27.定時はとうに過ぎましたので
「うぅぅ……恥ずかしくてどうにかなりそうです。カシア、私はどうしたらいいのでしょう?」
カシアの部屋のベッドに横たえ、しばらく。
目覚めた上官は、ベッドの上で身体を起こすと、そのまま両手で顔を覆って泣き出してしまった。
「そうですね。団長の年齢ではとても珍しいことですけれど。まぁ、稀にはあることですから。お気になさらず」
「うぅぅ、カシア、私に優しくしてしてください。私は落ち込んでいるのですよ?」
「……あまりに落ち込む時間が長いもので」
「うぅ……醜態を晒し、弁解も出来ず、それどころかお見送りさえ出来なかったのですよ?次のお約束も出来ていません」
「また来ると言ってくれましたから。次に会ったときに話せばいいでしょう」
もう何度目だろうか。
カシアは魔力がたちまち消えたあの一瞬からの出来事をまた思い出していく。
誰がイースの膨大な魔力を吸い取ったか、それはカシアが考えるまでもなく答えは出ていた。
クロイの活躍は、これで終わらない。
『クロイ、申し訳ありません。こんなことになるとは──』
『イース。今はめっ!寝る!』
『眠るなんて。そんな、嫌ですよ。私はクロイとお話がしたいのです。せっかくあなたに会えましたのに──』
魔法を見て鳥肌が立つなんて、カシアは何年振りだったろう。
ぞくぞくとするその感覚が、畏怖か、恐怖か、感動か、羨望か、敬意か、憧憬か、あのときはカシアも混乱していて判別が付かぬまま感情を放置した。
そして今は……それはすべてだったとカシアは思っている。
一切の魔力を感じなかった。
だがクロイは確実に何かした。
イースの両手を取ったまま、クロイがイースの顔に顔を近付けた直後、イースはぱたりと前方に倒れ、テーブルに伏してしまった。
このときばかりは間に合って、クロイが姿勢を戻しイースから離れる間に、風魔法で急いでテーブルに並ぶ食器を移動させられた自分を、あとでよく褒めたカシアだ。
そのあとは、カシアが風魔法でイースを隣室のベッドに運んだ。
『イース、半日』
『半日もすれば目を覚ますということですね?ご対応感謝致します』
『これ、飲ませる』
『ポーションまで頂けるのですか。イース団長はとても喜ぶと思いますよ。ありがとうございます』
それから──カシアが魔力を与えると、クロイは満足そうに微笑み、『帰る。また』という言葉を残して部屋から消えた。
本気の剣を見せ忘れたと騒ぐフライアも、予定通りにカシアと打ち合わせという名の口裏合わせを済ませると、「次にクロイが来たら声を掛けろ」と言い残して魔塔を去った。
急に自室に訪れた静けさに戸惑う自身を訝しく思いながら、カシアも部屋の片づけを済ませると、仕事に戻った。
時折は隣室で眠る上官の様子を確認したが、クロイが言ったように、イースはぐっすりと眠っていて、陽がすっかり落ちて、夜も更けて、あれからきっかり半日経った頃、イースは自然に目を覚ました。
それからずっと……この通りだ。
時はもう深夜。
「うぅ……本当ですね?本当にクロイはまた来ると言ったのですね?」
「おそらくは」
「おそらくとはなんです?どうしてもっとはっきりとした次の約束を交わさなかったのですか。お帰りになる前に、次の日取りを決めておいてくだされば……うぅぅ」
「それよりそのポーションを飲まれないのですか?」
「飲むわけがないでしょう?これは大切に取っておくのですよ」
「……イース団長は次にお会いした際に、ポーションの感想を述べられなくてもよろしいのですか?」
「……では一口だけ……いいえ、駄目です。勿体なくてとてもとても……。クロイから私がはじめていただいたポーションなのですよ?」
善意の頂き物だが、クロイからはあの場であと2、3本買い取れば良かった。
そう思っても今さら仕方のないカシアは、自室に保管する別のポーションを上官に渡すことにした。
それはカシアの作ったものではなく、新人の魔術師たちの試作品である。
市販のポーションより効果はずっと上のはずで、ただし……。
「うぅぅ……うぅぅ……なんとも言えない味がしました」
「うちの新人が作ったものですからね。効果はよく出ていますが、まだ味の追求までは出来ないようですよ」
「カシアのポーションでよろしかったですのに」
「私がポーション作成を好まないことはイース団長もご存知でしょう?」
「カシアの分はいつも作っているではありませんか」
「それは私の分ですから、仕方なくですよ。団長にあげてしまったら、一本余分に嫌なことをしなければならなくなります」
「一本くらいなんですか。一度に大量に作っているでしょうに。うぅ……、カシア、先ほどから私へ嫌がらせをしていませんか?」
「嫌がらせはしていませんが。そろそろ帰りたいとは思っていますね」
「うぅぅ……カシアはそれほどに冷たい方でしたか?」
「ポーションも飲まれましたし、お身体はもう平気ですよね?イース団長に夜通しの付き添いは要らないと判断しますが」
「うぅ……大丈夫ではありません。私はもう恥ずかしくて、どうにかなりそうなのですよ。どうしましょう、カシア?」
「そろそろ私は帰りますね、団長。今夜はこのままここで過ごされていいですよ。私は滅多にこのベッドを使いませんし、気にせずごゆっくりお休みください」
カシアはイースと違って、魔塔に寝泊まりはしていない。
夜にはきちんと自宅に戻り、そして翌朝早くに出勤してくるのだ。
この魔塔の研究室を住まいとし、外に家を借りていない魔術師は幾名かいるので、イースが魔術師団の所属としておかしいというわけではないが。
歴代の団長に、おそらくイースほど研究室に籠っていた人はいないだろうと、カシアは想像している。
なんなら魔塔にはなかなか出勤して来なかった団長は多く、二人前の団長にいたっては、その在職中に数えるほどしか魔塔に現れなかったと聞いていた。
それもそれでどうかと思うカシアだが……イースがこうなるとカシアはもう二度と捕まえることが出来なくなるなと思い至り、引き籠ってくれている方がまだいいといつも結論付けることになる。
「うぅう……カシアはいじわるです」
「明日は早めに出勤するようにしますから。ではイース団長。お疲れ様でした」
カシアは魔塔を去る。
上官はもうすっかり元気な様子に見えていたから。
そしてカシアは、もうずっとそれが正しかったと信じることになった。
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