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『今宵もRed Light Barで何かが起こる』  作者: 西崎小春


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第4話 神様、合コンに行く

月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。

 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドアが吸い込む吐息、遠くを走り去るタクシーの重いタイヤ音。そんな、どこにでもある街の断片が混ざり合って、この界隈特有の、夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。

 その交差点から一本入った細い路地に、血のような赤いランプを灯す店がある。――Red Light Bar。カウンター八席だけの、小さな、けれど騒がしい劇場だ。

その夜、店には珍しく「フルメンバー」が顔を揃えていた。  タケさん、マユ姐、ミルクちゃん、工藤ちゃん、ゴウちゃん、マウス、りょうちん。そして、右奥の特等席には、いつものように神様が鎮座していた。

 神様は、背筋を真っ直ぐに伸ばし、一点の曇りもないジャケットを纏い、琥珀色のウイスキーを静かに揺らしている。その所作の一つひとつが、舞台俳優のように絵になっていた。

 その神様が、チェイサーを一口含み、重厚なトーンで切り出した。

「……今度、合コンに行くことになりました」

一瞬、店内の時間が止まった。

 タケさんの手が止まり、ミルクちゃんは口を半開きにし、りょうちんは危うくハイボールを吹き出しそうになった。マウスは無言で眼鏡のブリッジを押し上げ、ゴウちゃんは「えっ」と間の抜けた声を漏らした。

