24.先手を打ったつもりであったのに
見事に整頓されたカシアの研究室は、魔塔の五階にある。
三階のイースの研究室の真上を取らなかったのは、先代の副団長がそう決めたからで、カシアが選んだことではない。
そして四階の部屋は、今は備品庫となっている。
かつて……イース・アバランが最年少で団長に選ばれるまで。
明確な規定はなかったが、魔術師団長は魔塔の最上階の部屋を陣取る慣習があった。
他の魔術師たちも、魔術師団における階級が高い順に上から部屋を宛がわれていたのである。
それをイースがさっそく得たばかりの団長権限を用いて変えた。
三階を自室として占拠したのだ。
実はイースは、最初は一階がいいと言っていた。
上階までの移動がとにかく面倒だったのではないかと、カシアは予想する。
しかし一階には受付があった。
ならばと考えた二階にも魔塔の事務所があり、多くの人が来訪し、多くの魔術師が出入りする場所に近付き過ぎては、面倒事がかえって増えることに、イースも自分で気が付いたのだろう。
結果イースは自室に三階を選び、魔塔はしばらく研究室の引っ越しで忙しくなった。
身分を気にする性質にある魔術師は少ないが、当時の副団長が体面というものを気にして、魔塔の下から順に魔術師として序列の高い者たちを配置していったのである。
おかげで最上階が新人の部屋となって、受付係や事務仕事を担う新人たちは、移動に苦労するようになった。
それも今では、新人の修行のためにあえてという大仰な理由を得ている。
新人たちはいかに疲れず魔塔の最上階と一階を行き来するかで、新しい魔法を競って生み出すようなこともしていたから、修行として意味はなしていると言えるだろう。
こんな経緯を、カシアはまだ副団長になる前に目のまえで見て来た。
そしてこの五階の自室を得てからは、先代の副団長が四階を選ばなかった理由を理解した。
カシアもあの腐海の真上はごめんだ。
「あの様子ではまだ諦めてはおらぬだろうよ。本気ですべての貧民街を綺麗に出来ると考えておられる」
カシアは食事をしながら、複雑な想いを飲み込み、目のまえの二人を観察した。
イース・アバランも、フライア・エリスロースも、食事を取る所作は一級に美しい。
カシアは今日は初めて、二人が貴族の令息、令嬢であったことを実感する機会を得た。
と言っても、もう二人は28歳。
それぞれ仕事もしていて、個人として地位も固く、もう二人を貴族家の令息、令嬢と呼ぶ者はいないかもしれない。
「あの場所に限っては、すでに美しい場所ですから、何もしなくてよろしいでしょう」
「そういう意味ではないことは貴様も分かろう、アバラン。しかし、それほどに綺麗な場所だったか?」
「えぇ、それはもう。美しく色が溢れ──」
王太子からの依頼の内容は、ここ最近ずっとカシアの頭を悩ませ続けた。
呑気に話している二人に、愚痴をぶつけたくなるくらいには──。
依頼は二つ。
王都にいる親を亡くした子どもたちをすべからず救うこと。
そして──『貧民街を綺麗にせよ』という指令。
イースが部屋に引き籠っている間に、カシアは一人で貧民街の視察を行った。
部下の魔術師に頼まなかったのは、それだけ危険な場所だったから。
カシアも見た美しいあの場所だけが、貧民街と称される地域ではない。
王都の貧民街は広く分布しており、クロイたちのいたあの土地は、貧民街の極一部分に限られた。
カシアは同地域にある他の貧民街を見て来た。
あの場所だけでなく、貧民街の中は地区が細かく分かれており、行き来する通路もなく、それぞれに孤立しているようだった。
確かにそうだと言えないのは、カシアは本当にただ見て来ただけだからだ。
強い魔力を持つ者が幾人もいた。
カシアは負ける気はないものの、全員一度に相手をするとなれば苦労はするし、貧民街以外の街に被害を出さぬよう気を配りながら戦うとなれば分が悪く、視察の結果としてよく対策してから挑むべしという結論を得ている。
そもそも戦わずに穏便に済ませられるといいのだが……。
それにもうひとつカシアには大きな懸念があった。
闇魔法の存在を知ってしまったカシアは、クロイ以外の闇魔法使いがいた場合には、自分は負けると判断している。
しかもそれは、天才魔術師イース・アバランを引っ張り出してきても、変わらない予測だった。
と言っても、この予測は王太子にはとても報告出来ない。
闇魔法について言及したくなかったカシアは、街に被害が及ぶと予測されるので戦闘は望まない旨だけは王太子の侍従に報告を上げていた。
それからまだ話はないが……きっとそれほど待たずして、王太子の侍従が再来するだろうとカシアも思っている。
自分の代で必ずや王都を綺麗にするのだと王太子が貴族たちにも宣言していると聞くからには──。
頭の痛い問題は続くものである。
自室で食事をしながら話そうと提案したことを、まさかすぐに後悔することになるなんて──。
カシアは思ってもみないことだ。
声は出なかった。
驚きが強過ぎたからだ。
カシアの視線の先に、イースの隣に、小柄な黒髪の女性が立っている。
しかもイースはまだ気付かず、美しく食事を取りながら、隣のフライア・エリスロースに向けて、あの場所の美しさから話題は転じクロイという女性の素晴らしさを熱く語っているではないか。
カシアはクロイを観察する。
魔法の痕跡どころか、魔力どころか、生体反応も、熱も、息遣いも、何もかも感じられず。
しかしカシアの視界には、そこに実体があるように見えている。
精巧な幻影魔法だろうか?
少女はカシアと目が合うと、軽く頭を下げた。
それからツンツンとイースの肩を突く。
触れた?実体はあるのか?
イースが横を向き、そして固まった。
叫び声はその隣からだ。
「なっ!君はあのときの──どうやってここに来た!いや、待て!君は生きているか?」
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