19.踏み込まない方が良かった一線
当然その日に話が決まることはなく、カシアたちは後日改めてこの場所を再訪問することになった。
イースがまだ帰りたくないと子どものようにごねていたが、昼食を取る子どもたちの邪魔になるからと、腕を掴みイースを引き摺るようにして通りに戻ると、カシアたちは街へ向かった。
転移魔法は使われなかった。
イースがそうしたいと願ったから、街を歩きながら魔塔に戻ることにしたのだ。
エリーの話を何も聞いていないように見えていたが、少しは聞いていて街に興味が湧いたのだろうか?
カシアは上官の思い付きをそんな風に捉え、イースと並び街を歩いた。
魔塔まで歩いて帰るには少々距離はあったが、イースが飽きた頃に辻馬車を使えばいいとカシアは判断した。
そして実はカシアも、この辺りを歩いたことはなかったので、イースの提案には賛成だったのだ。
カシアは物珍しく街を見ていく。
陽光が真上から注ぎ、明るく照らされた表通りには、多くの店が並び、人が溢れた。
ちょうど昼食時だったこともあり、あちこちから漂う美味しい匂いに誘われて、カシアは空腹を思い出していく。
イースと店に入るか、何か買って戻ろうかと考えながら街を歩んだ。
治安が良くないと聞いたが、昼間はそれほどでもないなと、カシアは感じる。
お世辞にも綺麗とは言えない身なりの者はちらほらと見られたが、悪人風情という者もない。
この時間帯ならば、子どもにおつかいを頼むことも出来そうだ。
現に通りには子どもの姿もよく見られた。
「せっかくですから孤児院を見て行きましょうか、カシア」
「それはいいですね。資料だけでは情報が足りないと思っておりましたので」
上官からの急な提案だったが、カシアはすぐさま同意して、資料から知る孤児院の場所を思い出していく。
魔塔は王城から近い場所にあった。
第三騎士団の騎士舎もそうだ。
一方で孤児院は王城からは遠く、ここからは近い場所にある。
孤児院の置かれた場所になんとも飲み込み難い感情を抱いてしまうカシアだけれど。
今日見たあの子たちにとっては悪い話ではないだろう。
育ったあの場所に近ければ、移住後も安心して過ごすことが出来るかもしれない。
エリーは子らにいい聞かせると言っていた。
子どもたちが素直に納得してくれたらいいが……。
あの少年はまた泣くだろうか。
胸がちくっと痛んだカシアだけれど、カシアにはもっと憂えることがあった。
エリーとクロイの今後だ。
王家は事実を知れば、どちらも放っておかないだろう。
クロイの闇魔法は絶対として、エリーもまた知り過ぎている。
子どもたちだって……記憶の一部を消すことになるかもしれない。
嫌な仕事だとカシアは思った。
それはしかし王家が事実を知ればという条件が付く。
カシアがどう話すかで、結果も変わるだろう。
孤児院に預けたところであの子たちを放置していいものか、カシアは迷っていた。
とにかく一度、フライア・エリスロースと話をしよう。
カシアはそう決めて、先を練る。
第三騎士団内部の粛清に忙しかった彼女とは、あの日以来会っていないカシアであるが、報告前には口裏を合わせておきたい。
計画を練るうえで、カシアにはさらに会わなければならない人がいる。
カシアはちらりと横目でイースを見やった。
実家に相談したとイースは言った。
イースの父か兄が動いたのだろう。
彼らが王家に何をどこまで伝えているのかが重要となる。
あの王太子の侍従は、近いうちにまたカシアの前に現れるだろう。
イース相手では話にならないからだ。
それに王家はイースを怖れているところがある。
権力が利かない天才は……くれぐれも気を付けて欲しいとカシアは思った。
イース・アバランを討伐出来る人間がこの国にいるとは思えないとしても──いや、いる。
カシアの脳裏に、先ほどまで共にいた、少女にしか見えない黒髪の女性が映る。
闇魔法の存在の認知は……本当にまずい。
場合によっては……しかし王家に何が出来る?
イースとクロイが親交を深めることも、王家としては認められないだろう。
だがその王家に二人をどう出来るというのか。
頼りは魔術師団だろうが、団長以外の魔術師が総出でどうにかしろと命じられても、カシアはどうにもならないと返事をするしかない。たとえそれでカシアが処分されようとだ。
王家も愚かではないから、そんな正攻法で命じては来ないだろう。
するならば人道に反する最も魔術師が嫌がる方法で、秘密裏に──。
せっかく知らない通りを歩いているというのに、嫌なことばかり考えてしまいそうになって、カシアは思い切って隣を歩くイースに尋ねた。
風魔法で音が他に流れぬように気を配りながら──。
「そういえば、団長。クロイさんの魔力が見えるなら、今までクロイさんの結界に気付いたことはなかったのですか?」
カシアは王家がすでに知る可能性を探ろうと考えていたのだが。
ぱっと横を見たイースの目の色が分かりやすく変わって、カシアはたじろぐ。
こんなところで聞かなければ良かったと、カシアは聞いた直後で後悔するのだった。
「クロイの魔法は素晴らしいのですよ。私にも通りに転移するまでは見えませんでした。それも目の前に立ってもなお、外からでは薄っすらとしか見えません。同じ王都に居ながら、クロイを知らずに生きてきたなんて。私の人生における大いなる損失です」
「損失ですか」
「えぇ、大損失ですよ。生きてきた時間すべてを巻き戻してやり直したいくらいです。クロイの魔法は本当に素晴らしく、美しく、とても静かで、煌めいて──言葉で語れるものではありませんね。それにあの魔道具も。はじめて見たあのときの感動は忘れません」
カシアは三番口前の通りに突然飛ばされたあの日を思い出す。
嬉しそうに黒猫を持ち上げた上官は、感動していたのか。
あのときした会話は──。
「団長はあの魔道具からもクロイさんの魔力を感じ取っていたのですか?」
カシアがイースに『魔力がない魔道具があるか』と問うたとき。
イースは『不思議だ』と返してきた。
魔力がないと断言していなかったことに、カシアは今さら気が付いたのである。
そしてイースは『自分の魔力が消えた』とも言っていた。
「ほのかに感じる程度ですよ。おそらくは魔石にクロイの魔力を注ぎ込んでいますね。そこに術式を組み込んで、クロイの魔法を再現しているのだと思われるのですが。これは中身を見せて頂かなければ確実なことは言えません。私にも分からないように巧妙に魔法を重ねてありましたから」
「団長の魔力を吸収したと話しておられましたね?」
「えぇ。外からの魔力は、包み込むようにすべて優しく受け入れておりました。残滓すら残しません」
「つまり反射ではないということですね」
「カシアの仰る通り、あれは放出です。吸収と放出をあの一瞬で済ませる術式ですよ。知るのが楽しみでなりませんね。クロイは天才でしょう」
天才に天才と言われる少女の力量は、カシアも興味が湧いた。
そして天才が天才をどうしたいと思っているのかも知りたいとカシアは願った。
それが凡人として過ぎた願いであったことを、カシアが知るのはすぐだ。
「団長は……クロイさんの今後をどのようにお考えで?」
上官の口角がすっと上がった。
陽光が影を作りしその笑みは、ただ美しいものであるはずなのに。
カシアは、心臓が素手で掴まれ拘束されたように感じて、無意識に歩みを止めていた。
上官の足も止まる。
口角の上がったままその美しい唇が開かれた。
「あなたを信じますよ、カシア」
背中に水滴が伝う。
カシアはそれを陽光のせいにしたかった。
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