33.無意味なことだったのか
その日は今にも雨が降り出しそうな曇天が広がっていて、この季節には肌寒い一日であった。
「はっ。ここまで来ると、私の頭がおかしくなった気がしてくるな。貴殿もそうは思わないか、フォッシル魔術師副団長?」
職員や子どもたちに見送られ、孤児院の門から出て来たばかりのところで、フライア・エリスロースが言い放った。
カシアにイース、それからフライアの三人は、連れ立って孤児院の視察を行った後である。
公表では第三騎士団と魔術師団が協力し、孤児院の問題を解消して街の不遇な子どもたちを救ったことになっているから、この三人が揃って視察に訪れることに何らおかしな点はない。
それもカシアがいたので、すべては正規の手続きで実行された。
孤児院には指定した日に三人で伺いたい旨を連絡し、返事も待って、移動には転移魔法を使わず、魔術師団所有の馬車に乗り孤児院へとやって来た。
ついでに街の視察も行うという理由で、まだその馬車は近くに待機させてある。
待機と言っても、馬も御者も必要のない魔法で動く馬車であるから、誰かを待たせているわけでもない。
魔法で指示すれば、カシアたちを乗せずに魔塔に戻すことも可能だった。
なんと便利な馬車かと思うが、この特殊な馬車も申請せずに街で使用してはならない規定があるため、カシアたち魔術師は滅多に利用しない。
だから街では庶民が使う乗り合い馬車などを利用する魔術師の姿が時折見られるのである。
「誰もだぞ?誰一人もだ。あれだけの子がいて、全員が覚えていないことなど。あり得るのか、アバラン?」
行く先も相談せずに整備された石畳の通りをすたすたと歩くフライアは、同じ速度で隣を歩くイースに問い掛けた。
二人の後に続くカシアは、つい先ほどまで一緒に過ごした孤児院の子どもたちの顔を思い出している。
孤児院の建物は、さすが新築らしく美しく清潔に管理されていて、子どもたちも皆今日の肌寒い気候に適応した綺麗な服を着ていた。
それだけならカシアたちの視察に合わせそうしたと考えることも出来たが。
子どもたちは身体付きもしっかりしており、肌艶もよく、普段から食事も睡眠も十分に取れていることが見て取れて、カシアも孤児院到着後にすぐに安堵していたのだが。
それにどの子どもも楽しそうによく笑った。
だから到着してしばらくは、カシアもいつも胸に残るこの苦しさを今日の視察が僅かにでも解消してくれそうな気配を感じていたものだけれど。
直後にカシアは、それが間違いで、苦しさから解放される日が来ないことを悟った。
むしろ視察に来る以前より、カシアの胸に苦しい重みが増えてしまっている。
足取りも今はとても重く。
カシアはフライアと並び前を歩く上官の背を眺めた。
カシアとフライアが子どもの相手をしている間は、今とは真逆に子どもたちに話し掛けることもせずカシアたちの後ろに立っていたイース。
あのときイースは何を考えていたのだろう?
もしやイースには何か見えていただろうか?
