22.私に聞かないでください
「貴殿はこうなると分かっていながら、魔法で自分だけを守っていたのだな?」
「エリスロース第三騎士団長程の御方であれば、ご自身で身を守ることは出来ると思いまして。僭越ながら、気遣い不要と判断しました」
「よくぞ言った、フォッシル魔術師副団長。私もこんな部屋は、焼き尽くしてしまえばいいと思っていたところだ」
「え゛!」
「副団長の許可を得られるとは、頼もしい限り。ではさっそく──次からははじめから頼みたい」
カシアの作った魔法の風が、フライア・エリスロースの身体を優しく包んだ。
同時に吹いた魔法の風が、扉のあった場所を完全に塞ぐ。
もちろんこのときカシアは、自身に纏う風の守りを一段と強くした。
普通に呼吸が出来るようになったフライア・エリスロースは、大きく息を吸い込んだあと呆れて言った。
「まさか噂通りであったとはな。あやつならばさもありなんと話を聞いていたものだが。魔術師団がこれまで隠してきたことも分かる」
カシアは風で塞いだだけであるから、扉の消えた入口から室内は丸見え……とはならず、物が積み上がっているせいで手前の惨状しか見えなくはあったが、フライア・エリスロースはこれでもう十分にイース・アバランの研究室の実態を認識したことだろう。
カシアは冷静にフライアの勘違いを訂正しておく。
「いいえ、魔術師団はこの部屋に関して何の情報規制もしておりません。事実が噂程度に収まっている理由は、あの方をよくご存知ない方々が信じないだけです」
「そういうことか。あやつは嫌味なほどに、見目だけはいいからな」
不満気にそう言ったフライア・エリスロースは、左手を腰に置くと、カシアを再び振り返って、「さて、どうする?」と笑顔で問うた。
「何もせず、私の部屋へ──「それはつまらん」はぁ」
人の話を聞く気がないなら、はじめから聞かないで欲しい。
他者に振り回されることに慣れているカシアも、フライア・エリスロースには少々失礼な目線を向けてしまうのであった。
それをフライア・エリスロースは、軽快に笑い飛ばした。
「いつもはどうしてあやつを引っ張り出しているのだ、フォッシル魔術師副団長?」
「うちの上官は、本日の打ち合わせには必要ないものと思いますが」
「あやつを表に引っ張り出せる魔術師は、貴殿だけという噂話もあるぞ。なんでも魔術師団の団長と副団長は、並々ならぬ特別な深い仲にあるとか」
「はぁ?なんですか、その気味の悪い噂話は?」
「ほぅ。さすがにこれは、ただの噂話であったか。それは早々に噂を収束させておいた方がいいな。私から今日見たままを彼女たちに話し訂正してやってもいいが。さぁ、どうする、フォッシル魔術師副団長?」
「……分かりましたよ。そのはた迷惑な噂話だけは、後日しっかりと否定しておいてくださいね」
カシアは覚悟を決めて、腐海の中へと進行した。
いつものように両腕をぞわぞわと勝手に立つ鳥肌で武装して、風の魔法で物を移動し道を作っている間に、「焼き切った方が早くないか?」とか「焼き尽くせば匂いを元から断てるぞ?」といった要らぬ提案を何度も受けることにはなったが。
さらには物溜まりの上でいつものように仰向けに倒れる上官を発見したときには、いきなり魔剣で切り掛かる女の姿も目にすることになったが。
カシアは何にも気を取られず、淡々と魔法を使い窓までの道を作ると、いつも通りに窓を開け放って、部屋の空気を上空高くへと飛ばし、そして散らした。
カシアが魔法を止めれば……苦しむほどの臭気は消えている。
本当にこの部屋の匂いの発生源は何なのだろうか。
カシアは気になって部屋を見渡し、おや?と気付くことがあった。
照明もないのにいつでも明るい室内が、いつも知るより心なしか暗く感じたのだ。
ただそれは寝そべる上官を確認出来ないほどの暗さではなく、むしろこれでも明るい部屋ではあって、カシアは重なる物の上に寝そべる上官を離れたままよく観察していった。
