった。
「私はイースの団長の魔法から部屋を守る形で魔法を使えばよろしいでしょうか?」
「クロイ、私にも何か頼み事はないか?何もしないというのはとてもつまらんのだが」
つまる、つまらないで、会話をしないでくれ。
カシアは思ったが、おかげで余計に気は抜けた。
いつも通り接すればいい。
「まずは試す。イースが魔法を使う。カシアは部屋を守る。フライアは何もしない」
「私も協力するぞ、クロイ!お望み通り何でも切ってやるが?」
「フライアは何もしない。見て欲しい。イース、カシア、これで魔法は使えるか?」
手のひらだけ急に感覚が戻った。
体内を巡る魔力の流れが読めないことは気持ち悪いと思ったが、カシアは指先で細く魔力を紡いでみせる。
「私は出来ますよ。カシアも問題なさそうですね?」
「えぇ、出来ますね。イース団長に本気を出されたら、部屋を壊さずに済ませる自信はありませんが」
「強くなくていい。弱いやつを捕獲する。その魔道具を通す」
「捕獲ですか。では……すべてクロイのお言葉の通りに。カシア、行きますよ」
カシアとイースの手のひらから魔力が溢れたのは、ほとんど同時だった。
それでもイースの方がほんの一瞬遅れている。
カシアが風魔法で部屋を守り、イースは黒猫に氷魔法を注いだ。
そして……部屋の何もない床に、氷のドームが出現する。
「氷、綺麗!イース、凄い!部屋も綺麗!カシア、凄い!」
いつものクロイだった。
あれは演じて、言葉数少なくいるわけではなかったということか。
それにしては今日は普段のクロイからすると大分饒舌である。
カシアたちが今動けなくなっていることと、関係するのだろうか。
今まで以上に真剣に、カシアはクロイを観察した。
おそらくイースとカシアが行使した魔法を邪魔しないように、クロイは闇魔法による空間への干渉を押さえているのではないか。
自身の制御の制度を試したく、今はあえてカシアの部屋全体を制圧したのではないかとカシアは捉えた。
「問題は効くか分からないこと」
「魔法が効かない相手を捕獲して欲しいというお願いでよろしいでしょうか?」
「魔法は効く。その首輪と腕輪が良くない」
短い静寂は、手のひら意外に魔力を感知しなくても、それぞれからぴんと張り詰めた魔力が放出されたことを示唆した。
その静寂を破る男は、またしてもイース・アバランとなる。
「王族を捕まえたいということですか、クロイ?」
「違う。偽の刻印がある。それは違うのか?偽物ではない?分け与える?分からない。説明に来たらいい。まだ嫌だ?後ならいいのか?」
「クロイ」
呼びかけたあとに、カシアの前で冷えた青い二つの瞳が影を濃くした。
「今お話をされているその方は、私たちが知る人ですか?」
クロイが長く首を傾げた。
傾きは戻らずにクロイは言った。
「シラナイヒト」
カシアだって流石に何が起きているか分かったが、カシアとは違い、イースはこれで納得してあげなかった。
「クロイ。その方の嘘に付き合い、あなたまで嘘を吐く人になることはありません。私たちの知っている人ならば、正直にそうだと言っていいですよ。大丈夫、私たちは困りません」
首を真直ぐに戻したクロイは、しばらく悩んでいるように見えた。
「誤解を解きに来た。きっとあとで来る。話すといい」
「そうですか。それは良かったです。えぇ、その方とは以前からお話をしたいと思っておりましたので。ではその方のことは後回しにすると致しましょう。クロイ、私が捕まえる相手は、今日この後にこちらに訪問される予定の方でよろしいでしょうか?」
クロイは頷いた。
すると急に部屋が普段のように戻って、すべての感覚がカシアに戻った。
「彼が来るまでまだ時間があります。それまで私とお話をしましょうか、クロイ」
イースがにっこり笑うと、クロイも笑顔で頷いた。
何故だろうか。
感覚を取り戻して安堵すべき今に、カシアに強い嫌な予感が襲ってきたのは……。
読んでくださいまして、ありがとうございます♡




