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『今宵もRed Light Barで何かが起こる』  作者: 西崎小春


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3/21

第3話 ミルクちゃんの恋愛相談

月見橋交差点の夜は、たいてい静かに始まる。

 信号が変わる電子音、コンビニの自動ドアが吸い込む吐息、遠くを走り去るタクシーの重いタイヤ音。そんな、どこにでもある街の断片が混ざり合って、この界隈特有の、湿り気を帯びた夜の空気がゆっくりと出来上がっていく。

 その交差点から、逃げるように一本入った細い路地。そこに、血のような、あるいは救いのような赤いランプをひとつだけ灯す店がある。  ――Red Light Bar。

 カウンターわずか八席だけの、主役のいない劇場のような店だ。

その夜、店内にいたのはいつもの顔ぶれだった。

 店主のタケさんが、一点の曇りもないグラスを黙々と拭きながら、ふと独り言のように漏らした。

「……今日も、静かだな」

 右奥の特等席で、神様が琥珀色の液体をゆっくりと喉に流し込む。

「こういう夜も、悪くない。酒の味がよくわかる」

「いや、俺は少し退屈だぜ」

 隣でゴウちゃんが、手持ち無沙汰そうにピーナッツを放り投げた。

「ニュースも、特にこれといって面白いものはないですね」

 マウスがスマホの画面をなぞりながら、無機質な声で付け加える。

「平和ですねぇ」

 若手のりょうちんが、のんびりとあくびを噛み殺した。

 その、凪いだ空気を切り裂くようにドアが開いた。

「バックシティ~~♪ バックシティ~~♪」

 ご機嫌な、しかし絶望的に音程の怪しい鼻歌と共に、工藤ちゃんが滑り込んできた。

「OKダンディー。……静かだな」

 タケさんの挨拶を遮るように、工藤ちゃんは帽子を直し、鋭い視線で店内を一巡させた。

「……今夜も、事件の匂いがする」

「しない」

 タケさんが、磨いていたグラスを置いて即答した。

「全く、しない」と神様。

「するわけがないだろ」とゴウちゃん。

「今日は驚くほど平和です」とマウス。

「すごく、平和です」とりょうちん。

 工藤ちゃんは心外そうに腕を組み、鼻をひくつかせた。

「いや、探偵的直感がそう告げている。この静寂こそが、巨大な嵐の前触れなのだと……」

「その直感、だいたい外れるだろ」

 タケさんの冷ややかなツッコミに、店内に小さな笑いがさざ波のように広がった。

だが、その「嵐」は、工藤ちゃんの予言とは全く別の方向から、勢いよくドアを蹴破るようにして現れた。

「ちょっと聞いてよ!!! 」

 ミルクちゃんだ。

 彼女が飛び込んできた瞬間、店の空気の粒子が激しくぶつかり合い、一瞬にして沸点に達する。

「どうしたミルク。息が上がってるぞ」

 タケさんが苦笑いでハイボールを作り始める。ミルクちゃんはカウンターに崩れ落ちるように座ると、全員を指差して叫んだ。 「あたしね、恋愛相談されたのよ!」

「……ミルクに?」

 ゴウちゃんが、信じられないものを見るような目で聞き返した。 「相談する相手、致命的に間違えてませんか?」

 マウスの無慈悲な指摘に、ミルクちゃんが身を乗り出して睨みつける。

「失礼ね! あたしだって現役よ! ……それで、神様、聞いてよ」

「ほう。何があったのですか」

 神様が静かに促すと、ミルクちゃんは腕を組み、深刻な面持ちで語り出した。

「あたしのお店によく来る常連さんなんだけどね。彼女ができないって、本気で悩んでるの。でもね、その人、すっごく『いい人』なのよ! 優しいし、真面目だし、仕事も一流だし……」

「完璧じゃないですか」とりょうちんが感心する。

「なのに、絶望的にモテないの!」

「それは、重症だな」とゴウちゃん。

「原因は、何なのですか」

 神様の問いに、ミルクちゃんは深い溜息をついて、一言で切り捨てた。

「……つまらないのよ。地獄のように」

 一瞬、店が静まり返った。

「どういう意味だ?」

 タケさんの問いに、ミルクちゃんは指を折って数え始めた。 「デートのコースが、毎回、一ミリの狂いもなく同じなのよ」 「同じ?」

「一、映画。二、イタリアン。三、カフェ。四、帰宅」

「……ほう」

「三回連続よ!? 一回目なら王道だけど、三回目はただの修行よ!」

「ルーティンワークですね。効率的ではありますが」とマウス。

「それは……確かに、酒が進まない話だな」

 タケさんが同意した、その時だった。

「ただいま」

 マユ姐だ。

 彼女は一歩店に入っただけで、淀んだ空気の正体を察知した。 「何、このむさ苦しい会議。……あ、恋愛相談?」

「あら、面白そう」

 マユ姐が当然のように席に着く。ミルクちゃんは我が意を得たりとばかりに話を続けた。

「そうなのよ。でね、あたし聞いたの。“デートで何話すの?”って。そしたら何て言ったと思う?」

「ほう」

「一、天気。二、仕事。三、健康診断の結果」

「……それ、病院の待合室だろ」

 ゴウちゃんのツッコミに、ドッと店が沸く。

「その男ね」

 マユ姐が、煙草をくわえようとして手を止め、断定した。

「なによ」

「……『いい人』をやりすぎてるのよ」

「確かに。刺激という名のスパイスが欠けていますね」

 神様も頷く。

「恋愛という名の難事件……未解決の予感がするな」

 工藤ちゃんが格好をつけて割り込むが、タケさんに

「探偵は黙ってろ」と一蹴される。

「でね、その人、ついに女の子から言われたんですって。『いい人だけど、ドキドキしない』って」

「ああ、殺し文句だ」

 ゴウちゃんが、自分の古傷を抉られたように顔をしかめた。 「男ってね」

 マユ姐が、鋭い視線でカウンターの男たちを射抜いた。

「……『いい人』になろうと必死になればなるほど、魅力という名の毒が抜けて、ただの『便利な置物』になるのよ。わかる?」 「それは……男側にも、嫌われたくないっていう切実な事情があるんだよ」