相変わらず、いつからシャワーを浴びていないのかと疑う容姿をしている上官は、どうやら動かずに燃える魔剣の襲撃を防いだようだ。
その青い瞳はすでに完全に開いており、天井を見据えていたが……焦点が合っていないように見えるから、カシアの上官はまだ寝ぼけているのかもしれなかった。
「貴様。寝ながら魔法を行使するとは……。どこまで私を馬鹿にすれば気が済むのか。今すぐに起きろ、アバラン!決闘だ!」
いやいや寝ている間に突然攻撃されて、それを防げるのに防がない人間はいないだろう。
カシアが呆れてそう思っていると、何故か横を向いた上官と目が合った。
カシアは願う。
今はフライア・エリスロースの相手をしてくれ──。
その願いはカシアの思った通りに叶わなかった。
「カシアは今日もお元気そうで何よりですが……私はもう駄目です、カシア。あとのことはお任せします」
「はい?」
上官がおかしいことは、いつものことである。
しかし今日はあまりにいつもにないことを言われて、カシアは思わず聞き返していた。
「今すぐやめようと思うのです」
「はい?」
「魔術師をやめれば、お会いしてくれるような気がするのですよ。きっとこの契約の魔法がよろしくない」
カシアは上官が、魔術師団ではなく、魔術師をやめると言ったことに、心底ぞっとした。
いつものように軽口を叩いて、顔を叩いて、上官を起こすことが出来なくなる。
「イース団長。それは──「アバラン、貴様がそれほどに愚かだったとはな」」
「……なんです、エリスロース嬢?私は今とても忙しいのですよ」
やっとイースの目が、カシアより近くにいるフライア・エリスロースの姿を捉えた。
「寝ていたくせに何を言う。それからこの部屋は早急に片付けた方がいいぞ」
「……忙しいのでお帰りいただきたい。カシア、あなたには今すぐに引継ぎ……などは要らないと思いますが。何かあれば今すぐに聞いてくださいね。私は早く魔術師をやめなければなりませんので」
「はっ。その地位を失くした貴様など。いよいよあの黒髪の子どもは、貴様に会う理由を失うな」
「エリスロース嬢、あなたがクロイの何を知ると言うのですか?分かっているような発言はしないでいただきたい。それからクロイは大人の女性です」
イースがむっとして口を尖らせたとき、カシアはその美しくも歪んだ顔を凝視した。
この上官は、変人でありながらも、いつでも穏やかに笑っている人で、それがあまりに貴族らしい姿であるから。
上辺しかイースを知らない者は皆、イースが常識的ないい人間だと信じるのである。
そんな周囲の思い込みにも振り回されて迷惑をしてきたカシアだけれど。
カシアの前ではよく不満を口にしてきた上官は、誰の前とも変わらず、カシアの前でも表情にそれを露わにすることはなかったから。
カシアが驚いている間に、フライア・エリスロースが魔剣の先端をイースに向けて突き出していた。
「まさかあの件がすべて終わったと思っているのではあるまいな、魔術師団長イース・アバラン。かの御方々は、まもなく動き出すであろうよ」
「そのようなことは、私が許しません」
「貴様が許さぬと言って何になる?ましてや魔術師をやめた貴様になど。もはや何も出来ることはあるまいて」
「……それがあるから会ってくれないのだと」
「それはただの貴様の想像だろう?単に貴様に会いたくないだけということもある」
「あなたにクロイの何が分かると言うのですか!」
いつもより大きな声でそう言ってから、上半身を起こしたイース・アバランは、そのまま両手で顔を覆ってしまった。
「会いたくて……どうにかなりそうなのですよ、カシア。私はどうしたらいいのでしょう?」
カシアは開け放ったままでいた窓の外を眺めた。
憎いくらいに明るい青空が広がっている。
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