28.孤独な夜のはずだった ☆
「一人残されますと、あの頃を思い出してしまいますね」
上階にも階下にも魔術師たちの気配はあるし、深夜でもこの場所は完全な一人ではない。
魔法のランプが室内を明るく煌々と照らし、外からは虫の声も聞こえていて、どこからか薬品の匂いも香る。
イースの身体を支えて柔らかく沈むベッドの上、膝には手触りのいい毛布も掛けられた。
それはイースの思い浮かべた過去とは何もかも違うけれど。
それでもこの簡素な部屋が、そして昼間の事件が、イースにある時間を思い出させた。
「はぁ……クロイ。せっかくお会い出来ましたのに、醜態を晒してしまいました。申し訳ありません」
ベッドの上でイースは子どものように膝を抱える。
イースが魔力の暴走を制御する訓練をしていたのは、もう二十年以上前の話だ。
すっかり大人になって、魔術師団の団長までしている自分が、まさか今になって魔力を制御出来ない状態に陥るなんて。
それはイース自身も、とても驚いていることだった。
身体に保持する魔力量が多過ぎて。
イースはたびたびアバラン侯爵家の者たちに迷惑を掛けて来た。
それはイースが生まれる前から始まっている。
母親のお腹にいる間に、イースは何度もその強い魔力で母体を危機に晒した。
出産も大変な難産で、母が元気に生きている今では皆が笑って話してくれることだが、侯爵家がその権力と財力を行使して、腕のいい産医と、当時国内一と名高かった治癒魔術師を用意して、なんとか無事に出産を乗り切れていなければ。
はたして一族の者たちがイースを可愛がってくれただろうか。イースは疑念を抱いている。
幼い頃もある時期まで、アバラン侯爵家の者たちはイースに余所余所しかった。
魔力の強い子どもをどう扱えばいいか分からなかったのだろう。
魔法で危害を加えられる恐怖もあったと思われる。
家族や家の者たちの対応が変わったのは、イースが魔力の暴走を制御する訓練を終えたあとだ。
密室に閉じ込められていたあの時間を……イースは今でも気持ち良くは思い出せない。
だからイースは物の少ないこうした部屋が得意ではなかった。
一室にベッドしか置かないところはとてもカシアらしいなと思えば、心が和まないわけではなかったけれど。
「自室に戻った方が良さそうですね。防御魔法を掛け直して籠りましょう」
イースはまだざわざわと胸の辺りに嫌な揺れを感じている。
少しでも考えを戻したら……あの部屋にいた自分と同じ場所に落ちると分かった。
たとえそうなったとして、次は誰にも知られないように。
イースはカシアの魔力が完全に遠く離れたことを確認してから自室に転移しようと決めて、抱える膝に顔を埋めた。
クロイ。
目を閉じても、開いても、浮かんで来る黒髪の小柄な女性。
ここでは考えない方がいいと分かっているのに、嫌でも浮かんで来る彼女は、今日はとてもよく笑っていた。
あんな嬉しそうな顔、私には見せてくださらなかったのに。
「あぁ、駄目です。やめましょう。考えては駄目です」
何故こんなに苦しいのだろう。
何故こんなに辛いのか。
胸を、頭を、掻きむしりたくなって……他者を気遣い悠長に待っていてはいけないと、転移を決意したちょうどそのときだった。
頭の上で温かいものが柔らかく揺れる。
気配がない。
魔力も感じない。
空気は揺れないし、息遣いさえしない。
触れたところ以外に熱も読み取れない。
なのにこれが都合の良い夢ではないと分かる。
「イース。大丈夫。私がいる。平気。落ち着いて」
顔が見たいのに、頭を撫でるその手を止めたくなくて、イースはそのまま膝を抱えて黙った。
ぐすっと一度鼻を鳴らしてしまったことを、もう恥じる気も起きなくなっている。
「大丈夫。平気。私はすごい。とても強い。問題ない」
くすっと笑えた。
もう大丈夫だとイースは自信を持てた。
それでもしばらくは声を出さずにいれば、止めたくない手はずっと優しく動いた。
嬉しくて、くすぐったくて、身を捩り悶えたくなって。
また胸を掻きむしりたくなったことが愉快で、顔を隠したままイースは再び笑った。
手の動きが止まる。
「私を……見ていてくださったのですか?」
出て来た声が震えていて、イースは恥を捨て声を上げて泣きたくなってしまった。
けれどすぐに聴こえてきたクロイの変えた声色に、イースは笑ってしまって、もう涙は出ずに終わった。
「ずっと、違う。許すか?」
膝に顔を押し付け、毛布で顔を拭って、イースは顔を上げる。
頭から手が離れて、イースはとても寂しく思ったが、簡単に手の届く距離にいるクロイがベッドの上に膝で立つ姿が目に入って、それを忘れた。
「もちろん許しますよ。私はクロイを怒りません。ですがエリーさんには怒られましたか?」
もうイースの声は震えなかった。
すとんとベッドに腰を落として正座をしたクロイが、ばつが悪そうに頷いている。
イースはどれだけ自分が甘美な微笑を浮かべているかを知らない。
「私はクロイが見ていてくださると嬉しいですよ。これからもずっと私を見ていてくださいませんか?」
「ずっとはない」
「そうですか。とても残念です。私はずっと……クロイのことばかり考えておりましたから。想う気持ちが私だけでは寂しいと思います」
「たまには見た」
「たまにでも見ていてくださり嬉しく思います。今日は私たち三人が集まっていることを確認してから、こちらにいらっしゃったのですね?」
「ここはよく見えない。イースたち、動かなくなった」
「私たちが落ち着く頃合いを見て、訪問してくださったのですね。お気遣い嬉しいですよ、クロイ。そして今も、私が一人になったことで気にしてくださったのですね?嬉しいです、クロイ。本当に私は嬉しいです」
クロイがほっとしたように息を吐くと、イースの胸が飛び跳ねた。
実際にはその息遣いを感知していなかったかもしれないが、近くで見ていてイースには分かったから。
クロイが心配してくれた。
クロイが励まそうとしてくれた。
クロイが私を見ていてくれた。
クロイが私に安心した。
短い言葉から受け取るそれらの予感が、イースに今までに経験のない大いなる喜びを与えてくる。
クロイがいつもより長く話そうと頑張ってくれているところもまた、イースの胸を擽った。
「日中はお恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません。せっかく来てくださいましたのに」
「恥ずかしくない。よくある」
「やはりクロイは子どもたちの魔力を隠しておられましたか」
「分かったか?」
「あの場では分かりませんでしたよ。ただ、あれだけの子どもがいながら、一人も魔法を使える者がないのは珍しいなと思いまして。孤児院を拒否したのは、魔法を使える子たちですか?」
「すべて、違う」
「魔力関係なく嫌だと断った子もいるのですね。先日お話し出来たあの少年もでしょうか」
クロイは頷いた。
あの少年が羨ましくて、昏い気持ちが蘇りそうになると、イースはクロイに甘えた。
「私は子どもたちが羨ましいです。昔の私にもクロイが側にいたらと……どうにもならないことを願ってしまいます。私はあれを一人で乗り切りましたので」
普段のイースならそれを口にすることはなかっただろう。
イースは自分が大分弱っているなと気付き、何故か今はそれがとても嬉しく感じて。
クロイに向けて幸せそうに微笑めば、クロイの目が細められて、イースはさらに嬉しくなり破顔した。
その笑顔がクロイには痛々しく映っていただろうか。
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