 ただ一人、工藤ちゃんだけが腕を組み、「……ついに、神が動くか」と、よく分からない納得顔で頷いている。

「……なんで?」

 沈黙を破ったのは、マユ姐の直球すぎる問いだった。

「呼ばれたからです。断る理由もありませんでしたので」

「いや、システムの話じゃなくて、なんで『神様』が合コンの戦場に駆り出されるのよ」

「神様はやめてくれ。本当は『コウちゃん』と呼んでほしいんだがね」

「今、その話はしてないの!」

 マユ姐が一喝する。ミルクちゃんが身を乗り出して尋ねた。 「ちょっと待って、何歳の合コン? 相手は?」

「四十代から五十代が中心だそうです」

「あるのね、その世代にもちゃんと」

「あるだろ」とタケさん。

「人が生きてる限り、出会いの火種は消えねえんだよ」

「名言っぽく言わないで」とマユ姐が即座に切り捨てる。

りょうちんが目を輝かせて言った。

「いいなぁ。神様が合コンに来るなんて、相手の女性はめっちゃ『当たり』じゃないですか!」

「そうでもないわよ」

 マユ姐の即答に、りょうちんが声を上げた。

「なんでですか! こんなにカッコいいのに!」

「ダンディーすぎるのよ、この人は。女が一番、肩を凝らすタイプ」

 神様は少しだけ眉を動かした。

「……褒め言葉として受け取っていいのかな」

「全然。付き合うまで行かない典型ね」

 ミルクちゃんの無慈悲な追い打ちに、工藤ちゃんが低い声で割り込む。

「それは、神が人間界に降り立つ際に背負うべき『宿命』という名の十字架だな……」

「お前は黙ってろ」とタケさんが制した。

「原因は、明確です」

 マウスが冷静に口を開いた。

「神様は、誰に対しても同じ温度で、完璧に優しい。そこに『揺らぎ』がないんです」

「いいことじゃないか」と神様。

「よくないのよ!」とマユ姐。「特別感がないの。女性はね、自分だけが特別な『セクシー』でありたいものなのよ」

 全員の視線が、無意識にタケさんに向いた。タケさんは平然とグラスを拭きながら言い放つ。

「……俺は紳士だ。全員に敬意を払っている」

「ただの女好きなだけでしょ」

「紳士だ」

「女好き」

「紳士」

「……はいはい、夫婦喧嘩は後にしなさい」

 ミルクちゃんの仲裁に、二人は同時に叫んだ。 「夫婦じゃない!」

「……息、ぴったりですね」

 りょうちんの呟きを、マユ姐が「黙りなさい」と一蹴する。

神様は静かにグラスを置いた。

「……それで、私は当日、何を着ていけばいいのでしょうか」  再び、作戦会議が熱を帯びる。

「トレンチコート一択だ」

 工藤ちゃんが断言した。

「合コン会場に、あえて十分遅れて入る。ドアを開け、煙草をくわえ、一言。『――待たせたな』」

「昭和の刑事ドラマかよ。速攻で通報されるわ」

 マユ姐のツッコミに、ミルクちゃんも頷く。

「絶対嫌われる。一軒目で解散ね」

「いや、そこは紺のブレザーだろ」

 ゴウちゃんの提案に、マウスが即座に被せる。

「古いです」

「古くない!」

「古いです。石原軍団じゃないんですから」

 タケさんが呆れたように溜息をついた。

「お前ら、神様の合コンを私物化するな。自分の好みを乗せるなよ」

「まず、その喋り方よ」

 マユ姐が神様を指差した。

「堅い。校長先生の朝礼なのよ」

「では、どう言えば」

 ミルクちゃんが身を乗り出す。

「もっと若者っぽく崩すのよ。例えば……『マジ?』とか」

 神様は、真剣な表情で復唱した。

「……マジ?」

 一拍置いて、店内が爆笑の渦に包まれた。

「違う、そうじゃない!」

 ミルクちゃんが机を叩いて笑う。

「今のは、ハリウッド映画の執事が無理して流行語を使った感じよ!」

「ひどいな……」とゴウちゃんが笑い転げる。

「神様はもう、神様のままでいいわよ。変に崩すと事故になるわ」  マユ姐が匙を投げた。

「では……合コン必勝法、検索しますか?」

 マウスがスマホを取り出すが、ミルクちゃんが止める。

「やめなさい。ネットの必勝法なんて、女は秒で見抜くわよ。工藤ちゃん、あんたからも何かマシなアドバイスないの?」

「自然体だ。ただ、そこに居るだけでいい」

「お前が言うと一番説得力ねえんだよ」とタケさん。

「店に入る時に歌ってる奴が『自然』を語るな」

そこへ、カランとベルが鳴り、一人の女性客が入ってきた。  三十代半ば、ベージュのコートを羽織った、上品だが少し疲れの見え隠れする「働く女性」だった。

「いらっしゃい、セクシー」

 タケさんの迎えに、女性は少し照れたように笑って席に着いた。 「なんだか、外まで『マジ?』っていう素敵な声が聞こえてきたんですけど……」

 ミルクちゃんがまた噴き出した。

「神様よ。この人、今度合コンに行くんですって」

「あら、素敵じゃないですか」

 女性は神様をまじまじと見た。神様は、彫刻のような美しさで軽く会釈する。

「でもね、問題があるのよ」とマユ姐。

「問題、ですか?」

「ダンディーすぎるのよ。隙がなさすぎて、女が疲れちゃうタイプなの」

 女性は神様と目を合わせ、少しの間を置いてから、くすりと笑った。

「……確かに。ちょっと完成されすぎていて、靴を脱いで寛げない感じはしますね」

 店がどっと沸いた。

「靴を脱ぐ合コンがどこにあるんだよ」とゴウちゃんが突っ込む。 「例えよ! 要するに、完璧すぎて緊張しちゃうってこと」

 女性はさらに続けた。

「きっと、褒める時も『その色、お似合いですね』なんて、綺麗に言いすぎちゃうんじゃないですか?」

「……言います」

 神様の即答に、マユ姐が頭を抱えた。

「もっとダメ! 綺麗すぎるのは重いのよ! 

『あ、それいいね』くらいの雑さでいいの!」

「雑すぎだろ」とタケさん。

「女心は、その『雑な肯定』に弱いのよ!」

「要するに」とタケさんが神様に新しいグラスを差し出した。

「少しは『隙』を見せろってことだな」

「隙、ですか……」

「そうよ。例えば、メニューを聞かれたら『焼き鳥がいいな』とか、具体的に自分の欲を出すの」

「焼き鳥……」

「あと、ちょっとした失敗をする人の方が、話しやすいですよ」  女性客のアドバイスに、ミルクちゃんが笑う。

「よかったじゃない神様。今夜から、堂々と抜けていきなさい!」 「日本語がおかしいだろ」とマウス。

神様はしばらく沈黙し、目の前の女性客を見つめた。

「……では。私は、具体的にどうすれば『人間』になれるでしょうか」

 女性は少し考えてから、悪戯っぽく微笑んだ。

「最初に、『本当はコウちゃんって呼ばれたいんです』って、真顔で言ってみたらどうですか?」

一瞬の静寂のあと、今日一番の爆笑が店を揺らした。

「それは事故だろ!」

「初手で大惨事よ!」

「六十二歳の初対面でそれはキツい!」

 常連たちが口々に叫ぶ中、神様だけは耳まで少し赤くして、静かに首を振った。

「……やはり、それは二軒目まで取っておくことにします」

 その返しに、また店がひっくり返った。

「神様」

 タケさんが笑いながらグラスを拭いた。

「その一言だけは、墓場まで持って行け」

「……心得ました」

月見橋交差点の夜は、相変わらず静かだった。

 Red Light Barの中だけが、いつも少しだけ熱を帯びている。誰かの悩みや、ちっぽけな見栄や、滑稽な勘違い。それらを肴に、大人たちは今夜も笑い合う。

 女性客が店を出る際、神様に向かって優しく言った。

「合コン、頑張ってくださいね。コウちゃん、応援してます」  神様は、照れを隠すように深く頭を下げた。

「……まずは、この店で『人間』に戻ってから行くことにします」  神様の言葉に、タケさんが力強く頷いた。

「正解だ。ここは、神様を人間に戻すための場所だからな」

そして今夜も――Red Light Barでは、取るに足らない、けれど確かな何かが起こっていた。

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