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『今宵もRed Light Barで何かが起こる』  作者: 西崎小春


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第5話 セクシーの条件

月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。

 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドアが吸い込む吐息、遠くを走り去るタクシーの重いタイヤ音。そんな、どこにでもある街の断片が混ざり合って、この界隈特有の、夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。

 その交差点から一本入った細い路地に、血のような赤いランプを灯す店がある。  ――Red Light Bar。

 カウンターわずか八席だけの、小さな、けれど今夜はいつもより少しだけ華やいだ空気が漂う店だ。

その夜、珍しくカウンターの半分を女性が占拠していた。

 マユ姐、ミルクちゃん、そして常連の姫殿。おっとりとした声とは裏腹に、時折、真理を突くような鋭い感性を見せる女性だ。 三人が並んで座るその光景は、場末のバーを突如として都心のラウンジに変えてしまったかのような錯覚を抱かせる。

 店主のタケさんは、その眩しさに目を細めながら、ぼそっと零した。

「……今日は、やけに『セクシー』が多いな」

「当たり前でしょ。女が三人よ。三本のバラが咲いてるのよ」  マユ姐が、当然の権利を主張するように煙草をくゆらす。

「この店で女性が三人揃うなんて、天変地異の前触れか奇跡よね」

 ミルクちゃんがハイボールの泡を見つめて笑う。姫殿も、上品にグラスを傾けながら続いた。

「なんだか、素敵な女子会みたいですね」

「……女子会は、もっとこう、上品なもんだろ」

 タケさんの軽口に、マユ姐が即座に反応した。

「失礼ね。女が三人集まれば、国の一つや二つ、話題だけで滅ぼせるのよ。ねえ、ミルク」

「そうよ!……ねえ、ところでさ。セクシーって、一体何なのよ」

「急だな、おい」

 タケさんのツッコミを無視して、ミルクちゃんは真剣な表情で腕を組んだ。

「この店、女性を呼ぶ時に必ず『セクシー』って付けるじゃない。じゃあ、その正体は何なのよ」

 一瞬、店内の空気が、答えのない問いを探して静まり返った。

「……簡単よ」

 マユ姐が、唇の端を少しだけ上げて断言した。

「なによ」

「『余裕』。これに尽きるわ」

「違うわね」

 ミルクちゃんが即座に否定する。姫殿が、おっとりとした声で付け加えた。

「……独特の『雰囲気』、ではないでしょうか?」

「違う。それも違うわ」

「じゃあ何なのよ、あんたの言うセクシーは」

 マユ姐の催促に、ミルクちゃんは自信満々に胸を張った。

「『色気』よ! 圧倒的な、生物としての色気!」

「……同じこと言ってるだろ、お前」

 タケさんが呆れるが、ミルクちゃんは止まらない。

「違うのよ! 色気っていうのは空気なの。物理的に、半径一メートルを狂わせる磁場なのよ!」

「ますます意味がわからん」

 タケさんが首を振る横で、姫殿が笑いながら同意した。

「でも確かに、言葉にできない『色気』のある人っていますよね」 「例えば?」とマユ姐。

「そうですね……。グラスの持ち方とか、視線の外し方とか。さりげない仕草に、ふとした瞬間宿るものというか」

「歩き方もあるわね。後ろ姿で男を黙らせるような」

 女性陣の熱を帯びた議論が、さらに加速しようとした、その時だった。

「バックシティ~~♪」

 ご機嫌な、しかし相変わらず不安定な鼻歌と共にドアが開いた。工藤ちゃんだ。

「OKダンディー、いらっしゃい」

 タケさんの挨拶を受け流し、工藤ちゃんは帽子を取って店内を見渡した。

「……ほう。今夜はセクシーが豊作だな」

「珍しいだろ」

「何の話をしていた。空気が妙に、雌豹の檻のような熱を帯びているが」

「セクシーの条件よ」

 ミルクちゃんの言葉に、工藤ちゃんは腕を組み、いつもの低い声で宣言した。

「なるほど。答えを教えてやろう……セクシーとは、すなわち『孤独』だ」

「違う。却下」

 マユ姐が一秒で切り捨てる。

「それ、ダンディーの時も言ってたぞ」とタケさん。

「工藤ちゃんは外で歌ってて」とミルクちゃん。

 散々な扱いに、姫殿が楽しそうに笑い声を上げた。

そこへ、静かにドアが開き、シャカが入ってきた。

「こんばんは」

 シャカはいつものように、落ち着いた足取りでカウンターの端に座った。

「シャカ、いいところに来たわ。あんたにとって『セクシー』って何?」

 ミルクちゃんの直球の問いに、シャカは少しだけ考え、静かに答えた。

「……『余裕』、でしょうか」

「ほら、見たことか! 」

 マユ姐が勝ち誇ったように声を上げる。

「いや、違うわよ!  シャカまでマユ姐に毒されてどうするのよ!」

 ミルクちゃんが反論し、またしても議論はループへと突入する。

その最中、賑やかにドアが開いた。ゴウちゃん、マウス、りょうちんの三人組だ。

「こんばんは――」

 勢いよく入ってきた三人は、カウンターに並ぶ女性陣の威圧感に近い華やかさを目にした瞬間、示し合わせたようにピタリと足を止めた。

