35.駆け引きの時間
「今日はクロイに聞きたいことがあって来たのよね?」
独特な香り立つ薬草茶は、意外にも焼きたてのパンに合う味だった。
カシアの新たなる発見である。
目の前の広いテーブルには、今日はカゴいっぱいにパンが置いてあった。
ここにいる子どもたちは皆昼食を終えた後だそうで、エリーからは気にせず好きなだけパンを食べていいと言われている。
カシアの右隣ではその有難い言葉に従って、フライアが所作美しくパンを手で一口大にちぎっては口に運び、貴族らしからぬ言葉遣いで「美味い」と繰り返していたが、そのさらに向こうに座ったイースは籠いっぱいに乗るパンに手を伸ばそうとしなかった。
曰く、後でクロイと一緒に食べるからと。
そしてカシアも……パンを一口食べて、お茶を一口飲んだところで、手を止めてしまっていた。
エリーから今日の訪問の理由を問われ、それに何と答えようかと迷っていたのだ。
その時間が長過ぎたのだろう。
早速フライアがパンをひとつ食べ終えてしまった。
フライアの手のひらよりも大きなパンだったというのに早い。
「私はまどろっこしいことは好まぬゆえ、単刀直入に問う。クロイは人の記憶を消せるか?」
カシアの熟考した時間が無意味に散った。
仕方なくカシアは、エリーの反応を具に観察しておく。
今日のエリーはよく見ておかなければならないと、それはカシアの直感が告げていた。
エリーの視線が一瞬下に落ちて、またフライアに戻って来る。
「子どもたちの記憶を消したことかしら?」
「やはりそうか。ならばどうして一人だけ消さなかった?」
「どうしてかしらね?」
「我らに話す気はないということか?」
しばし沈黙が流れた。
カシアにはその静寂が、先ほどカシアがしていたように、エリーが言葉を選ぶための時間を取っているように受け取れた。
抱く感情が外に出ぬよう、今日のエリーは最初から必死に隠しているように感じられる。
それが分かるのは、エリーの呼吸を、心臓の鼓動を、血液の流れを、全身の体温を、そして魔力の揺れを、カシアはよく感知出来るからだ。
隣にいるフライアがどれだけのものを感知出来ているかまでは、カシアは知らない。
ただフライアが直感と呼ぶそれがそうなのではないか、カシアは今思い至った。
フライアもまた、何一つ見逃してやらないぞいう真剣な眼差しで、エリーを見ていたから。
「実はね、私からも今日はあなたたちにお願いしたいことがあったのよ。それを先に話してもいいかしら?」
フライアは頷き、カシアも「どうぞお話しください」と伝えた。
「今回あなたたちにはとてもお世話になったわ」
エリーのその言葉が、カシアには別れの挨拶を始めたように聴こえたから。
隣のフライアを越えて、カシアは横目でイースを見やる。
相変わらず何を考えているか読めない貴族らしい柔らかな微笑を浮かべた上官は、しかしその青い瞳でしっかりとエリーを捉えており、どうやら話は聞いているようだった。
「私が子どもたちのためにあなたたちを利用することを考えたのよ。それがこんなにも上手くいくなんて思ってはいなかったから。利用しようとしたことは悪いと思っているし、今はあなたたちに感謝もしている。けれど──それはあなたたちの仕事の範疇よね?」
カシアは隣で見ていて、元から美しくピンと伸びていたフライアの姿勢が、さらにすっと立ったように感じた。
「君の言う通りだ。私の目が届かず、うちの騎士たちが迷惑を掛けた。すべては彼らの上官である私のせいだ。実は今日は君たちに謝ろうとも思って来ていた。君たちには騎士が長く嫌な想いをさせてきて、そしてまた守られるべき場所であるはずの孤児院を知らず危険な場所として残してきたこと、そのせいで君たちに街で頼るところも与えられなかったこと。すべては私の至らなさが招いたことだ。本当に申し訳なかった」
座ったままであったが、フライアは椅子を引きテーブルから距離を取ると、腰を折り頭を下げた。
その前でエリーが首を振っている。
クロイの闇魔法を体験した直後で興奮していたことはあったが、フライアがエリーに会ってすぐに謝罪をしなかったことは得策ではなかっただろう。
カシアはそれを促せなかった自分の落ち度を反省していた。
今日はもっと計略を立てて、はじめからそれを実行し、エリーと話さなければならなかったとカシアは思う。
そうしなかったために、エリーにそれを口にさせてしまったという罪悪感も抱いて──。
「謝罪はいいわ。今後はあの子たちが無事に育つように守ってちょうだい。だからもう──私たちのことは、忘れてくれないかしら?」
エリーの言葉はそれで終わらなかった。
「ここでのあなたたちの仕事は、もう終わりでいいでしょう?残る子どもたちは、私たちだけでなんとかするわ。だから私たちのことは、今日ですべて忘れて欲しいのよ。私たちもその方が都合がいいし、あなたたちだって仕事で忙しいのでしょう?これからは私たちに構わずに働いてちょうだいな。それでもまだ関わろうとするなら──クロイに頼むわ」
エリーが決定的な言葉を口にしたとき、カシアは急いで顔ごと横を向き、上官を見た。
騒ぎ出すかと疑ったからだ。
ところが──。
「先日からクロイの魔法を解析しているのですが──」
イース・アバランはいつもの穏やかな声で語り出したのである。
うっとりと何かに魅入られたような熱の籠もる瞳と輝かしい笑顔を見せて──。
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