25.予期できぬ人々
クロイは首を傾げ、固まるイース、驚くフライアを順に眺めたあとに、カシアで視線を止めた。
それからクロイがテーブルの横を回って近付いて来たとき、カシアは身構えもしなかった。
カシアもまた驚き過ぎて、いまだ思考が止まっていたからである。
魔塔は建物だけでなく、敷地全体に精密な魔法が組み込まれている。
外からの攻撃の防御はもちろん、登録していない者が簡単には侵入出来ない仕組みとなっていた。
なのにクロイは、魔塔の内側、それも副団長であるカシアの部屋に現れた。
国中の魔術師を集めても、闇魔法使いに対処することは出来ないのではないか──。
カシアが抱いて来た懸念は、今まさに顕わな実感に変わった。
しかしカシアはクロイに対しては強い警戒心を持てなかった。
クロイがカシアに向かって前に両手を伸ばしたときも。
その両手に先までどこにも見えなかった紙袋が抱えられていたとしても。
どうしてかカシアは、クロイに危険がないと信じた。
まだ出会って少しの時間しか経っていないというのに、とても不思議だ。
「カシア。エリーのパン」
名前を呼ばれて、カシアは目を見開く。
前回名乗ってはいたが、クロイからは一度も呼ばれなかったからだ。
呼び捨てにされたことにも、少々面を食らった。
この国でカシアを呼び捨てる人間は少ないから。
クロイはまた首を傾げると、今度はそのままの姿勢でしばらく黙ったあとに、首を戻さず言った。
「……ツマラナイモノ、デス、ガ、ミナサマ、デ、ドウゾ」
何故片言なのだろう。
クロイの発言に疑問を抱くことで、やっとカシアに普段の冷静さが戻って来る。
カシアはいつも上官以外の周りに見せてきた笑顔を作り、クロイの手元から紙袋を受け取った。
いい香りがする。指先と手のひらがほんのりと温まり、袋の中身は焼き立てのパンだと分かった。
「エリーさんからですね。有難く頂きます。お帰りになりましたら、エリーさんにお礼を伝えてくださいますか?」
また被害者が出ることのないように、慎重に言葉を選びカシアが伝えると、クロイは満足そうに口角を上げて、一度頷いた。
それからカシアは上官に視線を送ったが……イースはまだ固まっている。
クロイの相手を自分がこのまま続けても大丈夫だろうか。
心配するカシアを助けるように、フライア・エリスロースの声がした。
カトラリーから手を離して食事を中断しているが、剣に触れない様子を見るに、彼女もまたカシア同様、クロイには警戒していないようである。
「久しぶりだな。息災だったか?……その前に君は私を覚えているか?」
「赤いの。対策した」
「ん?」
クロイの両手に、またしても先までなかったものがあった。
物だよな?