 タケさんが弁護するが、マユ姐は冷たく切り捨てた。

「事情なんて、酒の肴にもならないわ。女が求めているのは、安心感の先にある『揺らぎ』なの」

「そうなのよ! マユ姐、最高!」

 ミルクちゃんが手を叩いた、その時だった。

カラン、という澄んだ音がした。

 重厚なドアが開き、夜の冷気と共に一人の女性客が迷い込んできた。

 ハッとするほど、綺麗な人だった。

 その瞬間、Red Light Barの空気が「物理的に」変わった。

神様が、これ以上ないほど背筋を伸ばし、琥珀色の液体を芸術的な角度で傾ける。

 ゴウちゃんが、だらしなく開いていた膝を閉じ、精悍な表情を作る。

 マウスが、音もなくスマホをポケットにしまい、知的な眼鏡を指先で直す。

 りょうちんが、急に借りてきた猫のように静まり返る。

 工藤ちゃんが、帽子のつばをミリ単位で調整し、低い声を喉の奥で作る。

 そして店主のタケさんが、今日一番の渋いテノールで囁いた。 「……いらっしゃい、セクシー。空いてるよ」

それまでの一部始終を見ていたミルクちゃんが、突然、噴き出した。

「ほら、見て!!」

 腹を抱えて笑うミルクちゃんをよそに、女性客は少し戸惑った様子でカウンターに座った。

「あの……。ここって、いつもこんな感じなんですか?」

「今日はまだ、静かな方よ」

 ミルクちゃんが笑いながら答える。女性客は少しだけ表情を緩め、意外なことを口にした。

「……さっき、外まで聞こえてました。『ドキドキしない男』の話」

「あら、失礼。恋愛相談中だったのよ」

 マユ姐が微笑む。女性客は、カウンターの男たちが自分に向けようとしている「必死の格好良さ」をどこかで見透かすように、くすくすと笑った。

「面白いお店ですね。……セクシー、って呼ばれるのも、悪くないかも」

 男たちが一斉に、鼻の下を伸ばす。

「で、セクシーはどう思う?」

 ミルクちゃんが身を乗り出した。

「『いい人だけど、ドキドキしない男』。何が足りないと思う?」  女性客は、少しだけ考えた。そして、磨き抜かれたカクテルグラスを見つめながら、静かに言った。

「……それって、たぶん」

 全員が、息を呑んで彼女の言葉を待った。

「退屈なんじゃなくて、**『本音を見せていない』**だけなんじゃないでしょうか」

 一瞬、店内の時間が止まった。

「本音、ですか」

 神様が、反芻するように呟く。

「優しい人って、相手に嫌われないように、丁寧に、丁寧に言葉を選びますよね。でも、それって相手からすると、透明な壁が一枚あるみたいで、すごく距離を感じるんです。その壁が、『ドキドキしない』の正体なんじゃないかなって」

……深い。

 ゴウちゃんが呻き、マウスが「心理学的に正解です」と頷き、りょうちんが「勉強になります!」と手帳を取り出さんばかりの勢いで見つめる。

「事件、解決だな。犯人は……過剰な自己防衛だ」

 工藤ちゃんが低い声で決めるが、即座にタケさんが

「探偵は黙ってろ」と封じ込める。

「なるほどねぇ。つまり、あれね」

 マユ姐が、新しいグラスを差し出したタケさんにウィンクした。 「なによ」とミルクちゃん。

「……『いい人』なんて、やめちゃえばいいのよ。少しは自分勝手な顔も見せないと、女は踏み込めないわ」

「雑だけど、正解!」

 ミルクちゃんが笑う。女性客も楽しそうに続けた。

「ええ。たぶん、少し『面白い』というか、人間くさい人の方が、ずっとモテますよ」

その瞬間。

 カウンターの男たちが、示し合わせたように一斉に姿勢を正し、自分の「人間くささ」や「面白さ」をどうアピールすべきか、激しく火花を散らし始めた。

 それを見たミルクちゃんが、今度は椅子から転げ落ちそうになりながら大爆笑した。

「……遅いわよ!!! 」

タケさんは、再びグラスを拭き始めながら、一言だけ重厚なトーンで漏らした。

「……ダンディーってのはな」

 全員の視線が集まる。

「モテようと意識した時点で、もうそれはダンディーじゃねえんだよ」

 店内に、今日一番の、そして一番納得感のある笑いが弾けた。

月見橋の夜は、まだ始まったばかりだ。

 信号の音、タクシーの音。日常の中に埋もれた夜の静寂の下で、今宵もまた――Red Light Barでは、取るに足らない、けれど誰かの救いになるような何かが起こっていた。


――この店の夜は、まだ終わらない。

(続きは22時)

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