 ゴウちゃんが反射的に背筋を伸ばし、マウスが眼鏡を指先でクイッと直し、りょうちんが急に借りてきた猫のように大人しくなる。 「……ほら、これよ!」

 ミルクちゃんが、獲物を見つけた猛獣のように叫んだ。

「何よ、急に三人揃って姿勢正しちゃって。面白すぎるわね」  マユ姐のニヤリとした笑いに、ゴウちゃんが照れ隠しに喉を鳴らす。

「いや、だって……。今日はセクシーが三人も揃ってるからな」 「ほら、聞いた!? マユ姐!」

 ミルクちゃんが興奮気味に椅子を叩く。

「つまり、セクシーっていうのは、『男の態度を一瞬で変えてしまう影響力』のことなのよ!」

「……心理学的影響力、あるいは不可視のプレッシャーですね」  マウスが冷静に分析し、りょうちんが

「勉強になります……!」と真剣に頷く。

「お前ら、ここはバーだ。社会心理学の研究室じゃねえんだぞ」  タケさんが呆れるが、ミルクちゃんはついに立ち上がった。

「じゃあ、実験しましょう! セクシーの実演会よ!」

「はぁ? 何を――」

 タケさんの制止を無視して、ミルクちゃんが歩き出した。腰を大きくくねらせ、これでもかとばかりに「色気」を振りまく歩調だ。 「……おい、ミルク。それじゃ別の店になってるぞ」

 ゴウちゃんの冷静なツッコミに、マユ姐が立ち上がる。

「違うわよ。セクシーっていうのは、媚びることじゃないの。圧倒的な肯定よ」

 マユ姐が歩く。堂々と、風を切るような足取り。その姿には、誰も寄せ付けないような気高さがあった。

「……それは、敏腕女社長の出社風景だろ」

 タケさんのツッコミが冴え渡る。

 最後に、姫殿が笑いながら、ふわりと軽やかにカウンターの前を歩いて見せた。

 それを見つめるりょうちんの耳が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。 「ほら、見て! この男たちの顔!」

 ミルクちゃんが指差す先で、男たちの表情は三者三様だった。  ゴウちゃんは、どう反応していいか分からず武士のように固まり、マウスは分析を諦めたように目線を逸らし、りょうちんはただただ茹で上がっている。

「……分かりやすい連中だな、本当」

 タケさんが笑いながら、新しいグラスを差し出した。

その絶妙なタイミングで、カラン、というベルの音が響いた。  新しい女性客だった。

 ドアを開けた彼女は、店内の異様な光景に足を止めた。

 カウンターの前で女性たちが代わる代わる歩き方を披露し、それを男たちが眉間に皺を寄せて観察している――。

「……あの」

 女性の当惑した声に、タケさんが本日最高のテノールで応えた。 「いらっしゃい、セクシー。……好きな席へ」

「あの……。ここって、一体、何の店なんですか?」

「研究所よ」とミルクちゃん。

「大人の恋愛心理研究所」とマユ姐。

「社会実験の最前線だ」とゴウちゃん。

「高度な人間観察の場です」とマウス。

「……ただのバーだ。気にするな」

 タケさんのフォローに、女性はようやく緊張を解き、小さく吹き出した。

「面白いお店ですね。なんだか、皆さんすごく真剣で」

「ちょうどいいわ、セクシー。あんたに聞きたいの」

 ミルクちゃんが身を乗り出した。

「あんたにとって、『セクシーな女』って、どんな条件だと思う?」

女性は、少しだけ面食らった顔をした。

 けれど、カウンターの中のタケさんと、期待に満ちた常連たちの顔を交互に見つめ、少し考えてからこう言った。

「……そうですね。たぶん、『今、この瞬間が一番楽しそうな人』、じゃないでしょうか」

一瞬、店内の喧騒が嘘のように消えた。

「……それだ」

 タケさんが、噛み締めるように呟いた。

「悔しいけど……それね。理屈じゃないわ」

 マユ姐が、手元にあるグラスを見つめて苦笑する。

「結局、そこに行き着くのよねぇ」

 ミルクちゃんも、憑き物が落ちたように深く椅子に座り直した。 「人は、楽しそうな人に惹かれる。本能的なポジティブさ……それこそが最大の磁場だ」

 シャカの言葉に、工藤ちゃんが深く頷き、低い声で付け加える。 「つまり……孤独ではない、ということだな」 「お前は黙ってろ!」

 全員の声が完璧に揃い、店内に今日一番の爆笑が弾けた。

タケさんは、再びグラスを拭き始めながら、どこか満足げに口を開いた。

「結局、な」

 全員の視線が、店主の手に集中する。

「セクシーもダンディーも、本質は同じなんだよ。……自分自身の人生を、誰よりも楽しんでる奴。それ以外は、ただの飾りだ」 「それよ!」

 ミルクちゃんが笑う。

「悔しいけど、完敗ね」

 マユ姐もグラスを持ち上げ、姫殿と目を合わせて微笑んだ。 「なんか、すごく納得しました。明日からもっと楽しみます」  新しく来た女性客も、その輪の中に自然と溶け込み、楽しそうに笑っていた。

月見橋の夜は、まだ始まったばかりだ。

 この店では、誰かの悩みも、青臭い議論も、だいたい途中で脱線し、迷走する。けれど最後には、何となくどうでもよくなって、いつの間にか全員が笑っている。

 信号の音、タクシーの音。日常の喧騒の下で、今宵もまた――Red Light Barでは、取るに足らない、けれど誰かの明日を少しだけ軽くする何かが起こっていた。


――この店の夜は、まだ終わらない。

(続きは22時)

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