16.打ちのめされた事実
エリーに退室を促された少年は、しばらくの間は酷く抵抗していたけれど、エリーがそれを言うと素直に出て行った。
『もう小さな子どもでもないのに自分の足で出て行けないというなら。あなたをクロイに運んで貰うしかないわね』
こうして四人の大人が室内に残った。
エリーもクロイも着席し、テーブル越しにカシア、イースと向かい合う形となる。
着替えてきたクロイは、また上下黒い衣装を身に着けていたが、先とは違う清潔な香りを漂わせていた。
上質な石鹸の香りに包まれたこの場所を、カシアはもう二度と貧民街とは呼べないだろう。
「子どもの相手をさせて悪かったわね。あの子のことは気にしなくていいわ」
エリーがそう言って、隣でクロイが頷いた。
さらにエリーが続ける。
「孤児院について詳しい説明も要らないわよ。私たちは行かないから」
「それでよろしいのですか?」
カシアが聞いた。
エリーの言葉があまりに意外なものだったから、本意を探りたくなったのだ。
「もちろんよ。私たちは、あの子たちから一切手を引くつもりだわ」
カシアはたった今部屋を出ていったばかりの少年を想う。
自分はどこにも行かないと怒り泣いていたあの少年は、エリーとクロイのこの考えを読めていたのかもしれない。
そのように想像すれば、カシアの胸がちくちくと痛み出した。
少年にとって、世話をしてくれた彼女たちは、親と代わらぬ存在だろう。
あの少年は元より、ここにいる子どもたち全員から、嫌悪され、憎悪されたとしても、カシアは受け入れようと考えていた。
それはカシアが貴族だから抱く想いである。
「私たちは、失敗したのよ。クロイが私の次に子どもを拾ってから、もう十年にはなるかしら」
「私の次に──?」
ここで話を遮るつもりはなかったカシアだが、つい問い掛けてしまった。
私の次にという言葉も気になるが、もう十年──?
分かりやすく訝しがっているカシアを見て、エリーはくすりと笑う。
「そうよ。クロイが初めて拾った子は私だったのよ」
「それはなんと羨ましいことでしょうか。私が一番にクロイ様に拾われたかった──」
カシアは上官の発言は無視した。聞こえなかったことにした。
そしてエリーに問い掛ける。
「エリーさんもクロイ様に拾われたのですか?」
「いやぁねぇ。クロイのことも同じように呼んでいいわよ。ねぇ、クロイ?」
クロイが頷くと、カシアが言うより先にイースが口を開く。
「では私も、クロイさんとお呼びしますね。あぁ、私のこともどうかイースと──」
「あんたはイースさんね。そっちは?」
「私はカシアとお呼び下さい」
「カシアさんね。分かったわ……え?」
「諸事情により女性名を付けられましたが、私は男です」
エリーはいよいよ明るい声を上げて笑い出した。
イースのことがなくとも元からの苦労人カシアは、こうした状況には慣れているので、笑われたところで何も思わない。
のだが、無の表情にはなってしまう。
「カシアさんも。色々と苦労されているようね」
「あぁ、お分かりですか。それはエリーさんもこれまでご苦労なさっておいででしょう」
と、妙に分かり合えてしまった二人を気にすることもなく。
カシアの隣では。
「イース……さん……」
「イースで構いませんよ。よろしければ私もそのままにお呼びしても?──あぁ、嬉しいです、クロイ。私は今回あなた様に選んでいただけたことがとても嬉しくてなりませんで──選んでいない?あぁ、そうでしたね。クロイはエリスロース嬢を呼び出しただけでしたか。それはとても残念なことですが──えぇ!えぇ!私もクロイと知り合えてとても嬉しく思っております。クロイとはもっと早くお会いしたかったです。どうして私はクロイが生まれた瞬間を見られなかったのでしょうか──」
一人盛り上がって嬉しそうに話すイースを眺めて、カシアとエリーは同時に深い溜息を吐いていた。
エリーが急に昔から馴染みある同志に思えてきたカシアである。
ところがカシアと目が合うと、エリーは揶揄うような目をして、にやりと笑った。
「クロイの方が私より年上よ」
「え?」
「あなたより下でしょうけれど。イースさんは綺麗過ぎて年齢が読めないけれど。そうね、そんなに変わらないのではないかしら?」
「え゛?」
カシアは多方面から衝撃を受けていた。
自分は実年齢を想像出来る顔と言われたが、イースとは三つしか変わらないわけで。
そのイースとクロイが変わらない年齢とは?
少女と思ってきたクロイが、しっかり大人だったことも驚きであるし。
大人の女性にしか見えないエリーよりも年上というのは信じられないことだが。
私はどう見られているんだ?
まさか実年齢よりも上?
落ち込むカシアを慰めることなく、エリーは吹っ切れたように明るい笑顔を見せて、朗々と語り始めた。
「クロイが私を拾った頃は、さすがにクロイも子どもだったわよ?私だってまだ十に届いていなかったと思うわ」
自嘲するように肩をすくめて、しかし明るく、自分の正確な年齢は知らないとエリーは言う。
「それからずっとクロイさんとご一緒に?」
「えぇ。しばらくは二人で暮らしていたわ。拾われたのは私だけれど。どちらが拾ったか分からない生活だったわね。クロイは食事を取ることも知らなかったから」
それはカシアにも易々と想像出来た。
クロイに拾われたあとに身の回りの世話をしていたのは、エリーなのだろう。
食事の件も自分の上官と同じことだろうとカシアは理解した。
「お二人は最初からこの場所で?」
「この辺りにはいたわね。ここを拠点にしたのは、クロイが子どもを拾ってからだったわ」
エリーは詳しくは語らなかったが、かつては別の人間が拠点としていたこの場所を、何やら色々と起こったすえに、二人が勝ち取ったということらしい。
「ここでは強さが正義なのよ。だからクロイがいる限りは何もないのよね」
少しの会話をしていれば、カシアはおおよそエリーたちが望む内容も、それを望んだ理由も理解出来ていた。
三番口に続く通りには、まさに貧民街へ続く道であることを示唆するように、廃墟と思わしき壊れかけの建物が並んでいる。
そこにあった無数のあの気配こそが──エリーたちの困りごとの元。今回の騒動の発端。
「私たちは、守り過ぎたのよ。街で暮らせるように気を付けて育ててきたつもりなのにね」
エリーは一度窓の外を見て、またカシアに視線を戻して言った。
「私たちだって最初からこんなにも上手くいくとは思っていなかったわ。今回は騎士団が根本から腐っているか、見極めようとしただけだったもの」
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