14.天才とそうでない者の境界線
「私はこちらにいる皆さまをとても羨ましく思います」
「急になんだよ、兄さん。俺たちを馬鹿にしてんのか?とにかく俺はどこにも行かないからな!」
目のまえで少年が怒っているというのに、イースの視線は出窓に向かう。
イースは目を細めるように微笑み言った。
「こんなにも美しい結界の中で日々を過ごされているのですから。羨ましくてなりません」
「けっかい?」
戸惑った少年はカシアを見やった。
イースとでは会話が成り立たないことを、短い時間接しただけで少年も理解したのだろう。
「団長。結界の話は彼女にしか分からないかと──」
上官を諫めながら、カシアは久しぶりにその感情を抱いていた。
尊敬、畏怖、諦念、焦燥感、自嘲……様々な感情がまとめられたそこにはおそらくもう絶望はない。
どんなに努力しても埋められない天才との差に絶望する段階をカシアはとうに過ぎていた。
今となっては抱いたその感情とて、ただ少しの間胸にざわりとした不快感を与えるだけ。
結界の話は、カシアがたった今言った通り、彼女と、そしてイースにしか分からない。
イースは闇魔法も感知する魔法の天才ということだ。
そんな天才は、天才故に凡人である部下の気持ちを想像することが叶わないから──。
「カシアも羨ましいと思いませんか?」
平気でそのようなことを口にする。
「結界だけではありません。皆様を包んでいるこの薄く優しい魔力も美しく、私も今すぐに包んでいただきたいものです。あちこちに残る魔力の残滓すら、きらきらと輝いて、まるで天使の羽が舞うように見えるでしょう?残滓と呼ぶことも躊躇われる美しさです。出来るならすべて回収し持ち帰って、常に眺めたいのですが。残滓ですから日持ちがしないのが残念です。あぁ、ほら、言っている間にも消えてしまいましたよ。なんて勿体ない。早急にこの残滓を永久保存する魔法を開発しなければ──」
「私には見えませんよ、団長」
カシアは淡々と告げた。
その声にどんな感情も乗せないように気を配ったのは、魔術師団の副団長としての意地かもしれない。
「そうでしたか」
イースの感想はそれだけで、部下と感情を共有出来ないと分かれば途端に興味を失ったように話を変える。
変わらず残酷な人だと、カシアは感じた。
「では、カシアに問いましょう。この場の子どもたちの常時観察を依頼されましたら、カシアはどうしますか?」
急に話題を変えられても即座に答えられたことは、カシアがそれだけ長い時間上官に振り回されてきたという証明だろう。
カシアはイースの話が突然飛ぶことにはよく慣れている。
「期日が決まっていれば、対応することはあるでしょう」
「カシアは素晴らしいですね。私は一日でもお断りですよ」
「当然私も断りますよ。回避出来なかったときの話です」
イースは頷き、目を細めて微笑した。
カシアは何故か、イースが言葉を発する前に、それがこの場にいる誰かに向けた笑みではないことが分かった。
「どれだけ大変だったことでしょう。もっと早くお会い出来ていましたら──」
少年が困惑した様子で、イース、カシア、そしてエリーを、順に見ていった。
どこにも行かないと威勢よく宣言した後に、イースがよく分からないことを言って、その後も大人たちが自分の宣言には触れなくなったのだから当然不安であろう。
しかしカシアが気になったのは、少年よりもエリーの様子だった。
眉間の皺を深め、唇を固く閉じている。
イースの話を理解出来ているということか。
「お話をすることも大変なことだったと想像します。それなのに私としましたことが、先日は気軽にもっとお話をしたいなどと願いまして──」
カシアはイースの発言から想像する。
あの黒髪の少女が、魔法を使い、これだけの人数の子どもたちを常時観察しているということか。
魔術師団でも、魔法を使い、人を監視せよという依頼を受けることはある。
それは滅多にない依頼で、たとえば表立って騎士を動かせないような場合に、魔法でこっそり監視しておいてくれと、誰がと言うまでもない人たちが依頼という名の命令を下すことがあった。
カシアはこの手の依頼を受けた時、依頼主が誰であろうと、副団長として一度は断ることにしている。
断り切れなかった場合にも、交渉をして、出来るだけ負担の少ない業務に導くことを、カシアは副団長として当然の行いだと信じた。
人の監視は楽な仕事ではない。
ともすれば魔法を使う人間の気が狂う仕事だ。
自分以外の誰かに常に意識を置き続けることは、それほどに精神に来る業務なのである。
それをあの少女が一人で行っていると、イースは言ったのだ。
それもこの場所の子どもたち全員が対象だと言う。
まさかとまだ信じられない気持ちはカシアにもあった。
けれどイースが感知したと言うならば、そこにあの少女以外の魔力はないのだろう。
それは会話も片言にもなるだろうと、カシアは納得し、黒髪の少女を畏怖した。
あれだけの子どもを、同時にすべて観察し続けながら日常を過ごすということ。
カシアは自分なら本気で気が狂うと思った。
一人の子どもだって、今何をしているかと常々追い掛けていたら、発狂しそうである。
眠ってくれたら安堵して自分もやっと寝られると思うかもしれない、むしろ魔法で早々に眠らせることも……少女は寝られているのだろうか?
はじめてカシアは黒髪の少女の身体を心配した。
天才であろうと、体内に湧く魔力には限りがある。
休息も取れず、常時これだけの魔法を使い続けていたら、気が狂うだけではなく、身体にも影響があるのではないか。
それでイースは急いで動いたのか。
そこに思い至れば驚愕し、カシアは上官を尊敬の眼差しで見やった。
「ですからエリーさん。早く子どもたちを孤児院に移しましょう。あなたもご一緒出来るように整えましたので心配には及びません。お荷物の手配などは私が行いますので──「俺はどこにも行かねぇって言っただろう!!!」」
少年は大きな声で言った。
窓の向こうにも届くに違いない怒声だったが、カシアはその声が外に届いていないことに気が付いた。
広場では子どもたちが楽しそうに球体を蹴って遊んでいた。
誰もこちらを見ていない。それは不自然なほど。
イースとカシアが広場を歩いていたときには、気にしていた子どもたちだ。
二人が入った家の周りに集まって、様子を伺っていても、子どもなのだからおかしくないだろう。
遮音だけではない。
隠蔽も使われたか。
カシアは読めない魔法を、状況から想像した。
普段から彼女の魔法に慣れた子どもたちならば、見えなくなったならそこですぐに諦めて、目のまえの遊びに熱中するかもしれない。
家の側に集まろうと情報を得られないと知っていれば、子どもでもあとで少年から話を聞けばいいという結論に至るはずだ。
大変な場所に迷い込んでいるのだなと、カシアは改めて実感し、抱いた畏怖の念を膨らませるのだった。
「エリー!どこも行かないよな?エリーは、俺たちを捨てないだろう?」
少年がエリーの腕を掴んで揺らし叫んでいるのに。
「クロイ様。遅くなって申し訳ありません。準備が整いました。仔細説明したく、どこかでお話をするお時間を頂くことは出来ますでしょうか?私はあなた様にお会いしたいのです──」
イースは少年の背中に語り掛けていた。
騒ぐ少年はまったく聞いていないようであったが、そもそもイースは少年には言っていないだろう。
カシアは身構える。
予想通りのことが起きた。
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