答えが出たからといって苦しさから救われることはないけれど、カシアは少しは気が楽になりそうで縋るように上官の背を見詰めてしまったが。
期待はしかし、無情に砂となり消えることになる。
「一度に全員でなければ出来るとは言いましょう。ただし一切の痕跡を残さず……というのは、私でも厳しいことです」
元々引き籠もってばかりいる故に人より肌の白いイースが、今は青白い顔をしていた。
「それは出来ぬと言うのではないか!」
「個人の記憶の一部を消すことならば、私にも出来ると言っているのですよ」
「だが痕跡は残るのだろう?」
「痕跡と言っても、あなたには分からない程度です」
「貴様。また私を愚弄するか!」
「エリスロース嬢が何を仰っているか分かりませんが。あれが魔法であるならば──」
「言い掛けて言葉を止めるな、アバラン!口にしたなら最後まで言え!」
カシアは音が遠くに届かぬようにと、二人の周りを勝手に魔法の風で包んでいたが、頼むから街中では騒がないでくれと願った。
周りから大騒ぎしているように見えているのに、声だけは届かぬなどかえって不気味に見えるだろう。
ただでさえ容姿だけでも目立つ二人、街で注目を集めることは避けたいというのに。
「アバラン、貴様、ここで黙るか。答えは出たと思っていいのか、フォッシル魔術師副団長?」
足は止めずに振り返ったフライアに尋ねられて、カシアは顔を上げた。
いつの間にか俯いていたようだ。
「……どうでしょうか。あちら側の可能性がないこともありませんし」
「王家の秘伝魔法か?本当に実在するならば、あれは子ども時代に我らに見せびらかしていたと思うぞ」
「しかし実際に、私たち魔術師はこれを解除出来ませんからね」
「……確かにそれがあったな」
フライアの視線は、カシアが手を添えた首元に注がれた。
しかしフライアには、そこに何が見えるわけでもないだろう。
何せカシアにも見えない。
ただ以前とは何か違うという微かな違和感が、そこに存在し続けているだけ。
イースとてこれは見えていないだろう……と思ってきたが、今のカシアには分からなくなっている。
上官はカシアに見えないものが見えているから。
今のあの青白い顔も、カシアには分からない何かを感知したせいではないか。
「忘れさせて良かったと思うか、フォッシル魔術師副団長?」
余計なことだけをしたのではないか。
その想いが消せず、孤児院を出てからもカシアの気持ちは晴れない。
よく世話をして貰い、大切に守られて、彩り溢れたあの場所で暮らしてきた幸福な日々。
そこから急に連れ出され、その記憶までも奪われて──。
事実を突き付けられてから、カシアの胸がずきりずきりと切るように痛んでいる。
あの子たちを孤児院に連れてきたとき、彼らはまだエリーの話をしていて、必ず内緒にするのだと意気込んでいた。
「ふぅ。事情が分からぬまま、ここで議論していても仕方あるまいな。何故ディランだけが覚えているかという問題もある。彼女を呼び出せないか、フォッシル魔術師副団長?」
「エリスロース嬢!どうしてそこで私に聞いてくださらないのですか!」
「何故貴様に聞かねばならん、アバランよ」
「クロイのことはすべて私に聞くべきだからです」
「意味が分からん……はっ!いよいよ私は頭がおかしくなったか?」
「どうされました、エリスロース第三騎士団長?」
急に片耳を押さえて困惑するフライアに、カシアも心配になって声を掛けた。
本当に具合でも悪くなったのではないかと憂いたが──。
「いや──これは本人か?──あぁ、信じるぞ。君ならこんなことも出来よう──ふむ、分かった。三日後だな──問題ないぞ。空けておく」
「え?お待ちください。お待ちくださいよ、エリスロース嬢。まさかですけれど。まさかですよね?」
「すまんな、アバラン。私たち三人を三日後に呼ぶそうだ。いつもの部屋で待てと言っていたと思う」
「思うとはなんですか!」
「仕方なかろう!あの子はいつも言葉数が少ないのだから」
「クロイ!どうしてですか!ご用件はすべて私に話してくださればよろ──はい、カシアの部屋でお待ちしておりますね。私の部屋でもよろしいのですよ?──カシアの。そうですか。それは残念──えぇ、見ていてください、クロイ。私は頑張りますよ──そんな。あなたと会うこと以外に、この世に他にどんな大切な用があるというのでしょう?私の部屋など塵より価値はありません──へんなやつは、お嫌いですか?──ふふ。ふふふ」
一人不気味に笑う上官を眺めていたら、カシアは身体が軽くなったように感じた。
胸の苦しさは相変わらずあるけれど、今日は早くに帰宅出来そうである。
今夜こそゆっくり休んで、英気を養い、三日後に備えようとカシアが決めたとき──。
「かけ。なおす。いれた。カシア。のむ」
「はい?」
聞き返したが、声は戻って来なかった。
上着のポケットの中の小瓶に気が付いたのは、カシアが魔塔の自室に戻り、一人落ち着いたときだった。
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