カシアは目を凝らして、クロイが両手に抱くそれを眺める。
また猫である。
しかし先日の黒い猫ではない。今日は灰色の猫だった。
クロイの生体反応が読めないせいで、灰色の猫が生体か否かを、見た目だけでカシアは判断しなければならず。
猫はクロイの腕の中でまったく動かず、生きていないようには見えるが……。
「物理。どうぞ」
「んん?フォッシル魔術師副団長。意味は分かるか?」
「……もしかしてエリスロース第三騎士団長が、先日のように魔剣で切り掛かってよろしいということでしょうか?」
推測が当たったのに、クロイが頷いたことでカシアは慌てた。
「お待ちくださ──「君はなんといいことを言う!それには私も興味を持っていた!」」
フライア・エリスロースが立ち上がってしまった。
「君が抱いたままではやりにくい。そこに置いてくれ!」
日頃から整理整頓し、室内に開けた場所が多くあることを、カシアはこれほどに後悔したことはない。
「お待ちください。せめて外で──」
魔法を思いっきり使える演習場が、魔塔の横にはあるのだ。
カシアは二人をそこに誘導したかったのに──。
灰色の猫が床に置かれた。
クロイがトトトとあまり早くはない足取りで灰色の猫から離れる。
魔剣は鞘から抜かれ、フライア・エリスロースは切り掛かっていた。
ドーンという音と灼熱。広がる白煙。
落ち着いて食事どころではない部屋になってしまったが。
何も飛ばないように、カシアは部屋中を風で守ったから、テーブルの上の食事も無事だった。
カシアは風魔法で窓を開け、換気を行う。
灰色の猫は……凹んだ床の上で、真っ二つに割れていた。
猫が縦に割れる姿は、あまり見たいものではないなとカシアは思いもしたが。
その中身がとても魔道具らしくて、感心ししばし見入ってしまう。
分裂した猫の身体の片方に、大きな魔石が構えた。
あれがこの魔道具を動かす核であろう。
またトトトと早くない足取りで戻ったクロイは、その魔石がある方を抱き上げると言った。
「遅い。改良する」
「あぁ、なんて酷いことをするのですか。エリスロース嬢!」
落ちていたもう片方を、イースが抱き上げた。
ようやく動けるようになったようだ。
「すまない。壊れるものとは思わなんだ。本気は出さぬようにしたのだが」
「赤いの。本気」
「ん?」
「出して」
「私に本気を出せと言っているのか?」
「私。切る」
「なんだと?」
「駄目に決まっています!いけませんよ、クロイ!──どうしても、どうしてもですか?ならばとても辛いことですが、私があなたを──」
「イース、いい。赤いの」
「そんなっ。クロイを切る役目が私では嫌だと言うのですか」
「赤いの。本気」
「私に本気で君を切れと言うのか?さすがにそれは──」
カシアは一人食事を再開する。
この三人をまとめられる気がまったくしなかったからだ。
それなら食べられるうちにお腹を満たしておこうと思った。
これ以上部屋を壊されませんようにと祈りながらの食事は、先ほどまでのように美味しさを感じられないかと思ったが。
カシアは風魔法で棚から皿を取り出し手元に運ぶと、その上に貰ったばかりのパンを袋から出して並べた。
見た目にも美味しそうなパンを一つ手に取り、一口サイズにちぎって食べると……。
「美味しい」
一口目でカシアの口から自然に感想が零れた。
それだけ美味しいパンだったのだ。
「エリーのパン。美味しい」
いつの間にかまたクロイがカシアの横にいて、にこにこと笑っていた。
カシアが呆気に取られているうち、小さな手はひょいっと皿に伸びて、クロイが立ったままパンにかぶり付いたときには、カシアは極自然に隣の席を勧めてしまった。
「お茶を出しましょうか。果実水もありますよ。パンに合いそうな温かいスープがよろしいでしょうか?お好きな物をご用意しましょう──はい、果実水ですね。こちらをどうぞ。あぁ、食事もご一緒にいかがですか?私と同じものでもよろしいですし、何か食べたいものがあれば言っていただければ──同じものがよろしいのですね。すぐに運ばせます。まだこちらの皿は手付かずですから、待たずに先に食べてしまってもいいですよ。えぇ、どうぞ、ナイフとフォークはこちらを──フォークだけ?使い方が──では私が一口サイズに切り分けましょうか?──こちらをどうぞ──美味しいですか、それは良かったです。すべて食べて平気ですよ。おかわりも出来ますからね」
さらさらと自然に言って……間を空けてカシアに強い後悔が襲って来た。
凹んだ床の側で男女が立ったままカシアを見ている。
男は心底恨めしそうな目をして、女はとても愉快そうな目をして、カシアを見詰めた。
やってしまった……とカシアは思ったが。
開き直って、いい土産をくれた訪問者をもてなすことに集中する。
「カシア。後で沢山話したいことがあるので、お時間をくださいますか?」
カシアは冷え冷えとした上官の声を聴こえなかったことにして、頷かなかった。
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